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令和6年8月 朝坐禅会「指月の会」案内(8月26日朝6時半より)
2024年8月27日直指人心 見性成仏 『四聖句』菩提達磨
先日東京国立博物館で開催している神護寺展に行ってきました。
お盆明けで天候不順の大雨が降ってくる平日だったので、来場者もまばらで空いてる中で見て回れるかと思いましたが、中々に賑わっていたので意表をつかれます。
高雄曼荼羅をはじめとした平安期の素晴らしい仏教美術を間近に見ることが出来て、八月の時間が無い中でも頑張って行って大正解でした。
見終わって帰りの電車まで時間が在った為、久しぶりに本館の常設展まで足を伸ばしてみました。
東京国立博物館の常設展は教科書にあるような国宝がゴロゴロしているので、書画骨董に興味が出たらいつでも満足させてくれる良い場所だ、と先代住職と度々話題になったりもします。
久しぶりの常設展本館は賑わっていて、見ていると客層がキレイに三分割されていました。
学生の若い集団と、年配の割合が多い一般観覧者と、これまた若い人が多い外国人旅行者です。
なるほどここはインバウンドの人が日本文化を知るには最適な場所です。
二階部分では日本の仏教美術が区分けして展示され、禅宗系のコーナーもあります。
其の中に江戸期の大名茶人として有名な松平不昧公の書がありました。
「直指人心見性成仏」
禅の大切な言葉ですが、展示物の解説書きが些か大雑把でちょっと残念に思います。
この言葉は中国禅宗の祖、菩提達磨が説いたとされる四聖句です。
学説的には後代になって整理された時に作られた言葉だそうですが、初期禅宗の根幹を現す言葉であることは間違いありません。
辞書の解説では、人間が本来備えている仏性(仏と成る素質素養)を体現し仏に到る、と解説されていますが、私にはある老師の説かれていた解説の方が印象深いです。
「祖師西来の意」の禅問答とかけあわせて
達磨はどうしてインドからわざわざ中国まで渡来したのか?
迷える人々を指さし、揺れ惑うその心こそが仏なのだと指し示すために達磨は海を渡ったのだ。
すとんと腑に落ちる言葉です。
私にはこの言葉の裏打ちとなる、納得する根拠となる体験があります。
二十年前の永平寺での修業時代、12月に行う蝋八摂心という大修行があります。
朝四時から夜九時まで1週間、ひたすら坐禅し続ける行事です。
修行の6日目、坐禅をしながら食事を取るため給仕役として坐禅の部屋に入ると、そこには部屋いっぱいの生きたほとけさまがいました。
厳めしい御老師も、顰めっ面の古参も、一緒に苦労をしてきた若輩者の同期生達も、皆ほとけさまとしか言いようのない、手を合わせて拝みたくなる姿でいました。
当時の永平寺住職宮崎奕保禅師は、坐禅をすれば善き人となると説かれましたが、これは全く正しい言葉です。
私の本当の修行、道を求め深めようとする求道はここから始まりました。
坐禅を行ずる時、私たちは仏の眼差し仏の心を体感し、安住することが出来ます。
達磨大師が指し示した様に、この心こそが仏なのだと感じられる坐禅会を試行錯誤していきたいと願います。
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は9月23日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています