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令和7年8月 朝坐禅会「指月の会」案内(8月25日朝6時半~)
2025年8月24日悲体戒雷震 慈意妙大雲 澍甘露法雨 滅除煩惱焔
憐れみの体は戒雷に震え、慈しみの心は妙なる大雲の如し。甘露の教えの雨は、人々の煩悩の炎を消す。
『妙法蓮華経観世音菩薩普門品』
八月は言ってしまえばお寺の繁忙期です。
お盆は殆どのお寺が忙しくなりますし、先祖供養の行事や余所への手伝いが拍車をかけます。
祥雲寺も又8月7日の初盆施餓鬼会、13日から16日の盂蘭盆会、29日に年間最大行事となる全檀家先祖供養の大施餓鬼会と慌ただしいです。
一番体力勝負となるのはお盆の時期です。
13日は朝5時にはお参りの人が来るので4時台に起床して客殿を開け、日が強く照る前にご先祖さんが帰ってくるお墓に鉢を鳴らしてお経を上げて廻る「墓経」を行い、日中はお参りに来る檀家さんの応対となります。
14,15日はお盆のお参り「棚経」の日です。
14日は今年初盆の方のお宅を訪ね、初盆の盆棚にお経をあげて巡ります。
15日は祥雲寺近所の檀家さん宅を巡ります。
朝8時から40件ほどを廻るのですが、昨今の炎天下の中歩いて廻るのが年々難儀になっています。
昨年は午後3時過ぎに熱中症気味になってしまい、先代に残り数件を頼むことになりました。
今年は暑さ対策を準備して臨みましたが、今度は逆に汗が抑えられて方々で出して頂くお茶でトイレが近くなって困ってしまいました。
一年で一番時間に余裕の無い日ではありますが、久しぶりに会う人とお話出来たりする日でもあります。
あるお家に伺いお経をあげての茶飲み話中に、おばあちゃんにこんなことを言われました。
「孫たちが訪ねてきて盆棚にお参りさせたけど、盆棚は行き場の無いご先祖以外の人も迎える場所だと話したら知らない人を迎える必要なんて無いでしょ、と言われて私は慈悲だよ、と答えた。
どう返事したら良かったのかねぇ。」
私はこんな答えをしました。
「まさにそのお答えですよ、慈悲です。
初盆の方にお渡しして盆棚に祀る小さい塔婆にはあらゆる方に施しをする、と書かれています。
それはとても功徳のある供養であるとされていますが、その根底の精神は慈悲からくるものです。
慈悲について考える時、私はいつも思い出すものがあります。
十年ほど前テレビを付けていたら海外の都市を旅する紀行番組が流れていて、東南アジアの仏教国の古都が映されていました。
道行く女性にマイクが向けられて、この町はどんな町ですか、とリポーターが声をかけると、その女性は「困っている人を助けてあげる町ですよ」と答えました。
これはなかなか出てこない言葉では無いでしょうか。
私はそれだけでもその町に興味を持ちましたし、行ってみたいと思いました。
仏教の精神、慈悲の心が深く根ざしているからの言葉なのでしょう。
慈悲の実践の時、正にその人は観音さまの様な広く清らかな心ばえに生きています。
お盆はそうした心掛けで皆さんを迎える時なのですよ。」
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
この指月坐禅会は第四月曜日朝に毎月行っています。当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は9月22日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています -
8月 朝詣りのお知らせ
2025年8月24日おせがきは、ご先祖への供養法会として営まれます。
曹洞宗を含めて多くの宗派の寺院の大事な行事となっています。
漢字で施餓鬼と書き、餓鬼に施すという意味です。
ご先祖への供養がどうして餓鬼に施す供養なのでしょうか。
餓鬼とは、餓鬼道にある死者を指しますが、広い意味では供養を受けることなく満たされない境遇にある無数の死せるものを表わします。
この餓鬼のために仏様の大慈悲を仰いで供養するのが施餓鬼法要です。
導師は、満たすことの象徴である食物を、仏の威神力を借りて無限倍にする作法を勤めますので、施食法要とも言います。
そもそも先祖供養は、報恩感謝の思いからなされるものです。
そしてその感謝の思いは、この世に人と生まれ生きていること、いのちあるをありがたいと思う心から生まれます。
いのちは父母によって受けます。
父母はその父母から、さらには遠く連なる先祖からいのちを受けてきました。
いのちの繋がりのかけがえのなさ、有ること難さを思ってなされるのが先祖供養です。
但し、そのいのちの繋がりは血の繋がりによってだけで成り立つものではありません。
人が生きられるのはこの世にある全てのものからのめぐみを受けているからこそです。
いのちと一番緊密にかかわる食べ物について考えてみればわかりやすい。
天地のめぐみを受けた作物が、無数の人々の関わりを経て食卓に載せられます。
肉、魚ならばそのいのちを取って食べ物となっているのです。
これをあたりまえのこととせずに、人間は天の恵み、地の恵み、人の恵みによって生かされているのだと思い至ることが大切なのです。
そして、恵みをもたらしてくれたなかには、顧みられることなく満たされない境遇にあるものが無数にあり、これを餓鬼という言葉で表わして、父母、ご先祖と分け隔てせずに供養するのが施餓鬼法要なのです。
令和7年8月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
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8月の諸行事
2025年8月1日8月の諸行事 ご興味のある方はお問い合わせ下さい。
■大施餓鬼会(8月29日11時半そばうどん・12時役員総会・1時法話・2時法要)
檀家全ての先祖供養法要。年間の最大行事。
施餓鬼は午後1時法話よりお檀家皆さんにご参加いただき法要後塔婆をお渡ししていますが
当日来られない方は、施餓鬼後秋彼岸までに塔婆を受け取りお墓へお供えください。
■初盆施餓鬼(8月7日)
新盆の方対象のご供養法要。9時半説明会(新盆お迎えの仕方等)。10時半法要。
■お盆(盂蘭盆会)8月13日~16日
13日午前迎え火、16日午前送り火。
■雀宮善應院坐禅会(第四水曜日のみお休み)
宇都宮南町1番36号「善應院」にて毎週水曜日(第四以外)夜6時から行っている坐禅会です。
8月6日、(13日はお盆により休止)、20日
■月例坐禅会「指月の会」(8月25日)
祥雲寺本堂にて毎月第四月曜朝6時半から行っている坐禅会です。
■テラヨガ(ヨガ教室)
阿久津先生指導の下第一第三金曜日10時半から。初心者クラスは第二第四金曜日10時半から
■陶芸教室「祥陶会」
駐車場下の作陶場にて毎週火、木午後1時から行っています。
■石彫会「羅漢の会」
毎週土曜午後、駐車場作事場にて石仏の彫刻を行っています。指導は松原「金野石材店」
屋外なので冬場は休止もある為お問い合わせ下さい。
■茶道教室
月二回火曜日午後1時半から、裏千家平山尚子先生のご指導の下行っています。
7月8月はお休みとなります。
■写経会
写経会は5月から11月、第二日曜日午後2時から行っています。
10日
■御詠歌
8月はお休み
■フラワーアレンジメント教室
南宇都宮駅前「フラワー花亀」亀井先生指導の下第四水曜日午後1時半より行っています。
27日
■折り紙教室
カルチャースクール講師長谷川京子先生指導のもと第3水曜日午前10時よりより行っています。
今月はお休み
■クラフトペーパー教室
同じくカルチャースクール講師長谷川先生指導のもと第2月曜日午前10時より行っています。
11日
■観音朝詣り
境内33観音霊場を18日朝にお参りするミニ巡礼会です。開始時間は季節により前後します。
今月は午前 6 時 から 祥雲寺℡(028)622-5719
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令和7年7月 朝坐禅会「指月の会」案内(7月28日朝6時半より)
2025年7月27日慕古真心 不離叢林 『宮崎禅師遺偈』
今月上旬、群馬の高崎で行われた青山俊董老師講演会に行ってきました。
青山老師は尼僧として愛知尼僧堂堂長を務め、また大本山永平寺西堂という重責も担っている生粋の禅僧です。
師家として、世俗に混じることなく仏道を行じてこられた老師の透徹した説法は、日々の檀務や雑務に忙殺されている私を叱り励ましてくれるような、正に叱咤激励をいただいた様な機会でした。
老師曰く、自分には二人、師と仰いできた人が居るとのことです。
昭和の禅僧、澤木興道老師と内山興正老師のお二人で、どちらもご縁と心当たりのある方です。
今回はこのお二人を紹介したいと思います。
澤木老師は明治生まれの禅僧で、清住通りの桂林寺で坐禅会を開き、
祥雲寺の先々代である私の祖父安藤裕之も参学していた方です。
