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平成28年4月 朝詣りお知らせ
2016年4月16日桜が散るころには若葉が芽吹いて、新緑の季節が待ち遠しくなります。
人間が負けることはないといわれていた囲碁で、コンピューターが世界最強の天才棋士に勝ちました。
人間の知能の発達と似た学習法で、勝負に勝つための判断力を高めたからだそうです。
コンピューターは正確に計算しつくす機会から、判断力を備えた人工知能に変わってきたのです。
30年後には、知能として人間を上回るという予想です。
これはどんなことを意味するのでしょうか。
先ず考えられるのは、人間のために働いてくれるロボットです。
辛い労働を代行するのはもちろんのこと、レシピに基づいておいしい料理を作り、マニュアルに則った至れり尽くせりの介護もします。
人間が快適な生活をするために必要なことはすべてやってくれそうです。
人型のロボットだけではありません。
技術の開発をしたり、科学上の発見や新しい理論も生み出します。
文学や芸術分野でも、人間の感性や好みについての分析が蓄積されて、感動を呼ぶすぐれた作品が生まれます。
人工知能のはたらきで、人間は何もしないでも欲しいものは手に入り、願うことは達成されるようになるのです。
スイスの学者は、未来の人間は、自分がやりたいことを好きなだけやる人生を送るようになると予想しました。
これが幸せなことでないことはどなたもお分かりでしょう。
社会に関わらずに一人だけで幸せを感じることはありません。
生きる意味がなくなります。
人間とはそういう生き物です。
幸せは、人それぞれが価値あると思うものを実感することから生まれます。
それは成長し滅びる肉体の中にあります。
満開の桜に心のときめきを覚え、散りゆく花におのれの人生を重ねる。
無常なる肉体だからこそひとつがかけがえのないものとなり、価値あるものとなって輝くのです。
取り換えのきくコンピューターには、知能はあっても価値と感じるものはありません。
そんなものによって生きる意味がなくなる。
そんな未来があってはなりません。
平成28年4月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。
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平成28年3月 観音朝詣りのお知らせ
2016年3月16日インド独立の記念碑、インド大門にて
一月のインド旅行で、中部インドのジャーンシーという都市を通りました。
インド独立運動の聖地ともいえる町です。
ムガール帝国のインドはマハーラージャといわれる領主たちが自分の利権だけを求めて争い、バラバラになっていました。
イギリスはそこにつけ込んで侵略し、莫大な利益をあげるようになっていました。
1857年、イギリスの雇い兵たちが宗教的なことが原因で反抗したことがもとになって、全インドでイギリスに対する大反乱が起こりました。
イギリスによる収奪はインドに広く行き渡り、我慢のできない発火点に達していたのです。
この大反乱では、独立の英雄といわれる人たちが多く出ました。
その中のひとりが、ジャーンシー王国の王女、ラクシュミー・バーイーです。
イギリスに奪われた王国を取り戻すべく戦いの先頭に立ち、勇敢さとすぐれた知略で優勢なイギリス軍をたびたび破りました。
遂に戦場で斃れましたが、敗北必至の苦境にあっても闘志を失わず、果敢に戦ったその姿は、後のインドの独立運動を勇気づけました。
ネルー首相は著書『インドの発見』で
「名声は群を抜き、今もって人々の敬愛を集めている人物がある。
その名はラクシュミ―バーイー。
齢二十のうらわかい女性の身で戦場に仆(たお)れた。」
と称えています。
ジャーンシーの駅前には、武装した騎馬姿の彼女の銅像が建っています。
そして、その近くには、塩を求めて海に向かうガンジー一行の銅像が建てられています。
イギリスの塩税に抗議して1930年に行った「塩の行進」と呼ばれる無抵抗不服従運動の姿を写したものです。
武力によっては適わなかったインドの独立は、ガンジーの平和主義によって成し遂げられました。
その根底に、ラクシュミ―のような勇者たちの活躍によって生まれたインド人のほこりがあることも忘れてはならないでしょう。
平成28年3月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。
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平成28年2月 観音朝詣りのお知らせ
2016年2月17日クシナガラ涅槃堂、お釈迦さま入寂の地
願わくは 花のもとにて春死なむ
その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ
西行法師
西暦紀元前383年といわれますが、陰暦2月15日満月の夜お釈迦さまは涅槃に入られました。
沙羅双樹のもと頭を北に顔を西に向けて臥され、急を聞いて集まって来た弟子たちに最後の説法をなされました。
弟子たちよ、これからはみずからをともしびとし、みずからを拠り所とせよ。
法をともしびとし、法を拠り所とせよ。
とおっしゃられた後、修行者の修めるべき八つの道を説かれました。
小欲(欲少なく)、知足(わずかなものにも満足)、寂静(心の平静)、精進(良いことをするのに勇敢に)、不妄念(真理を常に心に念じ)、禅定(心静かに瞑想する)、修智恵(諸々の智恵を常に修行する)、不戯論(無益の論をなさない)
このお釈迦様の最後の教えには理屈として難しいものは何一つありません。
真の道を求めて精進努力することの大切さを教えられたのです。
精進努力は仏教では勇気を意味します。
自分の殻(カラ)を破って前に進む。
それは勇気に他なりません。
殻(カラ)を破ることは新しい自分を作り出すことです。
常に勇気をもって自分自身の人生を創り出してゆく、そこに人として生きる喜びもあると思います。
釈尊を慕い漂泊の一生を遂げた歌人西行法師の命日は二月十四日です。
平成28年2月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前9時から行います。
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平成28年1月 観音朝詣りのお知らせ
2016年1月17日元朝大祈祷。夜を徹して祈祷し、そのお札をお檀家に配っています。
一生の年月これ何ぞ必(ひつ)ならんや
万事(ばんじ)回頭(かいとう)するに得失(とくしつ)に非ず(道元禅師の言葉)
明けましておめでとうございます。
この道元禅師の言葉は、四行からなる漢詩の前半です。
「人生において、こうすれば必ず幸運が訪れるという方法などありはしない。過ぎさったことを振り返ってみれば、これがうまくいった、これは失敗だったと決めつけることは誤りである。」という意味です。
我々が無常の世に生きている身であってみれば、よかれと思ってしたことも運悪く失敗の原因となってしまったり、失敗と思っていたことも長い目で見て人生の糧となっていたりすることは数多くあります。
要するに、人生を人間の知恵で解明することなど出来はしないのです。
さて、実はこの後が道元禅師の大切な教えで、詩の後半には、それかからこそ私たちは仏様の教えに適った善きことをなしていかなければならないとお説きになっています。
人生すべて運次第と思って、成り行き任せで生きていくか、日常の一刻一刻を大切に生きていくかは、人それぞれです。
しかし一所懸命生きていけば、たとえどんな運命が待っていようとも、人生の充実は残ります。
得るところ少なくとも、その得るところを軽んずるなかれ
(中村元 『真理の言葉・感興の言葉』より)
平成28年1月15日 祥雲寺住職 安藤明之
寒さが厳しくなっておりますので
18日の観音様の朝詣りは午前9時から行います。
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平成27年12月 観音朝詣りのお知らせ
2015年12月13日庫裡の前の舗装工事。大谷石を外してアスファルトを敷きます。
工事の為今週は坂上に駐車できなくなります。
12月1日、無縁供養の日に、羅漢の会(祥雲寺石彫会)の人達が一年がかりで彫っていた12体の羅漢の開眼・安座の法要を修行しました。
これまでに完成した像の数は404体。
ようやく400体を超えました。
本堂に向かって左側に並ぶ十六大阿羅漢像は、羅漢会の人たちが共同で2年間を掛けて彫刻士、平成14年に開眼されたものです。
その時には、完成を記念して、羅漢の会メンバー20名と大分県の石仏巡拝の旅をしました。
大分県にはたくさんの磨崖仏があります。
特に県北東の国東半島は神仏習合であった宇佐八幡宮の道場として天台密教の系統に属する仏像がたくさん彫られており、まさに仏の国の趣でした。
また県南部にはそれとは別の系統に属する芸術性の高い石仏群があります。
中でも平安時代から鎌倉時代にかけて彫られたという臼杵石仏は、磨崖仏としては日本唯一の国宝に指定されています。
平安後期、京都では仏師定朝によって寄木造りによる国風の優美な仏像彫刻が完成されました。
臼杵の石仏は、その様式を受け継いでおり、なおかつ石像らしい力強さを兼ね備えている日本石像彫刻の最高峰のものだそうです。
それより以前に、檀家の方達とインドを旅してカジュラホー、エローラなどのヒンズー教の素晴らしい石像に驚嘆したことがありますが、日本にもこんな素晴らしい石像があったのかと感激したものです。
時代、国、宗教は異なっても、祈りを込め像を作り上げる人間の営みに変わりはありません。
世界にはイスラム教、キリスト教など、偶像崇拝を否定する宗教もあります。
しかし、像には人間の魂の奥底を揺さぶるものがあります。
わたしには、敬虔な信仰に支えられた像はそれ自体が崇高なものだと思えるのです。
平成27年12月13日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時半から行います。