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令和4年7月 朝坐禅会「指月の会」案内(25日月曜朝6時半より)
2022年7月24日仲間内でやっている勉強会で法華経を読んでいます。
正法眼蔵に始まり途中参同契宝鏡三昧という古いお経に飛び、正法眼蔵を理解するには法華経を理解しなくてはいけないと言うことから読み始めました。
一人では中々手が伸びない難しい勉強も、集まってやるならば楽しくやれるもので、僧宝の功徳というものを感じています。
法華経もようやく普門品、俗に言う観音経にまで来ました。
観音様のお経で、祥雲寺の境内にも観音様をお祀りしていることから、是非とも読みたいお経でありました。
観音様は古くから多くの人に親しまれてきた菩薩様です。
仏さまの慈悲の心の現れ、人々の悩み苦しみに手を差し伸べてくれる菩薩さまと言われています。
百人百様の悩める人々に手を差し伸べようとされることから多くの手を持ち様々な姿形で現れています。
それだけに観音様への信仰も人によって様々在るようです。
昔一緒に西国三十三観音霊場お参りをした御老は、戦争の時の様々な悔いからお参りが日常になったそうです。
またある人は、人生の上手くいかない不遇不幸から観音様にお縋りしようとお参りし愚痴っていると、運命を呪う気持ちが薄れて周囲や自分を許せるようになってきて、観音様に手を合わせて拝むということは自分を拝むということだと想うようになったそうです。
私は朝詣りの時などに観音様のお話をするときは、
「私にとっての観音信仰とは、観音様のようないつくしみの、優しい心で生きられますようにと願う祈りです」
と説明しています。
様々な人のお話やお経を聞いて、これこそと思うようになりました。
以前テレビで東南アジアの仏教国が放送されていて、道行く人にここはどんな町ですか?と問いかけがありました。
その人は「困っている人を助けてあげる町だ」と答えていました。
これは、中々出てこない言葉ではないでしょうか?
仏教文化、その精神が根付き華開いて居る国だからこそなのでしょう。
仏さまの慈悲の心、いつくしみの精神で生きられるなら、自分にとっても周囲にとっても世界は温かく優しい場所となるはずです。
テレビ越しの、そして後日渡航した町の優しい空気、人々の笑顔と暖かさがこの想いを確信させてくれました。
観音様は仏さまの慈悲の心、いつくしみの心の現れ。
だからこそ多くの人がお参りしお縋りし、人々の祈りを集めてきたのでしょう。
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
祥雲寺副住職 安藤淳之当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。次回は8月22日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています