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平成28年12月 観音朝詣りのお知らせ
2016年12月18日12月8日は成道の日。写経会の納経会を行っています。
本尊さまの台座にお経を書き付けた石を投入します。
お釈迦様は、老病死の苦しみを見て、生きるとは何かという問いを抱えて出家されました。
6年の苦行のあと、中部インドのブッダガヤの地、ナイランジャ川のほとりの菩提樹のもとで禅定に入り、12月8日の暁に、明星が燦然と輝く中で悟られました。
しかし、お釈迦様は悟られた内容を、すぐには説法しようとはされず深い禅定に入ったままでおられました。
世界の創造神である梵天はその様子を見ていました。
そしてお釈迦様が真理を説いてくださらなければこの世は滅びてしまうと危惧し、おん前に現れて、衆生のために説法してくださるよう必死に勧めました。
梵天の請いを受け容れたお釈迦様は、私はあらゆるところに行ってすべての衆生に説法しようと決心され、菩提樹のもとから出立されました。
梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と名付けられたこの話は、お悟りが説法されることによって衆生が救われたのであるから、これはお釈迦様の無限の大慈悲心のあらわれであるとして、語り伝えられました。
東京大学名誉教授の斉藤明先生は、この時のお釈迦様の大慈悲心が具現したものが観世音菩薩であり、それがよく表れているのが十一面観世音菩薩の姿であると言われます。
十一面観音は、頭上に十の顔と禅定にある仏さまを載(の)せています。
これは四方八方上下の十方世界に慈悲の眼を向けてあらゆる生きとし生けるものをみそなわしているのであり、中央のほとけさまは菩提樹下に禅定するお釈迦様に他ならないということです。
そうしてみれば、観音さまは仏さまの使いではなく、お釈迦様そのものということです。
肉親のお釈迦様は、紀元前383年、北インドのクシナガラで入滅されました。
しかしお釈迦様の大慈悲心は、観音さまとなって生きとし生けるものを救い続けています。
平成28年12月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時半から行います。
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平成28年10月 観音朝詣りのお知らせ
2016年10月16日栃木県梅花大会。今年の御詠歌講の発表会は18日に栃木市で行われます。
宗教とは何かと問われて、もし一言で云うとしたら「感謝」であると思います。
人から何かの恩を受けたとき、それに対して感謝の気持ちを持つことは、人間としてあたりまえのことです。
しかし自分が生きていること、日常の生活を送っていることに対して、それを有りがたいことと感じ、感謝の思いを持つことはなかなかに出来ません。
とくに、健康でいるとき、生活が順風満帆であるときには「日常」の有りがたさはなかなか見えてきません。
自分自身の、あるいは身近なものの病気や不幸に会ったとき、人は当然ながら悩み苦しみます。
そのときに、不幸の原因を他人や他のものに求めてそれで納得する人もいるでしょう。
自分の生きる意味を考えてそれに納得のいく答えを出そうとする人もいるでしょう。
しかし、生きる意味についての納得のいく回答など、なまなかに出せるものでもありません。
その多くは錯覚による自己満足でしかないと思います。
メッキはすぐにはがれてしまい、また悩み苦しみに戻ります。
そうした中で、自分自身がこの世の中に生きているという事実だけは否定しようもありません。
その時、自分が生きていることをすばらしいと感じ、さらに進んで、人により、ものにより、生かされていることをありがたいと感じることが出来るかどうかが分かれ目です。
たとえ神仏を信じなくとも「感謝」の思いを持つことの出来る人は宗教の門のうちに在ります。
平成28年10月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。
〈お知らせ〉
平成26年1月に、仏教の教えを根底に据えたような物語としてNHK朝ドラ「ごちそうさん」が、いまBS3チャンネルで朝7時15分から再放送されています。
どこが仏教的かなどと考える必要もなく、たいへんすぐれた面白いドラマですので、ご覧になることをおすすめします。
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平成28年8月 観音朝詣りのお知らせ
2016年8月13日弁天さまのお堂。
5月に境内の弁天堂に泥棒が入りました。
新聞に載りましたのでご存知の方もいると思います。
5月17日に弁天堂を掃除していた中川さんが、堂内にある小さな木彫りの像がなくなっていることに気が付きました。
石彫会の渡辺さんが彫った琵琶を持つ弁天様の像で、心を込めて彫り上げたものを粗末にはできないと思い、弁天堂に納めたのです。
その時は、それしか気がつかず、警察にも届け出ませんでした。
ところが、中央警察署の警察官が尋ねてきて、祥雲寺からの盗品を預かっているのだが心当たりがないかと尋ねられました。
別の容疑で逮捕された泥棒の部屋を捜索したら、祥雲寺の名前の入った絵馬があったというのです。
盗まれていたのは、木像、絵馬のほかに何とご本尊弁財天像が右手に持つ剣と左手の掌に持つ宝珠でした。
目の前におがんでいながら気が付かなかったのです。
何とも恥じ入るばかりであり、弁天様に謝罪申し上げねばなりません。
調書に記載する必要があるというので、損害額を聞かれました。
さて、いくらになるのでしょう。
7月7日の弁天祭りの前にすべて戻ったのですから、実質の損害はありません。
そもそも、信仰の対象に値段をつけることは出来ません。
テレビの人気番組「なんでも鑑定団」などで、仏像にとてつもない値段がつけられることがあります。
人の嗜好の対象である骨董品、美術品として商取引されることを前提にしています。
しかし、仏像や神像は信仰されてこそ価値があるのです。
祥雲寺の弁天様は、もともと前の小学校のところにあった沼地の祠にまつられ、おそらく何百年と信仰されてきました。
御像も古いものですが、骨董的価値のあるものではありません。
それでもありがたい。
宗教的なものに関心が無いのは、一般的な風潮のようです。
このことで取材に来た若い新聞記者が、「宮司さんはいますか」と言ったのにびっくりしました。
確かめたら寺も神社も代表は宮司と言うと思っていたようです。
平成28年8月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。
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平成28年7月 朝詣りのお知らせ
2016年7月13日7月7日べんてんまつり、転読しての参列者諸災消除諸縁吉祥の祈願
バングラディシュで痛ましい事件が起きました。
テロの犠牲になったのは、日本人の中の宝石というべき人たちです。
この世界の一隅に火を点(とも)し、人びとの幸せのために分け隔てすることなく仕事をしていた人達です。
ご家族の悲しみはいかばかりでしょう。
縁もゆかりもない我々でさえ悲しみに胸が熱くなります。
犯人たちに憎しみを感じます。
しかし、あの若者たちの心情は、おそらく、身を捨てて大義を成し遂げようとしたのです。
見方を変えれば殉教者であり愛国者です。
なぜこんなことが起こってくるのか。
背景には、欧米の先進国が、石油の利権をわが物にしようとして、中東のイスラム教の世界に介入したことがあります。
湾岸戦争、イラク戦争が起こり、現在も止め処ない内戦が続いています。
欧米だけのせいにできない色々な要因はありますが、過激派はこの状態をもたらした責任は欧米にあるとしています。
そして、欧米と戦うための根拠をイスラムの教えの中に求めています。
先日、イスラム教を研究する先生の講義を受けました。
イスラム国やアルカイダのような暴力を是とする考えは、本来のイスラム教にはありえないそうです。
しかし、現実にイスラム国やアルカイダはイスラムの大義のためと称しテロをくり返し、止むことがありません。
それらの組織が壊滅しても、また新たな組織が生まれ同じことがくり返されます。
私は、全知全能の神を立てる一神教の中に、対立を生み出す根本的な問題点があるのではないかと思っています。
自分たちの信じる神にのみ正義があり、信じないもの、別の神を信じる者は正しくないのです。
ブッシュ大統領はアフガニスタン派兵決定にあたり
「これは十字軍だ。邪悪な者との戦争だ。」
と演説しました。
これと、テロリストたちが
「神は偉大なり。聖戦(ジハード)だ」
と叫ぶこととあまりにも似ています。
異なった文化、歴史を持った人々の心が通じ合うには、
「絶対に」
という言葉はいりません。
平成28年7月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。
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28年6月 朝詣りのお知らせ
2016年6月11日今年も梅雨入り。紫陽花の季節。
江戸時代、正大の北方六里に吉岡という宿場がありました。
その宿場は、藩御用の物資運搬を責任を持って勤める伝馬役を課せられて苦しんでいました。
馬や人夫を無償で手配するのですから重い年貢と同じです。
負担できずに夜逃げするものがあとを絶ちませんでした。
「このままでは村が滅びてしまう。」
穀田屋十三郎と菅原屋篤平治という二人の若者は宿場の将来を憂えました。
そして思いついたのが、宿場の資産ある人から財を募って千両(五千貫文・二億円くらいか)の金を作って財政難の仙台藩に貸し、利息を取って伝馬の費用に充てるという奇想天外のアイデアでした。
二人はなけなしの財産から五百貫文という大金を出しました。
宿場の将来のためにすることであり、出資者には何の見返りもないことですので率先して誠意を示さなければなりません。
それでもというか、当然にというか協力者は少なく、目標にはほど遠い状態でした。
ところが、十三郎の実家が家産のすべてを出して協力することにより、ついに千両相当の金を集め、その後も困難の連続ではありましたが当初のもくろみを達成できたのです。
実は、十三郎の父親は、はるか昔から十三郎と同じことを考え、守銭奴とののしられながらも金をためていたのです。
この話のすごいところは、出資者9人が見返りを求めなかったことです。
金銭だけでなく、栄誉も求めない。
寄合では下座に座り、道は端を歩く。
それは子々孫々まで伝えられました。
このことが世に知られたのは、彼らの菩提寺の住職が記録にまとめたものが残されたからです。
昔の日本人の偉さがよくわかります。
と同時に、私は自分をかえりみて恥じ入るばかりです。
この話は、磯田道史著「無私の日本人」という本に収められ、さらに「殿、利息でござる」という映画になって現在上映されています。
どうぞご覧になってください。
平成28年6月11日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。