お寺の住職として定住すること無く、本来無一物を実践され、宿無し興道とも呼ばれたそうです。
配布された冊子の方で澤木老師の言葉を紹介されていました。
「仏法がこの頃は傍観者の観念の遊戯となってしまった。
立ち見席で『何年にお釈迦さんが出てこういった』と、ことづけ仏法になってしまった。
先祖がいくら偉くたって、友人がいくら偉くたって、皆よそごと。
自分はどうじゃ。先祖の講釈。仏教の効能書きをいっているのを分別という。
効能書きをいくら読んでも、病気はなおらん」
とても耳に痛い言葉です。
私自身法話を考える時、お釈迦様はこう言った道元禅師はこうされた、等と言葉を引くと同時に、お偉い存在の権威を借りて後ろ盾を得たような気持ちになるからです。
しかし仏教は哲学ではありません。
観念を深掘りするばかりでなく、無常の道理、縁起という真理に即して生きる実践を重んじます。
答えを考えるのでは無く答えに生きるのが仏道を歩む禅僧である。
怠らず励みなさいと響いてくるような、古くとも色あせることの無い箴言です。
もうお一人、内山興正老師は大正生まれの澤木老師のお弟子で、以前お話ししたドイツ人の禅僧ネルケ無方師の修行した兵庫安泰寺の住職です。
内山老師については、以前戒名を考えるにあたり証道歌の「仏性の戒珠心地に印す」というお経の言葉を調べているときに老師のお言葉に出会いました。
「『正法眼蔵随聞記』にも「坐禅は自己の正体なり」という言葉がある。自己の正体とは正気の沙汰ということです。坐禅することがそのまま仏さまになることだというのは,坐禅することでのぼせが下がって正気の沙汰になるからです。だから何度も言うように坐禅しながら考えごとをするのは駄目です。これが一番いけない。この癖をつけたらもう救われようがない。むしろ坐禅して眠るほうがまだ罪が薄いのです。坐禅というのは,うっかりすると居眠りができるほど解放されて,しかもはっきり覚めているということが大切です。この覚めて生き生きしているのが仏性で,そういうのぼせの下がった生命になることを「受戒」という。」
常日頃、坐禅に感じているところをハッキリと言葉にして頂いた様な表現です。
学びと実践、それらが深いからこそ、自らの掘り下げと経典の説く真理が違える事なく言葉となるのでしょう。
素晴らしい先達が沢山の宝の様な輝く言葉の道しるべを残してくれている。
祖父が遺したお二人の本を、今年の課題図書にしたいと思っています。
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
この指月坐禅会は第四月曜日朝に毎月行っています。当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は8月25日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています -
7月 朝詣りのお知らせ
2025年7月16日輪廻説は、生き物が死をもって終わりを迎えるのではなく、新たな生き物となってつぎの生を迎え、それを無限に繰り返していくという思想です。
輪廻転生とも言います。
この説の当否を断言することは私にはできませんが、一つだけ確実に言えることがあります。
それはこの説が、この世に生を受けたもの全てが、大きな命の流れの中に共にあるという観念を根底にしているということです。
そこからは、生けるものは本質的に平等であるという観念が生まれ、生きては死にゆくあらゆる命への深い愛惜の思いが生まれます。
「生きとし生けるもの」という言葉にはそんな思いがこもっていると、私は感じています。
おのれに引き比べて、他のものの痛みを知るべし、悲しみを知るべし、という仏様の教えには、万物共生の思想があると思います。
全てのものが自らの滅びの悲しみをかかえながら共に生きるものであるという思いの中から、あわれみの心を持っていつくしむべしという慈悲の教えが成り立ち、またそれに反して傷つけ合ってはならないという仏教の倫理の根本になる戒めも生まれるのです。
私は僧侶として、仏教徒として、仏様の教えを戴いて生きています。
しかし、経典に記されている言葉の中には相互に矛盾することもあり、また信じがたいものもあります。
私にとっては輪廻説もその一つです。
しかしそこには凡夫には計り知れない深い意味が隠されているのだと思って考察を重ねたいと思っています。
令和7年7月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。