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5月 観音朝詣りのお知らせ
2024年5月18日昨年、退任記念に自費出版した「守拙」を差し上げた方から、内容についての感想の手紙をいただきました。
その中に、自然と調和して生きることが仏教の教えとの私の言葉にうなずき、感謝こそが人倫の基との考えに共感しましたと記されてありました。
この方は、「守拙」を通して私が言いたかったことの本線をきちんと捉えていらっしゃいます。
とても嬉しく思いました。
哲学、宗教はその対象が人間と人間の生きるこの世界です。仏教、キリスト教、イスラム教など世界宗教と言われる宗教は信仰を核として、ありとあらゆるものに考察をめぐらします。
それを教理といいますが、必然的にその内容は広汎で複雑なものになります。
仏教の場合、因縁、空、中道、唯識など専門用語で表わされる教えの一つ一つに膨大な教理があります。仏教を学ぶ者はこの膨大な教理の森に分け入らなければなりませんが、一般の人にそのことを求めることは出来ません。
教理に基づいたわかりやすい道を伝え、仏教を理解し信じてもらい、幸せになってもらいたいというのが仏教を学んだ者の願いであり祈りであるべきです。
「守拙」はそのような意図を持って編集しました。
テーマは「生きる」ことです。
人間は発達した頭脳を持つゆえに、自と他を区別します。
自らの生を問い、悩みもし、苦しみもします。自我を持っていることが人間の特質です。
その点が他の生物とは異なるのですがこの世界に生きるものであることに変わりはなく天地万物と隔絶したものでもありません。
天地万物、即ち自然の中に生きるには、自我から生まれるもろもろの計らいを捨てていくことです。計らいを捨てて、自然と調和して生きる中に真の自己が生き生きと現れてくるという教えが、特に禅宗の説くところだと私は思います。
悩み、苦しみを抱えながら生きることは人間として避けられないことです。それでもこの世界に生かされている我が身をありがたいと思える時、感謝の念が自然に湧き上がってきます。
それが人倫、すなわち人のみちだと信じています。
令和6年5月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。