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令和七年三月 朝坐禅会「指月の会」案内(3月17日朝6時半より)
2025年3月16日諸行無常 「四法印」
月の頭から大分暖かくなって、でも翌週には雪マークが着くくらいに気温が下がって、三寒四温といっても大分極端な気温変化が続いています。
しかしこの寒さからの暖かさ、私は実はちょっと前に熱い地域に行っていたので少し身に覚えが残っているのです。
私は先月下旬、タイに行ってきました。
栃木の曹洞宗青年会、お寺の若手の集まりで、会長職に就いていた人のお疲れ様旅行に久しぶりに海外に出ようと盛り上がり、二泊三日の弾丸スケジュールでバンコク研修旅行をしてきました。
タイは東南アジアの中でも指折りの仏教国で、眺めた観光ガイドでは国民の九割以上が仏教徒の国だそうです。
バンコクでも礼拝のための仏様をお祀りしたお堂がそこかしこにあって、道行く車のフロントには小さな仏様が備えられていたりもしました。
日本と違って石造りの寺院や仏像が多いのは、産出され加工しやすい以上に地震が少ないからなのでしょう。
いつもお墓を新しくする石塔開眼の際にお話ししているのですが、私は石造りの墓や仏像というのは、何年経っても変わることのない石の不変性、長い時を超える永遠性に願いや祈りを託したいという想いから産まれるものだと思っています。
お墓であるなら石の変わり様の無さに故人の存在やご縁を託すことが出来る様に、仏像であるなら尊い方の姿や教えの素晴らしさ有り難さが表され、遠い未来までも変わりなく伝わるように、といった想いから文化や人種の違いなく世界共通に人々が行っていることなのでしょう。
石のような鉱物に対して私達は、あっという間に変化していく有機物の、肉の体に生きています。
私たちは皆、何某かの縁によって結ばれ連なり、生まれ育って、やがて老い枯れ朽ちていきます。
全ては変化していく、留まることはない、ならばそんな変わりゆき捉えることの出来ないものに心縛られ囚われる必要なんて何処にも無い、無いんだ。
仏教ではこれを諸行無常と呼んでいます。
私には、この諸行無常を違う視点で教えてくれた、ある小説を今もはっきりと憶えています。
学生時代の頃に読んだ作家村上龍の小説の中で、ウィルスの猛威に無力を感じる人に老生物学者が静かに語ります。
「我々の体を構成する分子は脆くて壊れやすい繋がり方で繋がっている。
だから化学反応が可能で、全体として信じられないような生体のシステムが生まれた。
強い結合で結ばれれば鉱物になってしまう、鉱物は何億年経っても殆ど変化がない。
人間は柔らかい生き物だ、その柔らかさ、脆さ、危うさが人間を人間たらしめている。」
私たちは変化するからこそ何事かを成すことが出来る。
変わるものと変わらないものの違い。
変わらないものには成し得ないことを私たちは成せる、無常という道理はこんな受け取り方も出来るのかと、多面的な捉え方や受け取り方の大切さを今でも考えさせてくれます。
今祥雲寺ではまさに石造りの仏様方である五百羅漢が彫り上げられ、今年五百体完成が目されているところです。
良い形で未来へ伝えてゆけるように年末の完成開眼法要に向けて準備をしていきたいと思います。
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は4月28日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています