2021年1月24日

正月の門松。境内の松と竹を切って立てています。 正月の後、例年は門前の昭和小でやるどんと焼きに使われます。
諸行無常
今年も宜しくお願いします。
栃木県も年始から緊急事態宣言が出され、様々自粛や制限の中で日々を過ごしています。
このコロナ禍を思うとき、時折学生時代に読んだ小説を思い出します。
村上龍の書いた『ヒュウガウィルス』という本です。
この作品の舞台は、第二次世界大戦で日本が降伏せず本土決戦を行い、数十年経ってもトンネルにこもってゲリラ戦が続く世界です。
九州のヒュウガ村からエボラウィルスをさらに凶悪化したような病気が都市部に蔓延し、その対応のために軍の部隊が派遣され対処に当たるストーリーです。
現地に到着しウィルスの猛威を目の当たりにし、うちひしがれて人間の弱さを嘆く兵士に科学者が言った言葉が強く記憶に残っています。
「われわれの体を構成する分子は脆くて壊れやすいつながり方でつながっている。
だから化学反応が可能で、全体として信じられないような生体のシステムが生まれた。
強い結合で結ばれれば鉱物になってしまう。
鉱物は何億年経ってもほとんど変化がない。
人間は柔らかい生きものだ。
その柔らかさ、脆さ、危うさが人間を人間たらしめている」
私の中で「無常」の理解の土台ともなっている一節です。
人は脆い、変化しやすいからこそ人たり得るのだ。
それを嫌ってもそうでないならそれは人間ではない。
変化するからこそ何かが起こる、何かが出来る。
喜ばしいことも悲しいことも変わるからこそ変われるからこそ、無常だからこそなんだ。
ならばそれは良い悪いで見るものではなく、世の道理、真理として受け入れていくものなのだろう。
私たちは変わるからこそ、今のような人なのだろうから。
このコロナ禍で激変してしまった時代、それでも私たちは生きています。
環境変化の規模は大きくても生きることは変化し続けることです。
この変化の中で、それでも僧侶としての本分を見失わず、為し得ることを探して行っていく。
変化を受け入れ、そして本分を忘れないことが、今私ができる最善のことなのだと信じています。
祥雲寺副住職 安藤淳之
明日の朝坐禅会は略した形で6時半より行います。