ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

新着ブログ

  • 令和2年5月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2020年5月24日

    5月の本堂と境内

    これわが最後に教誨する処なり
                 『遺教経』
     
     先日市内のお坊さんの葬儀に参列しました。
    僧侶として活動して以来の付き合いでしたから、16年ほどの付き合いがありました。
    突然死であったためお勤めしていても実感がわかず、最後にお骨を祭壇に安置して参列者が帰られ静かになってから漸く、もうお話しできることはないのだと理解できました。
    一人堂内で御遺影と10分ほど対面し、身近に居た人を無くした寂しさと思っていた以上に暖かい思い出を頂いていたのだという驚きと、そしてお釈迦様の最後の説法とされる『遺教経』の一節をかみしめていました。
     
     お釈迦様は今から2600年の昔、インドに生まれて80年の人生を歩まれました。
    その最後は、沙羅双樹の元に横たわり多くの弟子に見守られながらのもので在ったと言います。
    自分が世を去った後弟子達が惑うことのないように、臨終の床にありながらこれまで説かれてきた教えを丁寧に再確認できるように纏めて説かれたのが今日『遺教経』という形で伝えられ、そしてその最後の教えは自らの死にゆく姿を見なさいと言う無言の内の説法であったと言います。
    人は誰しもが亡くなっていく、死とはこのようなものなのだ。
    だからこそ生きている今、怠ることなく務め励み精進し、道の達成心の安心を成しなさい、と。
     
     今、一人の和尚が世を去られて、多くのことを示してくれました。
    願わくは私も暖かい思い出を人に持ってもらえるような、あの和尚さんの様に人に接することが出来ればと思います。
    その行いの中に、仏と成られた和尚さんとのご縁が、きっと確かに息づいていることを信じています。
     
                           祥雲寺副住職 安藤淳之
    明日の坐禅会は風通しの良い広い堂内で短縮して行います。
    その為暖かい格好でお越しください。
  • 2020年4月26日

    4月7日 宇都宮仏教会花まつり法要を祥雲寺で行いました。写真は宇都宮保育園稚児の舞です。

    例年は大通りでパレードを行い、文化センターで舞を披露するのですが、今年は自粛し会員のみで法要を行いました。

    この坐禅会を始めて五周年となりました。
    大難の時であるからこそ、足下をしっかりと見定める時でもあろうかと思います。
    初心を思い返し、最初の文章を今年も再掲します。
    お前の苦しみを、じっと見つめてみよ。
    誰々にののしられた、誰々により損害を受けた、
    誰々に手ひどく負かされた、誰々に盗まれた、
    という思いを抱いてはいないか。
    その思いがすでに怨みであると知りなさい。
    怨みを抱いた人生は重いものだ、安らぎというものがなくなってしまう。
    いっさいの怨みを棄てよ。
    今まで抱いてきたあれこれの思いをさっぱりと棄てよ。
    棄てれば、必ず軽くなる。
    棄てて、かろやかに生きなさい。
                        ― 『スッタニパータ』第一章 ―
    静かな所で何をするでもなく落ち着いて瞑想をすることで心身の調子が整う、という事は昔から広く知られ、行われてきました。
    近年では科学的分析により血圧が下がる、海馬の機能が促進され脳内の情報整理がされる、精神安定に重要な働きをするセロトニンの生成が促される、等の効果が確認されているそうです。
    しかし坐禅は、これらの効果を内包しながらも、何も求めないで只ひたすらに坐る事こそ最上のものである、と伝えられてきました。
    私はそれは、「軽くなる」からだと思います。
    人間生きていれば百人百様、様々な想いやしがらみを背負っているはずです。
    古人は人生を「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」と形容したそうですが、時には荷を下ろし、わが身を見つめ直す時間こそ忙しい現代人に必要な物だと思います。
    一人で行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
    この朝座禅会はそのような場となる様発起しました。
    明日4月27日の朝坐禅会は、6時半から開催しますが、短縮し広い空間でばらけて行います。
    その為参加される方は厚着でお越しください。
  • 令和2年3月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2020年3月22日

    例年は彼岸明けから三月末で開花するのですが、今年は彼岸前には花開きました。

     

    この日曜日でほぼ満開になりました。見ごろは今週中ごろでしょう。

    諸行無常
     
     新型コロナの世界的蔓延で、世の中の色々なところに支障が出ています。
    祥雲寺でも地域の観音堂例祭や御詠歌講、花祭り写経会が中止になりました。
     私には医学の心得はありませんが、感染症の話題になる度に、学生時代に読みふけっていた村上龍の『ヒュウガウィルス』をいつも思い出します。
    この本は簡潔に言えば、九州で酷い病気がはやり、細菌戦の部隊が処置に赴く話です。
    作中の架空の病気ヒュウガウィルスは未知の病気で、エボラ出血熱を更に酷くした空気感染するウィルスが一帯を変わり果てた死体の山にします。
    その様子を見て、なんで人間はそんなに弱いんだ、と嘆いた人に、老科学者が返した言葉が印象深く、今でも良く憶えています。
    「弱くて脆い部品が精密に作動するから生物は進化した。
     われわれのからだを構成する分子は脆くて壊れやすいつながり方でつながっている。
     だから化学反応が可能で、全体として信じられないような生体のシステムが生まれた。
     強い結合で結ばれれば鉱物になってしまう。
     鉱物は何億年経ってもほとんど変化がない。
     人間は柔らかい生き物だ。
     その柔らかさ、脆さ、危うさが人間を人間たらしめている」
    あまりにも繰り返し読んでいて、私の人間観の基ともなっていますが、これって言葉が変われば、そのまま「無常」を表現しているものだと思っています。
     私たちは無常(変化)だから生まれ育ち、変化するから老い病み死んでいく。
    無常には良いも悪いもない、変化するから私たちはこうして在ることが出来る。
    だから無常は厭うものではなく、受け入れその都度真摯に対応するのが最も良い身と心の処し方と言えるのでしょう。
     
     残念なことに、新型コロナとの付き合いはもうしばらく長引きそうです。
    私たちが成すべきは、こういうこともあるさと腰を据えて向き合って、日々対処して自分と周りを整えていくことなのでしょう。
    それこそ疲れないようじっくりと。
                                  祥雲寺副住職 安藤淳之
    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

    日時:3月23日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

    6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

    7時20分~8時    (二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    注意:初めての方は最初に指導を行います。

    その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています

  • 令和2年3月 観音朝詣りのお知らせ

    2020年3月17日

    春を迎えた祥雲寺

    梅園の咲き誇る梅と羅漢さん

     コロナウィルスの蔓延で、重苦しい日々が続いています。9年前の大震災の後にも匹敵する感があります。
     
    放射能もコロナウィルスも見えないものです。
    しっかりした情報がない状態では不安がつのります。
    伝染病の場合には自分が罹(かか)ることによって、まわりの人に移す加害者の立場になりかねないという不安も起こります。
     小学生だった昭和30年代、学校でも、大人たちからも、伝染病の恐ろしさをくり返し教えられました。
    当時の人たちは、結核や赤痢の恐ろしさを身近に経験していました。
     しかし、戦後生まれの私たちは、身に迫って伝染病の恐怖を感じたことはなかったように思えます。
    治療薬が次々と開発されました。
    医学の進歩は著しく、信頼も厚かった。
    衛生環境も格段によくなった。
    もう、伝染病の大流行などあり得ないとなんとなく考えていました。
     今回はウィルスの蔓延を防ぎきれないように思えるため、信頼が崩れ、国民全体が浮き足立ってしまいました。
    いま大切なことは、専門家の指針をきちんと守って一人一人が対処するとともに、必要以上に恐れないことです。
    もし蔓延してしまったら、このウィルスと付き合っていくしかない。
    今までのインフルエンザと同じように。
     新型コロナウィルスに対しても、きっと近いうちに治療薬ができるでしょう。
    現在は従来のインフルエンザよりは恐ろしいけれど、国民全体の適切な対処の積み重ねで、2020年にこんな大騒ぎがあったと、記録されるだけのことになるでしょう。
     恐れるべきでないと言いましたが、人間を恐怖に陥れることはこれからも繰り返し起こってくると思います。
    そしていつの日か、本当に対処しきれないような危機が訪れるかもしれません。
     実際、震災では自然に対する人間の無力を感じました。
    原発事故では、人間の生み出した技術を自らがコントロールできませんでした。
    抗生物質の多用によってどんな薬も効かない細菌が生まれるかもしれません。
     しかし、そんな中でも人間は生き続けるしかないのです。
    無常にして弱いものであることを自覚して。
    勇気を持って。
     令和2年3月15日
                  宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時から行います。
  • 令和2年2月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2020年2月23日
    利行は一法なり、普く自他を利するなり
                          修証義第四章 四摂法(ししょうぼう)
     
    先日テレビをつけてみて、NHKで昨年行ってきたミャンマーの映像が流れていたので懐かしく視聴しました。
    世界ふれあい街歩き、黄金輝く仏教の街マンダレ、という番組です。
     
    マンダレというのはミャンマーの旧首都です。
    日本で言えば京都のような場所で、王宮を中心に碁盤の目のように整然と建物が並ぶミャンマーの古都です。
    冒頭に東南アジアの都市で見かける、街の広場で早朝に大勢集まって太極拳や健康体操をしている人たちが映されて、その中でヒップホップを踊っていた中年のご婦人が、大変印象深い受け答えをされていました。
     
    撮影者が「この町はどんな街ですか?」と尋ねると
    女性は「困っている人を助ける街よ」と答えたのです。
     
    これは、中々出てくる言葉ではないでしょう。
    なんとも素敵な受け答えではないでしょうか。
    ですが、女性もその周りも、なんてことはない当たり前の認識として答えていたのです。
     
    番組の中では様々な人が映されて、多くの人が良いことをする、功徳を積むことで幸せになれると話されて、他者への施しをして手を合わせ、また種々の形で徳行を実践していました。
     
    我が宗祖道元禅師の著書に
    「利行は一法なり、普く自他を利するなり」という言葉があります。
    人のためになる行いとは決して一方的な、損をするだけのものではない。他者の為の行いとは翻って自分の為の行いともなるのだ。損得ではかれるものではない尊い淨行なのだ。
    意訳するとこのような意味となるでしょうか。
    ミャンマーの人々は、他者の為に心を配り分け与える事こそが「普く自他を利する」、他人と自分をそして世界を幸せにする道なのだと理解しているからこそ、世間的には損をしていても皆笑顔で幸せそうにされているのでしょう。
     
    頭の下がる光景でした。手を合わせたくなる尊さのある光景でした。
    いずれまた、お参りの企画を立てて訪ねたいとの思いを新たにしました。
                        祥雲寺副住職 安藤淳之
    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

    日時:2月24日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

    6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

    7時20分~8時    (二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    注意:初めての方は最初に指導を行います。

    その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています

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