ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

新着ブログ

  • 令和3年7月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2021年7月25日

    今年も中旬から蓮の花が咲き始めました。

    八月いっぱい、時には9月頭まできれいに咲いています。

    正語 八正道
     
     5月に引き続き、八正道3番目の正語をテーマにします。
     
     5月の案内で八正道の説明を取り上げました。
    世に生きる迷い悩み苦しみを滅する事の出来る術がある、それには八つの正しい行い、道を歩みなさいというものです。
    私の大学時代の先生は、仏教とは業すなわち習慣の宗教と説かれていました。
    ある講義で、こんな交通標語で説明をされていました。
    「交通マナー、守るあなたが守られる」
    交通マナーを守ることによって、道路で起こりうる交通事故から身を守ることが出来る。
    守ろうとする意識や習慣が、様々な害からむしろ身を守ってくれるようになる。
    仏教における戒、盗まない殺さない犯さないなどの、しないことを誓うのもこれと同じです。
    悪いことをせず、良いことを心がけ、習慣としていく。
    繰り返し身に付き習慣となったそれが、自ずと善きを選び悪しきから遠ざかる自分にしてくれる。
    業、すなわち習慣の功徳こそ肝心と教わりました。
     
     正語、正しい言葉。
    正しいとは何であるのか。
    先月仏教における正しいとは「中道」、極端によらず適正で中正な行為を模索し歩むことと書きました。
    欲に流されず、さりとて無欲にこだわるのではない、物事を片側から見るのでなく、中心から、偏りのないところから見ようとする姿勢です。
    偏りから、こだわりから離れた、つまり二辺から遠離した道を歩むことが中道です。
     
     ではこの中道を踏まえた上で、正語正しい言葉とは何であるのか。
    我が曹洞宗の高祖道元禅師は著書『正法眼蔵』の中でこの言葉で正語を説かれています。
    「口宣掛壁」(口は壁に掛けておく)
    口は災いの元、等の言葉でもありますが、言葉は時に自他を縛るものとすらなるものです。
    ある老師の説法にありましたが、
    言葉は自らの意思のままに用いるのではなく、壁に掛かる風鈴のように、どんな方向からどんな風が来ようとも澄んだ音色を響かせている、自らの口も又そのように用いなさい、という説明が私には納得できるものでした。
    だから私は、人と話すときお坊さんらしく話そう、と心がけています。
    仏さまのような心に生きる道を歩む者として、仏法に生きる身として、常に「らしく」話すことが出来る様務めています。
    今は意識して行っていることでも、積み重なって習慣となって、何れは風鈴が涼やかな音色で聞く人を和ませてくれるように、活きた法の言葉を響かせることが出来る様に、励んでいます。
     
     偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
    欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
    坐禅の時間とは、静けさに生きる時間です。
    我を離れることの出来る閑かな時間を、御一緒にいかがですか?
                             祥雲寺副住職 安藤淳之
    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
    初めての方は15分前に来てください。
    次回は8月23日となります。
    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています。
  • 令和三年7月 観音朝詣り

    2021年7月17日
     仏陀は神様より偉いのか。
     お釈迦様は菩提樹の下で悟られた後もそのまま禅定に入られたままでした。
    それを見ていた大梵天は、せっかく悟られたのに説法をして下さらなければ私の作ったこの世界は滅びてしまうと危惧し、お釈迦様に説法、すなわち悟りの世界からの教えを説いて下さるよう懇願しました。
    お釈迦様はその願いを受け容れて、ベナレスの町に行き、最初の説法(初転法輪)をされました。(増一阿含経第十勧請品)
     梵天勧請といわれるこの話は、非常に深い意味を持っています。
     大梵天はインドでは、私たちの住むこの世界、娑婆世界を作った神様です。
    ほかの宗教なら、天地創造の絶対神であり、教えを請うてひれ伏すなどありえません。
    どうしてそうなるのか。
     
     それは、大梵天が主(あるじ)なのは「この世界」だけで、実際には三千世界と言われる無数の世界があるからです。
    これらの世界を普通の人間は見ることはできません。それは、仮に世界と名付けるだけで、物質でできているかどうかも分からない、人知を越えたものであるからです。
    これを仏教では「不思議」という言葉で言い表します。
     
     言い換えれば、人間の知力には限界があるということを示しているのです。人間が、持って生まれた肉体で物事をとらえ、組み立て、判断していることから来る限界です。
     お釈迦様は、この三千世界を貫く真理(ダルマ)を悟られた方、仏陀なのです。悟りは「知る」ではありません。人間的な知を越えたもので仮に如来智と名付けます。
     悟りの前では、我々の前にある全ての事象が相対化します。それは神さえも例外ではありません。仏陀が神より偉いのではなく、どちらが偉いのかという考えが否定されるのです。
     三千世界も、人知を越えた悟りがあることも、お釈迦様が悟りを得たことも、私たちには証明することができません。ですからこれは信仰です。その教えが、ひとつひとつ我が身に照らして納得でき、救いとなるとき仏教徒となります。
     仏教はお釈迦様が仏陀であることを信じる宗教です。
     
     令和3年7月15
    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時から行います。
  • 7月の行事案内

    2021年6月30日

    もうじき6月も終わり、夏の到来と同じく蓮の季節です

    例年は7月上旬には咲いていました。

    7月の諸行事 ご興味の方は電話にてお問い合わせ下さい。
    ■宇賀耶べんてん祭り
     7710時より、境内べんてん堂にて例祭を行います。祈祷札1,500円申し込みはお電話にて。
    ■雀宮善應院坐禅会(第四水曜日のみお休み)
     宇都宮南町136号「善應院」にて毎週水曜日(第四以外)夜6時から行っている坐禅会です。
      77日、14日、21
    ■月例坐禅会「指月の会」
     祥雲寺本堂にて毎月第四月曜朝6時半から行っている坐禅会です。
      7月26日
    ■テラヨガ(ヨガ教室)
     この春からの新企画。阿久津先生指導の下第一第三金曜日午前10時半から行っています。(今月は第三第五)
      716日、30
     新たに初心者クラスを設けました。第二第四金曜日午前10時半から行います。
      79
    ■陶芸教室「祥陶会」
     駐車場下の作陶場にて毎週火、木午後1時から行っています。
      平常開催
    ■石彫会「羅漢の会」
     毎週土曜午後、駐車場作事場にて石仏の彫刻を行っています。指導は松原「金野石材店」
      平常開催
    ■茶道教室
     月二回火曜日午後2時から、裏千家鈴木宗陽先生のご指導の下行っています。
      76日、20
    ■写経会
     写経会は5月から11月、第二日曜日午後2時から行っています。
      7月11日午後2時 本堂一階
    ■御詠歌
     祥雲寺住職、並びに栃木市豊栖院飯塚先生の指導の下月2回行っています。
      祥雲寺御詠歌会 71日(住職)   午前10時~正午 受付二階
              722日(飯塚先生) 午前10時~正午
      長岡地区御詠歌会712日(住職)  午後1時半~   長岡公民館
    ■フラワーアレンジメント教室
     南宇都宮駅前「フラワー花亀」亀井先生指導の下第四水曜日午後1時半より行っています。
      728日(水)
    ■折り紙教室
     カルチャースクール講師長谷川京子先生指導のもと第3水曜日午前10時よりより行っています。
      721日(水)
    ■クラフトペーパー教室
     同じくカルチャースクール講師長谷川先生指導のもと第2月曜日午前10時より行っています。
      712日(月)
    ■観音朝詣り
     境内33観音霊場を18日朝にお参りするミニ巡礼会です。開始時間は季節により前後します。
     今月は午前 6 時から
  • 令和3年7月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2021年6月27日

    7月7日はべんてん祭り。去年は出来ませんでしたが今年は注意しながら開催準備を進めています。

    正思しょうしゆい  八正道
    5月に引き続き、八正道2番目の正思惟をテーマにします。
     先月の案内で八正道の説明を取り上げました。
    世にある迷い悩み苦しみを滅する事の出来る術がある、それには八つの正しい行い、道を歩みなさいというものです。
    私の大学時代の先生は、仏教とは業すなわち習慣の宗教と説かれていました。
    ある講義で、こんな交通標語で説明をされていました。
    「交通マナー、守るあなたが守られる」
    交通マナーを守ることによって、道路で起こりうる交通事故から身を守ることが出来る。
    守ろうとする意識や習慣が、様々な害からむしろ身を守ってくれるようになる。
    仏教における戒、盗まない殺さない犯さないなどの、しないことを誓うのもこれと同じです。
    悪いことをせず、良いことを心がけ、習慣としていく。
    繰り返し身に付き習慣となったそれが、自ずと善きを選び悪しきから遠ざかる自分にしてくれる。
    業、すなわち習慣の功徳こそ肝心と教わりました。
     正思惟、正しい考え方。
    正しいとは何であるのか。
    先月仏教における正しいとは「中道」、極端によらず適正で中正な行為を模索し歩むことと書きました。
    道の人、道を学ぶ者が実践してはならない二つの極端がある。
     その二つとは何か。
     一つはもろもろの欲望のままに快楽にふけり、下劣、野卑で、愚かな行いであり、高尚でなく、為にならないものである。
     他は自ら身体を苛むことに耽り、苦しみであり、高尚でなく、為にならないものである。
     人格を完成した人はこの両極端に近づかないで中道をはっきりさとった。
     それは見る眼を生じ、理解を生じ、心の安らぎ、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃に向かうものである。
                                            『相応部経典』
     欲に流されず、さりとて無欲にこだわるのではない、物事を片側から見るのでなく、中心から、偏りのないところから見ようとする姿勢です。
    偏りから、こだわりから離れた、つまり二辺から遠離した道を歩むことが中道です。
     ではこの中道を踏まえた上で、正思惟ただしい考え方とは何であるのか。
    我が曹洞宗の高祖道元禅師はこの古語を引用して正思惟を説かれました。
    「不思量をどのようにして思量する? 非思量」
    意訳するならば 考えるのでないことをどのように考えるか?答えは考えないことだ。
    頭で考えようとすると難解この上ない文ですが、坐禅をしてみるとそのまますとんと腑に落ちます。
    偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
    欲から離れた、我を起点としない時間。
    これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
    我を離れることの出来る閑かな時間を、御一緒にいかがですか?
                    祥雲寺副住職 安藤淳之
    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
    初めての方は15分前に来てください。
    次回は7月26日となります。
    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています。
  • 令和三年6月 観音朝詣り

    2021年6月20日

    7月7日はべんてん祭り。去年は出来ませんでしたが今年は行えるよう準備を始めています。

    今年は感染の懸念が無いよう対処して行いたいです。ご興味の方はお電話ください。

     

     NHKの「チコちゃんに叱られる」で面白い話がありました。
    にぎり寿司一人前はだいたい10個(10)と決まっているそうで、どうしてそうなのかという話でした。
     戦後まだ統制経済だった時、寿司屋さんは営業が出来ませんでした。
    配給制で営業用の米がないのですからどうしょうもありません。
    その時、東京都内の老舗寿司屋さんたちが、お米を一合持ってきてくれば、10個のにぎり寿司にしてお出ししますという、法律で禁じられていない食品加工の方式を考え出したのだそうです。
     それでも、店を開けるのには知事の認可が必要で、魚も統制されていたので許可されなかったのですが、野菜を代わりに使うということでようやく開店できたとのことです。
    カッパ巻きがその産物だということでした。
     果たして客が来てくれるか不安だった開店の日、お米を持って次から次と人が来て嬉しかった思い出を、老舗の老体が語っていました。
     今も昔も寿司は贅沢品ですが、無理をしてでも美味しいものを食べたいという人間の本性は変わらないということでしょう。
    おかげで江戸前寿司の伝統が守られたという結論でした。
     この話を聞き、私は工夫という言葉を思い出しました。
    工夫は、手間暇をかけて物作りの思案をするというのが元々の意味です。
    たとえば、なにか物を作っているときに起きた問題を、培われた技術と発想を変えた考えで解決し、目的を達成したり、新しいものを作り出したりすることです。
     寿司屋さんには修業を積んだ技術があります。
    美味しいものを作って人の喜ぶ姿を見たいという意欲もあります。
    ただ肝心の食材がないという大困難を、お米を持ってきてもらうという発想の転換で解決したのです。
    商売が続けられるか?
    江戸前の伝統が自分たちで終わってしまわないか?。
    切羽詰まったからこそ生まれた解決法だったのでしょう。
     禅も工夫を大切にします。
    自己を見つめ、切羽詰まったときに、自己を捨てるという大転換がなされ、無心に坐禅に精進することを禅宗では工夫というのです。
     令和3年6月15
    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時から行います。
祥雲寺行事案内

祥雲寺で行ってる月例行事や年間行事、その他法要・祭りなどについてのご案内です。 行事カレンダーもご確認ください。