ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

地域や歴史について 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

地域や歴史についての記事

  • 平成30年1月 観音朝詣りのお知らせ

    2018年1月13日

     

    折り紙教室

     

    花祭りの飾り花

     

    釈迦牟尼仏 明星を見て悟道(ごどう)してのたまわく、

    我と大地有情(うじょう)と同時に成道す(瑩山禅師 伝光録)

     

    お釈迦様が悟られた御様子を伝える言葉です。

    王子の位を捨てて苦行すること六年、苦行のみでは悟れないと感じたお釈迦様は、修行の地、前正覚山を下り、村の娘スジャータから乳粥の供養を受けられた後、ブッダガヤの菩提樹の下で禅定に入られました。

    魔王たちはあらゆる誘惑と脅しと恐怖を以て悟りを妨げようとします。

    それらの全てを制して、暁の明星が燦然ときらめく中にお悟りを得られた、これが仏伝に記されるお悟りの様子です。

     

    我と大地有情と同時成道とは、悟りの世界に立たれた、その境地からは、天地万物、生きとし生けるもの全てが悟りの世界にある。という意味でしょうか。

     

    仏像では、お悟りを得られた時の姿は、禅定印を解いて、右手の指先を大地に付ける触地印(そくちいん)で表されます。

    経典には天魔の誘惑に対し大地の神がお釈迦さまを護っていることを示したとあります。

    私には天地万物悟りの世界で一体なるを大地の感触を確かめることで示されたように感じられます。

     

    梅花流御詠歌では

    明けの星 仰ぐ心は 人の世の 光となりて 天地(あめつち)にみつ

    とうたわれます。

     

    釈尊の成道(じょうどう)によって天地万物が悟りの光に輝いているよろこびを詠っています。

     

    皆様が仏の慈悲につつまれお幸せに、そして輝かしい年でありますことを、年頭に当たり、祈らせていただきます。

     

    平成30年1月13日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    今回の朝参りは午前9時から行います。

     

  • 平成29年12月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年12月16日

     

    祥雲寺陶芸教室作品展示

     

    今上陛下が退位され、再来年の五月一日に新陛下が誕生します。

     

    即位の儀礼について、新しい時代に即したものにするという見出しが新聞に載っていました。

     

    儀礼の中で最も大切なものは大嘗祭です。

    皇居に大嘗宮が設けられて行われます。

    祭礼の次第は一応公表されていますが、詳細は伏せられているので秘儀とされるものです。

    そのため、戦前から現代まで多数の学者がその意味を考察しています。

    いろいろな説があるのですが、ともかく皇位を継承するに当たっての宗教的な儀礼であることは否定できないことでしょう。

     

    ここで問題が生まれます。

    それは、国がいかなる宗教的活動もしてはならないという憲法の規定があるので、大嘗祭のために国費(税金)を使えるかという疑問です。

     

    これについては、是とするにせよ、非とするにせよ、法律家を始め、識者からいろいろな意見が出ると思いますが、私は公費の出費はあってしかるべきであると思います。

     

    それは、全体として日本国民は象徴としての天皇を受け容れているという現実から来るものです。

     

    敗戦の時、天皇制が廃止される可能性はあったはずです。

    そうならなかったことにより歴史と文化の総体としての日本国が存続できたと私は思います。

    また、そこから生まれた安定した国情が戦後の復興と繁栄に大きく寄与したとも思います。

     

    天皇の権威がどこから来ているのかを理屈でもって示すことはできません。

    今日、天皇が神であると思っている人は殆どいないでしょう。

    私は昭和天皇に対しても今上天皇に対しても敬愛の念を持っていますが、お二人とも同じ人間です。

    しかしその人が国の象徴という特別な存在になるのは、何らかの儀式が必要であると思うのです。

    そしてその儀式は伝統を踏まえたものであり、宗教性を帯びることは自然なことと思うのです。

     

    人間は宗教性を持った生き物です。

    今日、さまざまの人が声高く叫ぶ、宗教性を排除することが正しいとする言説に納得することは出来ません。

     

    平成29年12月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時半から行います。

     

  • 平成29年11月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年11月15日

     

    境内の紅葉

     

    寺の屋根にとまるアオサギ。

     

    日本では仏壇と位牌をとても大事にします。

     

    仏壇の起源についてはいろいろな説があります。

     

    古代に帰属が仏像を屋敷内に祀った持仏堂が小型化したという説。

    家の中に祀られたであろう小さな仏像がインドやシルクロードの遺跡からもたくさん出土していますから、日本だけでない古い起源になります。

     

    お盆に先祖の御霊を供養するために設けた盆棚が家屋内に常設されるようになったという説。

    7月15日に川の畔で亡き人のために供養をするのは現在のヒンズー教でも行われていますので、盆供養はインドに由来しますが、棚を設けたかどうかは分かりません。

     

    鎌倉時代に先祖を祀るために室内に置かれた「押し板」という床の間の起源と同じものが変化したとする説もあります。

     

    位牌は中国のものです。

    死者の名前や官位を記して祭礼に用いたものですが、鎌倉時代以降に禅宗が伝え、戒名が記されて礼拝されるものとなりました。

     

    仏壇とお位牌の組み合わせが広く普及したのは江戸時代です。

    日本独自の信仰文化といっていいでしょう。

    そして、とても素晴らしいものです。

     

    何が素晴らしいのかというと、感謝を捧げるものが身近に会って、毎日少しの時間でも感謝のひとときを過ごすことができるからです。

     

    仏教徒として正しい生き方の根本にあるのは「感謝」です。

    お釈迦様は、人間がこの世の無限の恵みによって生かされていることを自覚し、生きとし生けるものと共に生きていることを喜びとすることが感謝であり、それが幸せへの道であるとお説きになりました。

     

    仏壇に祀られている父母は、直接に私たちに命を与え育ててくれた人であり、その先にはご先祖がいらっしゃいます。

    その前で感謝の思いは自然に湧き上がります。

    その感謝の思いを、さらに大きな天地万物への感謝へと導いてくださるのが仏壇の中心の本尊様です。

     

    毎朝、仏壇の香炉にお線香を立てて心を込めておまいりをすることは、私たちが正しく生きていくことができる支えとなります。

     

    平成29年11月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時半から行います。

     

  • 平成29年10月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年10月18日

     

    秋彼岸の本堂前観音様と彼岸花

     

    アフガニスタンのバーミヤン石窟の大仏像がイスラム教原理主義者によって爆破されたのは16年前のことです。

    最近でも、中東の動乱の中で多くの遺跡、文化財が破壊されています。

    19世紀から20世紀前半には、ヨーロッパ各国の探検隊が、博物収集の目的で世界中から神像を持ち去り、あるいは壁画を剥ぎ取っていきました。

     

    自らの信仰、信条のみをよしとして、歴史、文化を異にした人たちの魂が込められた文化財を壊してしまうことが繰り返されているのは悲しいことです。

     

    東京芸術大学美術館で、「素心伝心 クローン文化財 失われた刻の再生」という展覧会がありました。
    バーミヤンなど、おもにシルクロードで失われたり、失われようとしている文化財の再生を試みたものです。
    瓦礫等に科学的な分析を行い、スケッチや写真などの記録を基に3Dプリンターなどの新技術を駆使して実物に限りなく近いものを造りあげています。

     

    失われたものではありませんが、法隆寺の釈迦三尊像も複製されています。

    像が造られた時の工法や、材料の銅の成分まで調べて造像し、さらに、細かいでこぼこや経年による変色まで写し取っていますので、実物と見まごうばかりです。

    それだけでなく、昭和24年の火災で損傷した壁画も再生して周りを囲んでいるので、まるで白鳳時代のお堂にお参りしているようです。

     

    この複製事業には、富山県高岡市と南砺波市の協力がありました。

    高岡は梵鐘をはじめとする銅鋳物の生産地であり、南砺波には井波の木彫があります。

    高度で伝統的な技法を伝えている人たちが参加し、芸術家、科学者、先端技術者と力を合わせました。

    言ってみれば最新技術と伝統技術の融合によって生まれたものです。

     

    文化財は、それが存在するところに生きた人々の魂の結晶です。

    存在することに真の価値がありますし、あるべき所にあることも大切です。

    しかし、現実に失われたり、失われようとするものがたくさんある現在、このような試みも大きな意義があると感じました。

     

    平成29年10月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時から行います。

     

  • 平成29年9月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年9月20日

     

    29年8月29日 大施餓鬼会

     

    下町の屋根を 温める太陽は

    貧しくも 笑顔を消さぬ 母の顔

    悩みを夢を うちあけて

    路地にも幸のくるように

    ああ太陽と 今日もまた

    「下町の太陽」3番

     

    「下町の太陽」、私はこの歌が大好きです。

    倍賞千恵子の歌う声を聞くと、涙が出てくるくらいに。

     

    高度経済成長の始まり、所得倍増計画が打ち出された昭和30年代半ばの日本はまだまだ貧しさの残る時代でした。

    私はお盆の棚経でお檀家を巡(まわ)っていたのですが、小学校の私でも本当に貧乏だなあと感じる家がいくつもありました。

    大概は家族に病人を抱えた家だったのですが。

     

    でも、希望があった。

    廃墟から歯を食いしばって復興を成し遂げた親たち、その姿を見て育った子供たち。

    社会に勢いがあり、頑張れば未来は開けるという希望に満ちた、もしかすると一番幸せな時代だったかもしれません。

     

    最近、東京の映画館で倍賞千恵子出演の映画の特集があり、その頃の映画を続けて見ました。

    東京の下町。そこで繰り広げられるのは貧乏なればこその悲哀。

    それを乗り越えていく力の源は、家族の絆と、同じ境遇にある者たちの連帯です。

    だましあり、裏切りあり、挫折あり。

    そんな境遇を愛情と信頼と勇気で懸命に切り開いていくストーリーに胸打たれました。

    映画の中の虚構ではなく、私の周りにいた人たちのことと受け取れたのです。

     

    いま放映中のNHKの朝ドラマ「ひよっこ」も、集団就職の若者たちを主人公に昭和40年代前半の時代を描いています。

     

    現在70歳代から60歳代後半の世代の人たちの青春が、なつかしみをもって思い出される時代になったわけです。

    現在は、社会全体としてみればあの時代に比べればはるかに豊かです。

    しかし、貧困がしわ寄せされた多くの人たちが存在し、しかも若者たちが希望を持つことができないでいるように思えます。

    これをなんとかしなければなりません。

     

    平成29年9月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時から行います。

     

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