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令和6年7月 朝坐禅会「指月の会」案内(7月22日朝6時半より)
2024年7月21日いまだあきらめざれば人のためにとくべからずとおもふことなかれ 『正法眼蔵・自証三昧』
先日栃木足利市で開催されている相田みつを展に行ってきました。
この七月八月は生誕百年記念として、故郷足利の市立美術館で展覧会が行われています。
足利市の商店街とも連携しているようで、下野新聞やNHKのとちぎ630でも度々取り上げられていて、広報にも力を入れているようです。
先日足利の人と話す機会がありましたが、当の足利住民にはあまり周知されていないようです。
足利の方からお話を聞く分には、まだ生前の相田さんをご存じの方も多く、郷土の偉人として見るには違和感があるのかな、といった処のようです。
東京の相田みつを美術館も工事の為閉館してしまった事ですし、故郷の足利ででも常設展示されて欲しいものですが、中々難しいのかもしれません。
私は東京に出た時、待ち合わせの時間まで待つ等の合間時間には、よく有楽町の相田みつを美術館に行っていました。
静かな空間でくつろげるし仏教の勉強にもなるし、なにより励まされる思いで鑑賞できたからです。
相田さんは曹洞宗の坐禅会に長く通い、人生の師と仰いだ武井老師はまさに曹洞宗の禅僧です。
ご自身でも道元禅師の著作正法眼蔵を深く読み解かれ、作品の多くに禅の思想が息づいています。
その作品がこれほど多くの人に支持され、感銘を与えている事実に、私は励ましを貰っていました。
伝え方を工夫しなさい、と。
私が学び見つけ伝えようとしている仏法は間違いなく素晴らしいものなのだ。
今を生きる人の耳目に適した形に整えたなら、多くの人に響くではないか。
伝え方を工夫するべきなのだ。
我が宗祖道元禅師も言われています。
いまだあきらめざれば人のためにとくべからずとおもふことなかれ
悟りを得ないで他人に説くべきでないと思うのはまちがいである。
人に法を説くとは、自分が法を聞くということである。
究極、自他共に悟り到る事もある故に、導く工夫をすすむべし。
だから、先人からの借り物の言葉で飾り鎧うばかりでなく、仏法を戴いた今を生きる自分の命から生まれる言葉で語ることを躊躇するな。
私には相田さんの作品から、その歩みから叱咤激励を貰ってもいました。
昔から、お寺が社会で果たす役割は二つあるのだと思っています。
一つには仏法の道場としての役割。
仏の教えに触れて、その妙味を感じ身と心を静めて、更には実践に望める仏法の空間、心の道場としてのお寺。
一つには慰霊供養の場としての役割。
檀家信徒の大切な方やご先祖を弔い祀り祈るのに相応しい場、供養の施設としてのお寺。
どちらも欠かすことの出来ない、大切な役割です。
この二輪の役割を伝わる言葉で語り果たしていくことが、社会に生きる人々の求めに応じる事であるのだと、お寺を預かる住職の勤めであるのだと思っています。
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は8月26日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています -
令和6年6月 朝坐禅会「指月の会」案内(6月24日朝6時半より)
2024年6月23日衆生無辺誓願度 「四句誓願文」
祥雲寺海外仏跡参拝第三弾、インドネシアボロブドゥール仏跡参拝旅行に行ってきました。
大変楽しい旅となり、また違う文化圏違う宗教の国に行くというのは、これまでと違った見方を体験できる得がたい機会でもありました。
インドネシアはかつてはヒンズー教と仏教の国でしたが、現在ではイスラム教徒が八割の国で、仏教徒は人口の1%未満程だそうです。
戦後の頃に中国系インドネシア人の僧侶ジナラッキタ師を中心に仏教の復興運動が興りました。
ジナラッキタ師は観音信仰の家に育ち、長じて大乗と上座部両方の教えを受けられて、だからこそ
どんな形の仏教であれ、それが等しく釈尊の教えを受け継ぐものならば、必ず優れた思想を含んでいて、尊重することが大切であるとのスタンスをとり、宗派や人種など様々在る垣根を越えてイスラム教徒が大半の国に仏教の花を再び開かせました。
「純粋な仏教などあり得ない。仏教徒であることが第一に重用だ」という言葉に、師の姿勢が良く表れています。
最近『ブッダという男 初期仏典を読みとく』という本を読み、色々と考えさせられました。
