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平成22年長岡百穴観音祭り
2010年4月19日宇都宮北側の環状線沿いには長岡百穴と呼ばれる古跡があります。
古代人の墓穴として掘られ、後世になって弘法大師一夜の作とされる石仏が祀られ
仏様をお祀りする場所として地元長岡地区の人達によって護持されてきました。
毎年4月の18日に観音様をお参りする例祭が行われています。
今年は彼岸が明けても寒さが残った影響か、
例年なら葉桜になっていた桜がまだ花を残していました。
17日夜になり、観音堂にて祭りの支度を行います。
昭和60年4月18日、祥雲寺第27世貫山和尚、先代住職の手によって書かれた額です。
夜の6時になり例祭が始まりました。
小さい観音堂に住職と式衆、ご詠歌の人達が入り、外に役員さんと地元の方々が列席します。
お経の途中で中に入ってもらい、観音様に香をお供えしてもらいます。
長岡町ご詠歌講の皆さんと一緒にお唱えをします。
少人数ながら外までよく響くよいお唱えになりました。
観音祭りが終わってお斎き会になります。
毎年のことですが、長岡町の結束の強さに感動します。
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8月7日は初盆施餓鬼会
2009年8月12日もうじきお盆を迎える時節になりました。
お盆というのは新暦の7月に行われたり、月遅れで行われたりすることが一般的ですが、
もともとは仏教の経典にも出てくる斎日です。
インドでは、4月ごろから7月ごろにかけて雨が多い季節となり、
お釈迦様の時代からこの時期を「雨安居」と言って
仏教徒は外出を極力せずに集中して修行生活をする時期としてきました。
この修行生活が終わる7月15日、お釈迦様は供養の為に集まった人々に
この修行を終えたお坊様たちに心をこめて供養するように勧め、その功徳は計り知れないとお説きになりました。
この習慣がやがて、今は亡き先祖や様々な仏様に供養する「お盆」として定着したということです。
祥雲寺では毎年8月7日を、今年初めて初盆を迎える方にお迎えの仕方を説明し御供養を行う
初盆施餓鬼会の日としてきました。
こちらは祥雲寺の施餓鬼棚、一般で言うところの精霊棚になります。
この一年で亡くなられた方の位牌をお祀りし、供養を行います。
まず午前中に初盆を迎える方たちにお迎えの仕方や心構え、精霊棚の作り方の説明をします。
建物の中にいても暑い時期なので扇風機を回しますが、それでも暑い人のために団扇を配布しています。
お昼は皆さんそろって精進料理をいただきます。
不思議なことに粗食というのは、畏まって食べる方がよりおいしく感じられるものだったりします。
午後に入り供養の施餓鬼会となります。
縁のあるお寺様方に御助力頂き、鉦や太鼓を鳴らして盛大に始められます。
こちらは祥雲寺梅花講の皆さま。
施餓鬼の進行に合わせて御詠歌を唱えて頂きます。
最後に焼香をして施餓鬼供養の終わりとなります。
例年はこの後に卒塔婆をお渡しして解散なのですが
今年は改装された本堂の中をご覧になっていただきました。
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長岡百穴 観音祭り
2009年4月18日宇都宮市北側の長岡地区には長岡百穴と呼ばれる古跡があります。
古代人の墓穴として掘られ、後世になって弘法大師一夜の作とされる石仏が祀られ
仏様をお祀りする場所として地元長岡地区の方たちによって護持されてきました。
毎年4月の18日に観音様をお参りする例祭を行っています。
各穴には室町から江戸期頃に掘られた仏様が祀られています。
中央にある百穴観音堂。昔の観音堂兼公民館が移動する際に
別個に建てることになり、百穴の中腹に移ってきました。
正面に掲げられた額は祥雲寺先代住職の手によるものです。
こちらは長岡公民館の中にあった昔日の写真です。
昔のお堂は百穴のふもとにありました。
夜6時から長岡百穴観音祭りが始まりました。
小さいお堂ですので中には住職と地元の役員さんと御詠歌の人たちが入り、
残りの人たちは外に参列しています。
観音祭り終わってお斎き会になります。
毎年のことですが、長岡の人たちの結束の強さに感動します。