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令和6年5月 朝坐禅会「指月の会」案内(5月27日朝6時半より)
2024年5月26日花はただ咲く ただひたすらに
ただになれない 人間のわたし 「相田みつを」
上記は栃木県足利市の書家にして詩人、相田みつをの作品の一つです。
「つまづいたっていいじゃないか、人間だもの」の言葉は、きっと皆さんも聞いたことがあるかと思います。
今月20日で生誕百年を迎えたとのことで、下野新聞にも記事が載せられていました。
相田さんは足利で生まれ活動し、長く曹洞宗のお寺の坐禅会に通われていました。
ご自身でも深く勉強され、東京の相田みつを美術館では読み込みすぎてすり切れた正法眼蔵が展示されてもいました。
だからこそ、その作品の多くに色濃く禅の思想や道元禅師の影響が表れています。
感心するのは、経典の難しい言葉や思想を平易な、柔らかい、短い言葉で優しい文字でご自身の作品にされていることです。
深く理解し、ご自身の血肉とされているからこそここまで自由闊達な表現が出来るのでしょう。
私は東京に出て、ちょっと時間が空いたときには有楽町の国際フォーラム地下にあるあいだみつを美術館によく行っていました。
勉強ともなり、素晴らしい作品に感銘を受けながら一息付けるので貴重な落ち着ける場所でしたが、残念ながら今年一月で施設工事の為閉館となりました。
再開は未定とのことですが、是非ともまた開業してほしいものです。
尚、今年の生誕百年を記念して、故郷足利の美術館にて7月から8月で展覧会が催されるそうです。
私も行くつもりですが、興味を持った方には是非とも観覧してほしいものです。
さて、上記の言葉は相田さんの素晴らしい作品の中でも、とても強く感銘を受けた作品です。
出来るならば氏独特の字体で表現された原作をご覧頂きたいものですし、芸術表現は受け取る個々人の感想こそが正解なのですが、私なりに拙い感想を述べたいと思います。
人が自然や山野に生きる動物に時に感銘を受けるのはどうしてなのか。
作為も嘘偽りも無く有様そのままに生き生きとし、鎮座する曇り無さに感動するからではないでしょうか。
有るべくしてあるものは、ただそのままに素晴らしく、円かに調和して、時に美しい。
花はその命の有り様そのままに、力むことも心を費やすことも無くただ咲いてただ散る。
迷いやとらわれはからいを持ち込まない、命そのままにただ生きる、ただ美しく在ることの素晴らしさを万の言葉より雄弁に表現し尽くしている。
だから、花は「ただ」咲く ただひたすらに。
でも私たちは、その素晴らしさを知ったとしても、なかなか同じように生きられるものではない。
解っちゃいるけど、やめられない。
「ただ」になれない人間の私。
そんな人間の弱さや悲哀を穏やかに受け止めてくれる、共感の、慈しみの眼差しを、私はこの一文に感じるのです。
人の弱さに寄り添うように眼差しを向けてくれる、観音様とはこの様ではなかろうかと私は思っています。
心にゆとりを持ちにくい現代だからこそ、多くの人に知ってほしいと願う作品です。
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は6月24日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています