-
令和5年7月24日 朝坐禅会「指月の会」案内
2023年7月23日法堂上に鍬をさしはさむ人を見る
『瑩山禅師洞谷記』
本年11月2日3日に行う晋山結制まで100日を切りました。
いよいよお尻に火が付いてきて、準備に注意が持って行かれてスケジュール管理が疎かになり、この坐禅会の事を前日まですっかり忘れていました。
折角ですのでこの晋山結制について少しお話しします。
晋山結制を行うにあたり、人には住職の就任披露式典といった説明をしています。
ですが厳密には、晋山式と結制はそれぞれ別の物になります。
晋山式は住職の就任式です。
余所から修行を終えた僧侶を迎え、到着してお寺の本尊様や祀っている神様に到着の挨拶をして任に就く式典です。
対して結制は修行を主催する行事です。
一山の住職として力量を積み、夏と冬に行う集中修行期間「制中」を主催し力量を示すもので、この結制をやり通して始めて「大和尚」と呼ばれるようになります。
今日ではこれを併せて行うのが主流になり、晋山結制と言われるようになりました。
晋山結制は大変な行事で、多くのお寺では一世一代の大行事として行われます。
行事のハイライトは結制の上堂と呼ばれる所です。
仏様の台座である須弥壇に登り、本尊様に代わり法を説いてみせようと宣言し、満座の僧侶檀信徒の前で仏法の問いかけに答える式典です。
これをこなして見せてこそ、一人前の住職と見なされるようになるのです。
五月に新潟で大学学友の結制にお呼ばれし、この上堂で印象に残るシーンがありました。
学友の和尚が須弥壇上に登り問いかけを受けると宣言し、最初に問いかけたのは彼の十歳ほどの息子でした。
曰く「お坊さんって必要ですか?」
中々強烈な問いかけです。
対しての答えは大体このようなものでした。
「世の中車は便利だと皆が使うが、信号機が無くては皆迷いぶつかり合いが絶えなくなる。
お坊さんは法律とは別の所で信号機の指し示す役割を果たしているんだよ」
色々な想いがあっての例え話だなぁ、と思いながら聞いていました。
上記の言葉は大本山總持寺を開かれた瑩山禅師の言葉です。
お釈迦様の残された「私は心の畑を耕すものである」の言葉を受けての表現でしょう。
お寺の本堂で法が説かれ、それを聴く人の心が豊かに耕され、それが後代までも続いていくようにという願いの言葉でもあります。
仏法は私たち今を生きる人の心を耕し、道を明るく照らし出す灯火とも標ともなるものです。
願わくはこの苦心惨憺の晋山結制をもって多くの人に仏道を成ずる機会となりますように願い、まだまだ準備に取り組みます。
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は8月28日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています