ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

座禅会 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

座禅会の記事

  • 28年5月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内

    2016年5月22日

     

    ただいま準備中の折り紙教室

     

    初めての作品。

     

    「仏道をならうというは自己をならうなり。自己をならうというは自己を忘るるなり。」

    『正法眼蔵現成公案』

     

    私は昔、福井県武生にある御誕生寺という修行道場で2年ほど修行させていただきました。

    御誕生寺というのは曹洞宗大本山總持寺の住職を務めた板橋興宗禅師様が10年ほど前に建てられたお寺です。

     

    禅師様は總持寺の住職を退任された後、曹洞宗の両祖である瑩山禅師の誕生の地に寺を建てるべきと言われ、土地の寄進を受け寄付者を募り托鉢をして、立派な修行道場を建立されました。

    その建立の最中、寺の軒先に猫が捨てられていた時があり、「可愛そうだから軒下においてやれや」と境内においてあげたところ、方々から猫をもらってくれないかと持ってこられて、あっという間に修行僧より多くの猫が境内にいる寺になってしまいました。

    ちょうど私が修行の為上山したころ、NHKの特集で全国放送され、今では猫のいる「猫寺」として大変有名なスポットになっています。

     

    そんな猫寺ですが、禅師様の教えを聞くために多くの人が参拝し、また参禅される修行の道場でもあります。

    様々なお話をされていましたが、その中でもよくお話しされていたのが「禅の奥義を教えよう」という流れのお話です。

     

    「人間は言葉を覚えた。この言葉のおかげで人間は進歩してきたが、同時に言葉のせいで縛られ、悩み、疲れる。

    坐禅の時間というのは言葉を用いない。グチグチ考えることなく、「今」を生きている。

    言葉というのは文明をもたらす力となり、また迷いのもととなる諸刃の剣と心得て、思考をやめるのではなく、必要以上に考え

    て悩まないこと。

    そうして今この時を生きている実感を持って、一歩一歩「いのち」を感じて生きることが大切だ」

     

    少し私なりの解釈がありますが、このようにお話しされていました。

    作務を一心に行っているとき、禅師様の暖かい笑顔と共に、この言葉をよく思い出します。

     

    祥雲寺副住職 安藤淳之

     

    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。

    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。

    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。

    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

     

    日時:5月23日(月)朝6時半~7時半(途中参加、途中退出可)

       6時30分~7時10分(今回は所要の為一回目の坐禅のみ)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。

     

  • 28年4月 早朝坐禅会「指月の会」案内

    2016年4月24日

     

    栃木県庁屋上展望室からの写真

     

    県庁の展望室は宇都宮市街全部を見通せます。

     

    「捨てれば必ず軽くなる 捨てて、軽やかに生きなさい」-『スッタニパータ』

     

    この朝坐禅会を初めてちょうど一周年となりました。

    何人もの方に来ていただいて共に修行の時間が過ごせることを、

    大変ありがたく感じます。

    初心を振り返る意味で、最初の文を再掲します。

     

    先日NHKの番組で、ぼんやり術の特集、というものがありました。

    静かなところで何も行わず、ただぼんやりとすることで、頭がすっきりして血圧が下がる等の効果があり学校教育にも取り入れられている、という内容でした。

     

    お寺では、昔からこれに類することを行ってきました。坐禅です。

     

    祥雲寺でも雀宮出張所「善応院」で毎週坐禅会を行ってきましたが、今年度より宇都宮の本堂で月に一度、第四月曜日の朝に坐禅会を行います。

     

    昔から禅寺では、朝に暁天坐禅という坐禅の時間を設け、心身を整えて一日の修行に向かってきました。

    心を落ち着け体の調子を整え思考をクリアにしてくれる坐禅は、「安楽の法門」ともよばれています。

     

    時間に追われる忙しい現代においてこそ、何にも取り組まず頭をからっぽにして「軽やかになる」時間を持つことは、とても必要なことだと思います。

     

    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。

    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。

    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。

    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

     

    日時:4月25日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

       6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

       7時20分~8時(二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。

     

  • 28年3月 早朝坐禅会「指月の会」案内

    2016年3月26日

     

    祇園精舎 アーナンダ菩提樹にて

     

    祇園精舎のほど近く、アングリマーラーの隠れ住んでいた石室

     

    指鬘改悔の所「・・大きなストゥーパがある。アングリマーラ(指鬘外道)が邪心を捨てた所である。」

    玄奘三蔵『大唐西域記』

     

    インドの北方、ネパールとの国境近くに祇園精舎があります。

    祇園精舎は数ある精舎(僧侶たちの修行場)の中で、お釈迦様が最も数多く留まられ、比丘たちと起居された場所です。

    この祇園精舎のほど近くに、この地を統治していたコーサラ国の首都舎衛城の遺構があり、その隣にアングリマーラの石室があります。

     

    アングリマーラは殺人鬼です。

    生まれた時町中の刃物が輝き、予言に凄まじい殺人鬼になるとまで言われましたが、王の顧問であった父の庇護のもと健康に育てられます。

    優秀な若者として育ちますが周囲の妬みを買い、それがもとで師匠があがめる神との約定、人間の指1000本を捧げるという契約を代行することになります。

    元来秀でていたアングリマーラは能力を発揮し、凄まじい殺戮をするようになってしまいました。

     

    人殺しを続けてまもなく1000本となる時、最後に生みの母親を殺そうとするのを聞いてお釈迦さまは哀れまれ、アングリマーラの前に立たれます。

    遠くにお釈迦様を見つけ、アングリマーラは「こら比丘待て」と言いますが、お釈迦さまは待たずに歩まれます。

     

    歩まれながら

    「お前が待ちなさい、私はとっくに待っているのだよ」

    と返されました。

     

    アングリマーラは、出家者はうそを言わないはずであるのに何を言っているのか、疑問に思い「何を言っている?」と問いかけます。

     

    お釈迦さまは

    「お前には心の汚れがある。怒りがある。憎しみがある。

    ずっと人殺しをし、生命を殺してきた。

    それではいつまでたっても限りなく輪廻転生して、地獄に落ちながら限りなく歩く羽目になるのだよ。

    私は心から一切欲をなくして、一切行為をなくして、

    完全に停止しているのだから、私はまさに止まっているのだ。

    私には地獄も、天国も、輪廻すべき場所は何もないのだ」

     

    それを聞いて真理を知り、アングリマーラは罪を悔いて出家し、お釈迦様の弟子となります。

    以後大変な苦労をしながら修行を続け、ついには長老と呼ばれるまでに長じられたとのことです。

     

    仏教というのは読んで字のごとく、仏の教え、そして仏となる教えであります。

    真理を知り、その智慧を自分の眼として観るとき、人は自らを苛む苦しみから遠ざかり離れることができます。

    その修行として、古来坐禅は行われてきました。

    人が清らかになる道とはどのようなものであるのか、アングリマーラのエピソードはそれを教えてくれています。

     

    祥雲寺副住職  安藤淳之

     

    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。

    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。

    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。

    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

     

    日時:3月28日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

       6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

       7時20分~8時(二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。

     

  • 28年2月 早朝坐禅会「指月の会」案内

    2016年2月21日

     

    インド、ベナレスへの道中、スパイス畑にて

     

    去る2月1日から11日、インド仏跡参拝旅行を行い、お釈迦さまが生きた遺跡を檀家さんとお参りしてきました。

     

    お釈迦さまは約2600年の昔、インドガンジス河流域に生きられた実在の人物です。

    自然の両面、恵みも災いも強く表れるインドの大地で、苦しみから離れる道を見出され、当時あらゆる階層の人々に清らかな安楽への道を説かれました。

     

    その歩みは亡くなられてもなお歴代のお弟子方によって受け継がれ、アジア全域に広まって多くの人々に救済の道を示し、今日も多くの国々で受け継ぎ育まれ伝えられています。

     

    その原点、実際に歩まれた数々の伝説上の遺跡は、今日発掘整備され世界各国の仏教徒に参拝されています。

     

    今回檀家さん方とこの仏跡を無事お参りすることができて、大変素晴らしい旅行になりました。

    また別の機会を設け、多くの人に仏縁を持って頂ける様企画していきたいと思います。

     

    祥雲寺副住職  安藤淳之

     

    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。

    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。

    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。

    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

     

    日時:2月2日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

       6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

       7時20分~8時(二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。

     

  • 28年1月 早朝坐禅会「指月の会」案内

    2016年1月24日

     

    今朝の祥雲寺参道。春を待つ雪中梅

     

    心意識(しんいしき)の運転を停(や)め、念想観(ねんそうかん)の測量(しきりょう)を止(や)めて作仏を図ること莫れ

    『普 勧 坐 禅 儀』永平道元

     

    二年ほど前に、雀宮善応院で行っている坐禅会にテレビの取材を受けたことがあります。

    宇都宮ケーブルテレビという所の放送で、新年を迎えるにあたりリポーターの心を清くして臨むため坐禅をする、といった筋立てだったと思います。

    テレビに映るのはもちろん初めてだったので、マイクを向けられて話すのは大変に緊張しました。

     

    色々と聞かれましたが、その中で「坐禅で得られるものって何ですか?」と聞かれたのが一番答えにくかったです。

    というのもその少し前、僧侶の研修会で坐禅の功徳について話をした所、指導の方から「君はまるで坐禅のセールスマンだな」と大変に痛いご指摘を頂戴したばかりだからです。

     

    坐禅は無所得無所悟(目的を持つことさえも止め、ただ坐る)で行うものとされるから、坐禅の利点を言い連ねて説くことは認識を誤らせる元になります。

    ですが私は、坐禅の功徳を確信しています。

     

    10年ほど僧侶として修行を行い坐禅を組み、その中で坐禅は様々な気づきを与えてくれました。

    これ程素晴らしいものなのだから、もっと多くの人に知ってほしい。

    そういった思いから、どのようにして坐禅の素晴らしさを話せばよかったのか、取材の翌日もぼんやりと考えながら作業をしていました。

     

    その中でふっと閃きました。

    「ああ、坐禅っていうのは、為でないから素晴らしい、と答えれば良かったんだ」

     

    静かな落ち着いた所で静かに坐禅を行い内面も落ち着いてくると、普段見えなかった色々な気づきが訪れることがあります。

    しかし、そういった訪れの有る無しにかかわらず、坐禅を行った後は清々しい心持になります。

    それは、坐禅が何かの為に行うものではなく、何の為でもないことに集中をできる、人生の中で知らず背負っている荷を下ろすことの出来る「かろやかに生きる」行いであるからだと思います。

     

    冒頭の引用は、道元禅師が坐禅を世の人々に進めるために書かれた『普勧坐禅儀』の一節です。

    「坐禅を行うときは普段当たり前に行っている情報の取捨選択、判断することを休止して、無になろう悟りを開こう仏となろう等、何かの為に行おうともしてはならない。」

     

    今ならばあの時の取材にこう答えます。

    「坐禅は色々なプレゼントのある素晴らしい行です。

    しかし、最も素晴らしい坐禅は、そういった何かしらの利益を求めて座るのではなく、

    求めることを放棄してただ坐る、これが一番よい坐禅となります。」

     

    祥雲寺副住職  安藤淳之

     

    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。

    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。

    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。

    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

     

    日時:1月25日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

       6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

       7時20分~8時(二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。

     

祥雲寺行事案内

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