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平成30年4月 観音朝詣りのお知らせ
2018年4月17日坐禅堂の聖僧さま。坐禅をする文殊さまをお祀りします。
私は美術品、芸術品を見るのが大好きです。
とはいっても骨董収集の趣味はまるっきりなくて、もっぱら美術館、博物館、展覧会での鑑賞です。
高校の修学旅行で出会った京都の太秦広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像。
頬に寄せた指先から魂がすくい上げられていく思いがした感動は今も残っています。
40年近く前、池袋の東武美術館で見た高麗青磁器の数々も忘れません。
青く美しく深みのある色は、人間が作り出した宝石だと思いました。
台湾の故宮博物館の中国明代の磁器も素晴らしかった。
黄、赤、青など鮮やかな色どりで飾られた寸部の隙もない造形の壺や皿はまさに完璧と言っていいものでした。
年齢を重ねるに従って惹かれてきたものもあります。
侘(わ)び、寂(さ)という表現で表される芸術品です。
これは、日本人が培ってきた精神風土のなかから生まれたものです。
備前焼や信楽焼など、本来は日用雑貨であるものに芸術的な意味合いを見出した人達がいました。
見方によっては、完成された美しさをもった中国の磁器と比べるとガラクタです。
ゆがんだ形や、割れて釘止めした器にも風情を見いだしました。
破袋(やぶれぶくろ)という銘の水差しを見たときにはびっくりしました。
水入れなのに胴の表面は大きなひびが入っていて形もゆがんでいる。
全くの失敗作のようですが、差し口は大きく重厚さに満ちている。
まるで土が自らをこね上げて創り出したようで、まことに雄渾なおもむきです。
調和のとれた美しさに心洗われるのも人間、ゆがみや破れなど調和の対極に心をゆすぶられ力づけられるのも人間。
そして調和も不条理もこの世界、宇宙、天地万物の中にあるものであり、人間も、その精神もここから生まれたものです。
この世界の持っているものと人間の精神が感応して、人間にとって意味あるものとして現れ出でたのが芸術であり、それを生み
出すのが芸術家であるといえましょう。
平成30年4月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。