2020年5月24日

5月の本堂と境内
これわが最後に教誨する処なり
『遺教経』
先日市内のお坊さんの葬儀に参列しました。
僧侶として活動して以来の付き合いでしたから、16年ほどの付き合いがありました。
突然死であったためお勤めしていても実感がわかず、最後にお骨を祭壇に安置して参列者が帰られ静かになってから漸く、もうお話しできることはないのだと理解できました。
一人堂内で御遺影と10分ほど対面し、身近に居た人を無くした寂しさと思っていた以上に暖かい思い出を頂いていたのだという驚きと、そしてお釈迦様の最後の説法とされる『遺教経』の一節をかみしめていました。
お釈迦様は今から2600年の昔、インドに生まれて80年の人生を歩まれました。
その最後は、沙羅双樹の元に横たわり多くの弟子に見守られながらのもので在ったと言います。
自分が世を去った後弟子達が惑うことのないように、臨終の床にありながらこれまで説かれてきた教えを丁寧に再確認できるように纏めて説かれたのが今日『遺教経』という形で伝えられ、そしてその最後の教えは自らの死にゆく姿を見なさいと言う無言の内の説法であったと言います。
人は誰しもが亡くなっていく、死とはこのようなものなのだ。
だからこそ生きている今、怠ることなく務め励み精進し、道の達成心の安心を成しなさい、と。
今、一人の和尚が世を去られて、多くのことを示してくれました。
願わくは私も暖かい思い出を人に持ってもらえるような、あの和尚さんの様に人に接することが出来ればと思います。
その行いの中に、仏と成られた和尚さんとのご縁が、きっと確かに息づいていることを信じています。
祥雲寺副住職 安藤淳之
明日の坐禅会は風通しの良い広い堂内で短縮して行います。
その為暖かい格好でお越しください。