曰く、仏教学を学び古典を紐解く者は釈尊を現代の価値観から見ても理想の人格者として強調する誘惑に常に駆られる。
今日の倫理道徳規準から見ても遜色の無い、先駆的な偉大な人物であると描き出す風潮がある。
著者は学者としてそこに疑義を唱え、可能な限り脚色を交えない、紀元前のインドに生きた一個の人間で在り、また様々な壁を乗り越えた特異な人物である釈尊を見いだそう、と挑戦する本でした。
私も講義の先生から釈尊は説教の際には弟子達に「友よ」と語りかけて上下の別無く交わられていたと聞いたりもして、思い当たる節が色々浮かんできます。
学問的研究の発展により、昔は釈尊の直言と言われていたお経が、後世の僧侶による創作「偽経」であると示される事など、根拠としていたものが曖昧になったり崩れたりする事はままあります。
であるならば、仏教は学術的に間違いの無いもののみで語られるべきものであるのか。
私はそうは思いません。
今日を生きる私たちが頂く仏教は、今の環境や社会の中で惑い悩み乱れる心の問題にどう対応するのか、が第一で無くてはなりません。
仏教は世界各地に伝わって、その土地の文化や環境に沿って柔軟に形を変え、適応してきました。
そこに生きる人々のあり方に適して応える教えとなるため、変わってきたのです。
時代風俗文化環境に合わせ、しかし仏の教えの根っこを失わない有り様こそが仏教なのです。
時折、原始仏教つまり釈尊の説いた教えそのもの以外を認めない、という言説の方を見かけますが、私はそれに賛同しません。
歴代の教えを伝えてきた祖師方は、今この土地に生きる人達に届く言葉を磨いて、だから今日の形となったのです。
私は、仏教とは、仏さまの様な心で生きる術を説く教えであると理解し納得しています。
この時代この地に生きる私たちがどうしたら仏心に生きる事が出来るのか、それは紀元前のインドで生まれた言葉や作法のままでは適用しきれません。
故に現代の僧である私の役割は、今にあわせた言葉で語る、意訳も交えた翻訳者だと思っています。
私は現代でこの教えの流れを引き継ぐ者として、大切なものを受け継ぎ育み伝えていけるよう、精進してゆきたいです。
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は7月22日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています -
令和6年祥雲寺インドネシア仏跡参拝旅行 報告
2024年6月22日去る6月2日より、総勢21名の団体としてインドネシア参拝旅行に行ってきました。
これまで祥雲寺では平成28年インド仏跡参拝旅行、31年ミャンマー仏跡参拝旅行を行い、コロナ禍の延期を経て今回が第三回目の海外仏跡参拝企画となります。
今回の旅はインドネシアの古都ジョグジャカルタ周辺を回り、バリ島に渡って観光する行程です。
首都からジョグジャカルタに入り、第二次大戦での日本軍南進の目的地となった石油産出地を守る砦跡を通過して、ボロブドゥール仏教遺跡に到着しました。
かつて栄えた仏教国が築き上げ、火山灰と土砂で埋もれる事で往事の壮大な姿を残し世界遺産となったボロブドゥール(丘の上の僧院)は、時代も宗教も超えて見る人の目を瞠らせていました。
イスラム教徒が大半を占めるインドネシアで、大戦後に仏教を復興させた中国系インドネシア人の仏教僧侶ジナラッキタ師は、毎年ボロブドゥールで例祭を行う伝統を作りました。
仏教は一部の人のみ信仰する劣った教えではなく、我々の先祖が信仰してこのような壮麗な遺産を築いた素晴らしいものなのだと説いて、人口のわずか1%未満なれど数百万の仏教信者を集めたそうです。
かつての王国で信仰された大乗仏教に則り、空の智慧を説く般若心経を皆で唱えて参拝しました。
頂上からの眺望は30度を越える南国の熱波を忘れさせる爽やかで澄んだ空と大地でした。
古都の王宮やヒンドゥー教の遺跡を回り、空路でバリ島に渡りました。
バリ島は世界的に有名な観光の島です。
ホテルのビーチはまさに南国のバカンス空間そのもので、長期滞在できないことが悔やまれます。
中部にあるウブド王宮と棚田を観光し、大変な見応えのケチャックダンスを観覧して帰路に就きました。
インドネシアは国是として国民全てに宗教への信仰が求められ、イスラム教キリスト教に並んで少数ながら仏教も信仰されています。他民族他宗教の広大で複雑な国です。
イスラム教圏の国で仏教遺跡のお参りをする不思議、なじみの無い信仰と価値観の土地から見る世界は色合いが違って見えて、馴染んだ常日頃から脱却して違う景色を見つけられる事が旅の醍醐味なのだと改めて思い出させてくれました。
祥雲寺 安藤淳之
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6月 朝詣りの会お知らせ
2024年6月22日諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 (三法印)
諸行無常という言葉がお釈迦様の教えの第一番目の真理であることはよく知られています。
しかしこの教えは仏教だけのものではありません。
全てのものは移ろい変わりゆくという意味ですから、誰もが知っている、いわば当たり前のことです。
一般に、真理といわれるものには、たゆまぬ研究、研鑽に依ってたどり着くと思われています。
しかし、仏教は目の前にある現実そのものを真理としているのです。
人間の苦しみは、人間が自分(自己)というものを持ち、それに囚われていることから生まれます。
諸行無常の現実は、自分がかくありたいと願うことを次から次へと壊してしまいます。
結局自分の思い通りになるものは何も無いのです。
ですからお釈迦様は、苦しみから解放されて生きていくために、自己への囚われを無くすことを説かれたのです。
仏教は人間が幸せに生きるための教えです。
ところで生きるためのエネルギーは欲です。
欲が無ければ生きることは出来ません。
欲を否定することは出来ないのですが、欲は囚われの素となり煩悩ともなります。
仏教は欲を否定するのではなく、それをよくコントロールしていく道を示しているのです。
お釈迦様は遺言の教え「遺教経」で無欲ではなく少欲を説いていらっしゃいます。
自己中心で欲を抱えた人間が、千変万化の諸行無常の世界との関わりの中で生まれてくるおのれへの囚われには無限のケースがあります。
経論にたくさんの教えが説かれているのはそのためです。
忘れてならないのは、常に現実に即している教えであり導きであるということです。
諸行無常の教えとは、世の無常を観じて諦(あきら)めることだと思われがちですが、徹底的に現実に即し、その変化に応じ、生きる道を明らかにしていくことでもあるのです。
諦(あきら)めは、ものごとを投げ出すことではなく、明らかにして積極的に生きることなのです。
令和6年6月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
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6月の諸行事
2024年6月1日6月の諸行事 ご興味のある方はお問い合わせ下さい。
■海外仏跡参拝旅行第三番 インドネシアボルブドゥール仏跡参拝、バリ島観光旅行
6月2~7日
■曹洞宗大本山總持寺 瑩山禅師700回忌大遠忌
宇都宮教区本山参拝日帰り旅行 6月17日
祥雲寺 本山参拝日帰り旅行 6月24日
■雀宮善應院坐禅会(第四水曜日のみお休み)
宇都宮南町1番36号「善應院」にて毎週水曜日(第四以外)夜6時から行っている坐禅会です。
6月5日、12日、26日
■月例坐禅会「指月の会」(6月24日)
祥雲寺本堂にて毎月第四月曜朝6時半から行っている坐禅会です。
■テラヨガ(ヨガ教室)
阿久津先生指導の下第一第三金曜日10時半から。初心者クラスは第二第四金曜日10時半から
6月7日、14日、21日、28日
■陶芸教室「祥陶会」
駐車場下の作陶場にて毎週火、木午後1時から行っています。
■石彫会「羅漢の会」
毎週土曜午後、駐車場作事場にて石仏の彫刻を行っています。指導は松原「金野石材店」
■茶道教室
月二回火曜日午後1時半から、裏千家平山尚子先生のご指導の下行っています。
6月11日(別会場) 25日
■写経会
写経会は5月から11月、第二日曜日午後2時から行っています。
6月9日
■御詠歌
6月13日 10時~12時 東堂指導御詠歌
6月18日 13時半~15時半 長岡公民館御詠歌
■フラワーアレンジメント教室
南宇都宮駅前「フラワー花亀」亀井先生指導の下第四水曜日午後1時半より行っています。
6月26日
■折り紙教室
カルチャースクール講師長谷川京子先生指導のもと第3水曜日午前10時よりより行っています。
6月19日
■クラフトペーパー教室
同じくカルチャースクール講師長谷川先生指導のもと第2月曜日午前10時より行っています。
6月10日
■観音朝詣り
境内33観音霊場を18日朝にお参りするミニ巡礼会です。開始時間は季節により前後します。
今月は午前 6 時 から
祥雲寺℡(028)622-5719