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27年11月 早朝坐禅会「指月の会」案内
2015年11月21日苦行後のお釈迦様に乳粥を供養したスジャータの村のストゥーパ
「憍陳如らの住居の東南に卒塔婆がある。菩薩が尼連禅那河に入って沐浴された処である。河の側の遠からざる所は、菩薩がここで乳粥を受けて食された場所である。」
『大唐西域記』 尼連禅那河の沐浴
二月に行う祥雲寺インド仏跡参拝旅行に向け、先月に続いて大唐西域記から引いてみます。
「調身 調息 調心」という禅語があります。
これは坐禅を行う際の流れを表したものです。
以前ある老師がこれを説明するときに
「心という形を持たない、捉えられないものを安定させるにはどうしたらよいか。心を水のようなものと捉え、その入れ物である体を安定するように調え、内面を整えるために呼吸を調え、そうすることで心を調える。」
と言われていました。
調身、身体を安定させるというのはどういうことか。
それは坐禅の時の足を組み、背筋を伸ばした坐禅の姿勢をとるだけを言うのではなく、普段の生活習慣や食習慣を含めた生活全般を捉えた言葉になります。
日日の生活を改め程々の睡眠をとり、美食暴食極端に走ることなく節度のある食事をとる。
言えば極々当たり前のことでありますが、まずこの当たり前のところから入るのが「調身 調息 調心」の第一歩となります。
かつてお釈迦様が覚りを求めて6年間の苦行を行い、苦しみは人を浄めず、知慧を生むことはないと述べられて、苦行生活を終えられます。
苦行でやつれた体を尼連禅那河(ネーランジャヤー川)の流れで浄め、近くの村娘スジャータから乳粥の供養を受けました。
この供養を受けて体は力を取り戻し、以後菩提樹の下で一週間の坐禅を修行されて覚りを開かれました。
この成道の故事に則り、禅宗の修行道場では12月の1日から8日は坐禅の修行期間とされます。
七日目は徹夜で坐禅を行い、最後は法要を行って、その中で五味粥という粥を少しだけいただきます。
それはスジャータの故事に想いを馳せ、やつれた体に染み渡る滋味をお釈迦様の覚りとして味わう行為と言えるのかもしれません。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:11月23日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時(二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
※来月は年末になりすぎてしまうので第3週の23日(月)に行います。
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27年10月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内
2015年10月18日ネパールとの国境近く、釈尊成長の地カピラヴァストゥ城と目される遺跡
池に咲く蓮。蓮はインドを原産とする仏教の象徴とされる花
「城の東北40余里に卒塔婆がある。太子(若き日の釈尊)が樹陰に坐り田を耕すのを見られた所である。ここで坐禅をして欲を離れることができた。浄飯王(釈尊の父王)は太子が樹陰に坐り禅定に入られ、日の光はすでに廻り〔他の場所を〕照らしているのに、樹影は移ることがないのが目に入り、心に不思議に感じいよいよ敬愛を深くした。」
『大唐西域記』二ー六 贍部樹下の静思
二月に行う祥雲寺インド仏跡参拝旅行に向け、先月に続いて大唐西域記からお釈迦様が坐禅を行った場面を引いてみます。
お釈迦さまはシャカ族の王子として生まれ、一族の城カピラヴァストゥ城で育ちました。
お釈迦さまは「聖俗何れの道であれ偉大な人となる」との予言を受けていたので、父王は大変に心を配り、お釈迦様の成長を見守りました。
ある日のこと、父王が儀式(種まき式)を行っているとき、涼しいジャンブ樹の木陰に坐禅をされました。
後に出家をされ、他の修行者たちと6年間苦行を行われた末に、苦しみは人を浄めず、知慧を生むことはないと述べられます。
そして続いて、昔木陰で坐禅をした時を思い出されました
「もろもろの欲を確かに離れ、もろもろの不善の法を離れ、大まかな考察のある、細やかな考察のある、遠離から生じた喜びと楽のある、第一禅に達して住んだことを憶えている。これこそが覚りへの道にちがいない」(『大サッチャカ経』)
この後、お釈迦さまは菩提樹の下で坐禅を行い、覚りを開かれました。
写真の場所、カピラヴァストゥ城はお釈迦さま生育の地、覚りを開くに至る源となった体験の場所でもあります。
お釈迦さま存命の間にシャカ族は滅亡し、城は失われます。
今日では広大に広がる田畑のなかに城の土台が遺跡として残り、かつての姿を思い浮かべる基となってくれています。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:10月26日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時(二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
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27年9月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内
2015年9月22日ブッダガヤー大菩提寺、金剛座の垣根。
夜分にもお参りの人は絶えません。
菩提樹の垣の真中に金剛座がある。昔、賢劫の初めにできたもので、大地と共に出たものである。
~賢劫中の千仏がここに坐り金剛定に入られたので金剛座と言い、悟りを開かれた所であるので菩提道場とも言う。
『大唐西域記』6.2 金剛座
昨年のはじめにインドの仏跡(お釈迦さま由来の遺跡)参拝をしてきました。
大変に素晴らしい巡礼であったので、来年二月にお檀家さん方と団体参拝旅行をするべく計画中です。
今度は先導する立場となるので勉強を始めましたが、テキストとして最適と手に取ったのが玄奘三蔵の『大唐西域記』です。
玄奘は唐の時代の僧侶です。
仏教を構成する経(仏の教え)、律(僧侶の決まり事)、論(仏教の解釈論)の三つをきちんと習得した人への敬意の表れとして玄奘三蔵とも呼ばれます。
玄奘は仏教を学ぶ中で釈尊が実際に歩まれたインドの地と、そこに根付く最初のころの教えに憧れ、ついには国禁を犯して出国します。
シルクロードを歩みヒンドゥークシュ山脈を越えてインドに渡り、16年をかけて各地を回って膨大な経典を中国に持ち帰りました。
この旅行の記録が『大唐西域記』です。
当時のインドや中央アジアの貴重な記録であり、これを元とした伝奇小説『西遊記』を知らない人はいないでしょう。
上記の文はお釈迦様が悟りを開いたブッダガヤーを見聞した章のものです。
お釈迦さまは29歳で出家をされ、6年間の苦行を経て、坐禅こそが悟りへの道と見極められて、菩提樹の下に座して坐禅をされました。
悟りを開かれた地ブッダガヤーは聖地としてお参りの人は昼も夜も絶えません。
それは、お釈迦様の教え、心の平安を説く仏教が、現代社会においてなおのこと必要とされているからであるのだと思います。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:9月28日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時(二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
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27年8月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内
2015年8月23日昨年のライオンズクラブ坐禅会
妄息めば寂生じ、寂生ぜば智現じ、智現ずれば真を見る 『坐禅用心記』
先日お盆明けに高野山にお参りしてきました。
高野山は日本有数の規模を誇る宗教都市です。
日本仏教に大きな足跡を残された弘法大師空海の教えが今も生きている聖地です。
宿坊に泊り、明け方の澄んだ空気の中で坐禅を行っていると、高野山で1200年もの間精進されてきた先人たちの足跡が、自ずと厳かさを以てわが身を正してくれる、そんな気がします。
宗旨は違えど、同じ仏道を歩む身として、先達の歩みの連なりに一時身を置かせていただこうとして坐っていると、自然に心が凪いできて、木立の静けさが心地よく聴こえてきました。
自分という思いを立てることもなくなれば、ただこの霊山に連なる仏塔や木々の一つであるかのような大きな広がりを感じます。
思い返せばこの地を開いた弘法大師も
「雲が一つ大空に浮かび風に流されるままに、自分にも定まれる場所などない。
生まれながらに山容を愛し、人里とは無縁に生き、ただ月を見て松の根もとに横臥するばかりだ」
という言葉を残されていました。
幼いころから方々の山々を歩き回られた大師は、終の家とされたのもまた深山幽谷のこの高野山でした。
山を愛するのと同時、心を煩わせる世間から離れた、この静かな時間を尊ばれたのではないか。
そのようなことを思いながら朝のお勤めに臨み、奥の院に詣で、大師にご挨拶をしてきました。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:8月24日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時(二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
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27年7月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内
2015年7月25日曹洞宗大本山總持寺 太祖堂(千畳敷の大本堂、参拝旅行の際)
挙体数欠 内外放寛(こたいすうけつ ないげほうかん)『弁道法』
私が坐禅を初めて行ったのは駒澤大学の授業の一コマででした。
一年間毎週行いましたが、「何故こんなつまらないことが修行なのか」と退屈をおぼえながら参加していたことを思い出します。
大学を卒業して福井の永平寺、横浜の總持寺で本格的に出家修行を行い、そこで初めて坐禅が素晴らしい修行なのだ、と納得することができるようになりました。
ですが、坐禅を「楽しい」と思って修行できるようになったのは福井武生にある御誕生寺、板橋禅師の教えを受けてからになります。
坐禅は調身(身を調える)調息(息を調える)調心(心を調える)であるが、息を調える事こそがとても重要となる。
禅師様はそのように説かれ、身体の呼吸機能について書かれた本を修行僧全員で読み、またヨガの先生を招いて研修を定期的に行ったりもしました。
その中で学んだ、体の呼吸機能全体を活用する「全体呼吸法」というものが、上記の『弁道法』の一節と相通じることがわかりました。
挙体数欠 内外放寛(欠というのは口から息を吐くこと、欠伸〈あくび〉)
この文は、道元禅師が記した修行の実践手法の中で坐禅の際の呼吸の要点を書いた部分になります。
鼻から息を吸いながら体が伸びるように(挙体)意識し、口から息を吐くときに全身の緊張をゆるめます。
内外の内は丹田(下腹部)から出る息、外は身体の姿勢。これらを緩めることが放寛です。
呼吸を学ぶことで姿勢もまた調え易くなり、安定して楽に坐禅を行えるようになります。
こうして身体と呼吸を落ち着けて初めて、坐禅が「安楽の法門」なのだと実感できるようになってきました。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:7月27日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時(二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
次回の7月29日は研修の為お休みとさせてもらいますが、興味を持たれた方はお問い合わせください。