2022年1月22日

お隣の昭和小学校3年生の地域訪問。境内を案内説明してからの質問時間。

門松飾りの本堂前で記念撮影
明けましておめでとうございます。
兵庫県の住職からの年賀状に「ブログを楽しみに拝見しております。」という言葉が添えられていました。
ホームページのブログにこの通知は転載しています。
とても嬉しくなりました。同じ日に大本山総持寺に登り修行を共にした人です。
僧堂(修行道場)での修行は、曹洞宗では道元禅師、瑩山禅師が定められた日常生活を実践していくことを基本とします。
洗面、暁天坐禅、朝課(礼拝看経)、朝粥(朝食)、作務(労働)、齋食(昼食)、法益(講義)、晩課(看経)、薬石(夕食)、夜坐。
世間一般の生活と変わらないことも祖師の教えに則って行うことが求められます。
例えば、食事、洗面、入浴、トイレ、睡眠などには懇切な教示があります。
僧堂での修行に入るのには、世間の中で形作られた自己を捨てることから始まります。
若年とはいえ、それぞれが培ってきた自己があり、それを棄てるのは容易ではありません。
外からの無理押しがなければ難しいといってもいいでしょう。
ですから最初の頃は先輩僧から怒鳴られっぱなしになります。
朝三時、四時起きで睡眠時間が少ないのは辛い。
暁天坐禅や夜坐には睡魔が襲います。
お粥や一汁一菜の空きっ腹での作務(肉体労働)も辛い。
一番辛いのは自分のプライドをズタズタにされることです。
そんな時に支えになるのは、同じく新入りの修行僧たちの助け合いと励ましです。
言葉を掛け合わなくても一所懸命に努めている姿を見るだけで励ましになります。
自己を捨てることと矛盾するようですが、「随所に主となる」ことが尊重されます。
与えられた役目を責任を持って成し遂げよとの意味です。
責任は主体性がなければ持ち得ません。
自分が、自分がという凝り固まった自己中心主義を捨てて、仏さま、祖師様のもとで自分が何をなすべきかを問うて行動すると言ってもよいでしょう。
年賀状の方は、本山が布教事業として行っていた少年研修館や婦人会の世話役を勤めました。
本山を下りてから教職に就きましたが、教育者としても立派な実績を残されたことでしょう。
真摯に務める姿が思い起こされる人ですから。
令和4年1月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前9時から行います。