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11月 観音朝詣りのお知らせ
2024年11月17日大学生の時読んだ「肉食の思想」という本に、ヨーロッパに留学した青年が経験した食の文化のすれ違いの話がありました。
青年がパーティーに出たときに、豚の頭をそのままに料理したメインディッシュがテーブルの上に置かれていました。
彼は手を付けることはできなかったのですが、パーティーに参加していた娘さん達は、それぞれに切り分けて美味しそうに食べていました。
青年と娘達のやり取りです。
こんなに美味しいものをどうして召し上がらないの?
生きていた豚を思って可哀想で食べられません。
豚は神様が人間に食べ物として与えてくれたものなのだから美味しく食べればいいのよ。日本人は生きた姿の動物は食べられないの?
小鳥ぐらいは食べますよ。
まあ、かわいい小鳥を食べるなんて、なんて野蛮なの!
この本が出版された時代、日本ではツグミなどの小鳥はよく食べられていました。
今では娘さん達のいうことの方に共感できるという人も多いかも知れません。
動物は、他のいのちを食物としなければ生きられません。
人間にとっても殺生は生存の宿命です。
そうであれば、これは食べてよい、あれは食べてはいけないという区別がどうして生まれるのか。
区別を生む大きなもととなるのは、食べ物となる生き物に対して人間がどれだけ同じ生き物としての共感を持っているかの度合いです。
殺さなければ生きられないけれど、おのれに引く比べて、殺されるものの傷みと悲しみを思いやることができるのが人間です。
食事の度に、可哀想と思ったり、罪の意識を持ったりすることは現実的ではありませんが、いのちをいただいているというありがたさだけは忘れないようにしたいものです。
手を合わせて「いただきます」を心から言えるようにしたいものです。
令和6年11月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時半から行います。