2021年5月23日

茶道教室。火曜日に行っています。
正見 『八正道』
上記の「正見」は釈尊最初の教え、四諦八正道のものです。
四諦とは、苦集滅道、世間に自分の思い通りにならない苦しみがある、その苦しみには原因がある(集)、その苦しみを滅する事が出来る、滅する事で苦悩を離れ安楽の境地に到るには正しい道を歩みなさい、という教えです。
正しい道、というのが八つの正道則ち八正道です。
・正しい見方(正見)
・正しい考え方(正思惟)
・正しいことば(正語)
・正しい行い(正業)
・正しい生活(正命)
・正しい努力(正精進)
・正しい念い(正念)
・正しい心の統一(正定)
八正道とは人間の身体と口と心との三種類の行為をすべて正しく日常の中で実践することによって苦をなくす方法です。
世間は自分の思うようにならないことを自覚し、ものにとらわれ、こだわり、なずむ等の心のはたらきをなくしていくよう自分を習慣づけていく行為、と言えるのでしょう。
では正見とは、正しい見方とはどのようなものであるのか。
正しいを考える時、私はいつもある戦争物語のラストシーンの台詞を思い出します。
「僕たちはみんな自分が正しい、正義だと思っている。
その正義を互いにぶつけ合うから、争いになる。
だから戦争は無くならない」
正しい、正義は時代環境で変化し、時に個人や集団の欲望を肯定する道具となり争いの火種となり、とんでもない差別をも生み出します。
以来私は、正しいというのは水物だ、と思っています。
状況に左右されてしまうあやふやな、偽りのありえるもの、検証を要するもの、と。
故に正見とは、千も万も正論があふれる中で、「最も適正で中正な行為、あるいは道」中道を見定めていく智慧を養うことに他なりません。
ある老師は
「正見とは則ち見解がない、ということだ。
世にある知識見解は全て自己愛や存在欲、『私が』という意識から生まれるものだ。
仏道はその渇愛煩悩、欲を乗り越える道なのだ。
正見とは、存在欲を離れ知識見解に依って立つ必要の無くなった、見解がない境地を言うのだ」
と説かれていました。
極端に依らず、我見を離れ、世間と調和のとれた、バランスのとれた観察を行い、偏りがない考え方や生き方を指向していく、見定めていくことが中道です。
中道の中にこそ心の平穏は実現し、そして坐禅はこの平穏の中に誰であれ安んじることのできる、安楽の法門なのです。
我見を離れることの出来る閑かな時間を、御一緒にいかがですか?
祥雲寺副住職 安藤淳之
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
初めての方は15分前に来てください。
次回は6月28日となります。
また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています。