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令和8年10月 朝坐禅会「指月の会」案内(10月26日朝6時半より)
2026年10月25日学人第一の用心は、先ず我見を離るべし。我見を離るとは、この身を執すべからず
『正法眼蔵随聞記』
先日雀宮善應院での坐禅会に新しい方が来られました。
祥雲寺では毎月の坐禅会として第四日曜日の本堂での指月の会を、毎週の坐禅会として雀宮善應院で行っています。
雀宮善應院坐禅会も、数えてみればそろそろ25年行っています。
私が本山での修行から帰ってきてすぐ始まりまして、先輩と一緒に試行錯誤しながら続けてきました。
私が坐禅についてあれこれ話す殆どは、この坐禅会で工夫してきたことばかりです。
漫然と日々をこなすばかりにならず工夫と経験を重ねる場と出来て、
修証義の「利行は一法なり、普く自他を利するなり」そのとおりだと感じるものであります。
さて、新しく来られた方は昔から興味関心を持っていたとの事で、坐禅は初めてだそうですが質問を多く頂きました。
意欲的な方への対応は嬉しいもので、喜んで質問に応じていたのですが、
「仏教を勉強するのには何を参考にしたら良いのか」
という質問には若干迷いました。
仏教は他の世界三大宗教と違い、聖書やコーランに類する根本聖典と呼べるものはありません。
お釈迦様の死後は弟子達が集って口伝えに教えを伝承し、それらが数百年後に文章として書き残され始めて、加えて歴代の仏祖が書き残した教えや解釈書は数え切れないほどになります。
どれが正しくてどれが間違いというものではありません。
その時代その土地の中でその環境に合わせてお釈迦様の縁起の法を説くならば、それでよいのです。
この時は般若心経をお勧めしました。
一番知られていて良い解説本も多く流布している、写経会で書写するふれ方もあるからです。
この事を帰ってから師匠と話したら『正法眼蔵随聞記』が話に挙がり、是を勧めてもよかったと思いました。
『正法眼蔵随聞記』は永平寺二世・孤雲懐奘禅師が書かれた書物です。
宗祖道元禅師が仏道修行における用心を説き示され、それを記録した本です。
弟子や世俗の人に説いたもので、初心者にもわかりやすく、指針ともなり励みになる内容です。
大本山永平寺でも懐奘禅師750回忌大遠忌を控えていることから周知される様ポスターも届いたばかりで、時宜に即したものでもあったわけです。
水野先生訳本から短めの一節を紹介します。
「仏道を学ぶ者の第一の心がけは、まず我見を離れることである。我見を離れるというのは、この身に執着してはならないという事である。よしんば昔の人の語録、法話の奥底までさぐり、常に坐禅して鉄石のように不動であっても、この身に執着して離れなければ、無限の長い時の間を、幾たび生まれ代わり死に代わりしても、仏祖の道を得ることはできない。・・・(中略)・・・ただ、どうか仏道を学ぶ者は、静かに坐して、道理をもってこの身の始めと終わりを考えてほしいものである。身体髪膚はもと父母の二滴にすぎず、一つ呼吸がとまれば、ただちに生のないものとなり、遺骸は山野に離散して、ついに泥土となるばかりである。どういうわけで身に執着できようか。」
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は11月23日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています -
令和8年6月 朝坐禅会「指月の会」案内(6月22日朝6時半より)
2026年6月21日迷うが故に三界は城 悟るが故に十方は空 洋に東西は無く 何処んぞ南北か有らん
(迷い悩む心には世界は重く堅く閉じ込める城壁の様にも映るが
放たれてみれば世界には遮り縛るものなど元から無い
本来、世界には方角も境界も定められたるものなどは無い
一体何処に、縛られ囚われるべきものがあるというのだ) 「四句の祈り」
先月は警句を紹介するお話をしましたが、簡潔な言葉に仏教の教えを表したもの、己の見解、境地を説き示したものには様々有ります。
本当に沢山有って紹介しきれない程有りますが、わけても有名なもの、記憶に残っているものを挙げるならば、私にとってはこの四句の祈り、と呼ばれる言葉が出てきます。
昔四国でお遍路を行ったとき、お遍路さんの白装束の笠に書かれていたのが最初に見た物です。
お遍路は四国を一周する88の霊場で、弘法大師空海にゆかりのある場所を巡る巡礼の道です。
諸説有りますが弘法大師は四国出身とも言われ、山岳に親しんだお人柄から山がちな四国の随所に由縁の霊場が有り、お大師様に近づけるようにと昔から多くの人がこの霊場詣りをしてきました。
私は他宗の人間ですが、昔二番目の修行寺に居て足を骨折して中途半端な形で修行を終えた悔いがあったので、リハビリがてら僧侶らしいことに打ち込みたいと歩き遍路に挑戦してみたのです。
気合いを入れるため行脚姿、昔ながらの旅のお坊さんスタイルで歩き始めたのですが、徳島の一番札所から十番までの30㎞ほど歩いただけで足にマメが出来、翌日は宿で休んでしまいました。
普段から趣味で歩いていた山歩きとは事情が違い、遍路道は7割以上舗装道路を歩くもので、コンクリートの道は足への負荷が大きいのです。
針と糸と消毒液でマメの処置をして山を越えたら、今度は股ずれでももが傷んできました。
さすがにふんどしでは無かったですが時代劇の飛脚のように着物の裾を上げて歩いていたので、内ももがすれて傷んだところをテーピングテープでぐるぐる巻きにして徳島市街地に下りました。
徳島市を出て南下する辺りから車道を歩くことが多く、今度はトラックとすれ違う度強風で笠が持って行かれ、遂には笠の骨が折れてやはりテープで補強し、車の影が見える度手で押さえて耐える羽目になりました。
難儀も多かったですが有り難いこともあり、地元の人のお接待には本当に世話になりました。
田んぼの向こうを走っていた軽トラのおばちゃんが取って返してきてお布施して下さったりもして、大いに励まされたものです。
そして何処を歩いていてもうどんが美味しいのも四国ならではでした。
徳島を南下して高知に向かうと室戸岬が有ります。
右に山岳左に海しかない道を二日から三日程歩いて漸くつきます。
この岬にはみくろ洞という洞窟があり、弘法大師成道の地です。
著書の『三教指帰』に曰く
或る時一人の沙門あり、私に虚空蔵求問持法を示した。
私はこれを仏の真実の言葉と信じ、火花が散るような激しい修行に臨んだ。
山に分け入り、洞窟で一心不乱に修行に臨んだ。谷ひびきをおしまず、明星来影す。
修行を終えて洞窟を出てみれば、果ても無く空と海が広がっていて、そこから空海を名乗るようになったそうです。
四句の祈りは誰が書いたものかは伝わっていません。
ですが端的に仏教の道筋を示し表して、教えてくれています。
足摺岬の雄大な光景、澄み渡った大自然の景色は、あるがままにあることの素晴らしさを百万の言葉よりも雄弁に示してくれているようでした。
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は7月27日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています -
2月 観音朝詣りのお知らせ
2026年2月13日2月15日はお釈迦様が涅槃に入られた日、涅槃会です。
お寺では2月になると涅槃図を掛け、毎日お釈迦様の最後の説法である遺教経を読誦して15日の涅槃会を迎えます。
涅槃とはパーリ語で、迷い、すなわち煩悩の火を吹き消したことを表わす言葉を漢字に音写したものです。
煩悩は自己中心の考え、それに基づくものごとへの執着から生まれます。
お釈迦様は最後の説法で修行者達に、これまでお説きになった戒めを一人一人が守って精進することこそが迷いから脱する道であるとされました。
そのために、修行者が自らを灯火とし、法を灯火としなさいとも説かれました。
お釈迦様が説かれた日々の行ない、心の持ちようについての教えは決して難しいものではありません。
法句経などには人間が幸せに生きる道が誰にでも分かるように説かれています。
また、教えの根底にある理論から構築される世界観は、科学的な世界観と矛盾するものではありません。
今日世界をリードする多くの思想家が、仏教が最も納得のいく教えだと評してもいます。
少なくとも倫理道徳としては、仏教徒でなくても誰にでも納得のいく教えであり、人類の叡智として尊重されるべきものと思います。
ただ、宗教としての仏教の尊さはその先にあります。
涅槃は釈迦という一人の人が煩悩の火を消して永遠の安らぎに入ったとの事実だけを指しているのではないのです。
煩悩の火を消し去り、世界を貫く真理を明らめて仏陀(覚者・悟った人)となった方が、肉体の制約も離れられて、時間、空間を超えた無限の世界にその慈悲を及ぼすことになられたことを涅槃というのです。
いかに行ないを正し勤めても迷いの渕にあり、あるいは勤めきれずに苦しむのが人間の姿です。
そんな人間にも仏の大慈悲は及び、導いてくださる
。これを無住処涅槃といいます。
これは理屈を超えた信仰です。
令和8年2月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前9時から行います。
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11月の諸行事
2025年11月7日11月の諸行事 ご興味のある方はお問い合わせ下さい。
■五百羅漢完成記念式典・稚児行列募集(無縁供養併修)12月1日10時半より
長らく祥雲寺羅漢の会で製作してきた500羅漢が本年完成となる為
12月1日無縁供養のお勤めに併せて完成記念式典を行い、稚児行列の募集を行います。
煌びやかな衣装を纏い、児孫の健やかな成長を祈願して清めの水を受ける賑々しい行列です。
申込費:6,000円 前日衣装を祥雲寺で受け取り当日朝集合、10時半境内を行列。
■西国三十三番観音霊場巡礼第三回(11月25日~27日)
西国巡礼第三回。今回は清水寺をはじめ京都洛内のお寺を巡り、兵庫の方に向けてお参りします。
■雀宮善應院坐禅会(第四水曜日のみお休み)
宇都宮南町1番36号「善應院」にて毎週水曜日(第四以外)夜6時から行っている坐禅会です。
11月5日、12日、19日
■月例坐禅会「指月の会」(11月24日)
祥雲寺本堂にて毎月第四月曜朝6時半から行っている坐禅会です。
■テラヨガ(ヨガ教室)
阿久津先生指導の下第一第三金曜日10時半から。初心者クラスは第二第四金曜日10時半から
■陶芸教室「祥陶会」
駐車場下の作陶場にて毎週火、木午後1時から行っています。
■石彫会「羅漢の会」
毎週土曜午後、駐車場作事場にて石仏の彫刻を行っています。指導は松原「金野石材店」
■茶道教室
月二回火曜日午後1時半から、裏千家平山尚子先生のご指導の下行っています。
11日、18日
■写経会
写経会は5月から11月、第二日曜日午後2時から行っています。
11月9日
■御詠歌
11月4日 御詠歌講習 東堂指導 10時~12時
11月20日 長岡公民館御詠歌講習 13時半~15時半
■フラワーアレンジメント教室
南宇都宮駅前「フラワー花亀」亀井先生指導の下第四水曜日午後1時半より行っています。
11月19日 花材代2,500円
■折り紙教室
カルチャースクール講師長谷川京子先生指導のもと第3水曜日午前10時よりより行っています。
19日
■クラフトペーパー教室
同じくカルチャースクール講師長谷川先生指導のもと第2月曜日午前10時より行っています。
10日
■観音朝詣り
境内33観音霊場を18日朝にお参りするミニ巡礼会です。開始時間は季節により前後します。
今月は午前 6 時 から 祥雲寺℡(028)622-5719
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令和七年十月 朝坐禅会「指月の会」案内(10月27日朝6時半より)
2025年10月26日独存無倚(どくそんむい)、脱落(だつらく)全(ぜん)真(しん)。
混然として万象の中に明歴歴たり、卓爾として不疑の地に活鱍鱍たり。
『永平広録』道元禅師
先日、修行仲間と勉強会仲間の晋山結制無事円成を聞き、嬉しく思っています。
晋山結制はお寺の一世一代の大行事、全身全霊で勤めるものですから、さぞ疲れたことと思います。
しっかり休んで体を労ってほしいものです。
思い返せば私も二年前の11月、祥雲寺二十九代目住職として代替わりのお披露目式、晋山結制を修行しました。
寺院の住職は就任に当たっての着任お披露目として晋山式を行うもので、これは殆どの宗派で共通しています。
曹洞宗の場合、この晋山式に結制という修行会を併せて行うのが一般的です。
結制は一山の住職として十分な力量を備えているかを証明する為本尊様を祀る須弥壇に登り、参集した僧侶の問答に答えて見せ法を説き示す、衆目に試される上堂という式を行います。
上記の文章は、我が宗祖道元禅師が上堂の際に説いた記録集から引いた一文です。
私の上堂の問答終わっての法の説示、堤綱の際に冒頭に引用しました。
仏法を会得したものは何ものにも依存せず、一切の執われを脱して完全に真実である
かれは、あらゆるものと渾然と一つでありながら、ものとははっきり別であり、しっかりと揺るぎない境地に立ちながら、生き生きと動いている
その後はこんな内容を続けました。
私、淳之は出家する覚悟も覚束ない乍ら、家業を継がねばならないというおもいのままに大本山永平寺に修行に飛び込み、12月の大修行、蝋八大摂心の大業の中で「ほとけごころ」に見えることが出来た。
仏の道を歩み修行する仏道というものは「ほとけごころ」に生きることであると納得出来た。
「ほとけごころ」とは坐禅を中心とした日常底の精進、雑念の無い生き方にあるものだと悟ることが出来た。
「ほとけごころ」とは如何なるものであるのか。
私の坐禅の師匠、福井の板橋禅師はこのように説かれた。
「偏らない心、拘りない心、囚われない心、広く広くもっとひろく、これがお釈迦様の心なり」
ほとけごころに見える、というのは私なりの表現です。
弘法大師空海も唯一度、「明星来影す」と神秘的な表現で大悟を示した事になぞらえてみました。
蝋八大摂心、1週間の坐禅修行の中で、どんな人であっても仏様の様にありがたい姿で、仏様の様な心に生きる事が出来るのだと目の当たりに知ることが出来ました。
自分というものにあまり拘らない、「私」の都合に繋縛されない禅の生き方は、ほとけごころに生きるという安心をもたらしてくれるものなのだとはっきりと理解できました。
これが、私のお坊さんとして生きる根っこです。
この法を社会に生きる人々の苦難に活かしてもらいたい、それが私のライフワークです。
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
この指月坐禅会は第四月曜日朝に毎月行っています。当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は11月24日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています




