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平成27年7月観音朝詣りのお知らせ
2015年7月15日昭和初めころの旧本堂と焼ける前の天然記念物しだれ桜
御詠歌講に久しぶりに二人の方が入講しました。
御詠歌は西国三十三番観音霊場や四国八十八カ所霊場の巡礼歌に始まります。
千年にわたって伝えられた古い曲もあれば、古賀政男さんや遠藤実さんが作曲した新しい曲もあります。
日本の音曲の源流であり、高名な作曲家も作曲してみたいと考えるらしいのです。
ところで、初心の方には、お作法を最初にしっかりとおぼえてもらいます。
御詠歌は信仰の行ですから、先ず大切なのは合掌の仕方など礼拝の作法です。
そして経典や楽器である鈴と鉦(かね・ショウ)の扱い方や袱紗への包み方、開き方を学びます。
姿勢を正し、用いるものを大切に扱うことを体でおぼえます。
作法は自然に無心の行となります。
習い事にあたって先ず作法から入るというのは日本の芸道に共通しています。
それは無心になってこそ、表面に現れるものの奥にある、「こころ」と相通じることができるからです。
かたち、動作を大切にし、そこから本質に入っていくのは特に禅宗で強調されることです。
それが修行なのです。
修行道場に入ると先ず教えられるのが「威儀即仏法(いぎそくぶっぽう)」という言葉です。
身支度を調え、すわり方、立ち方、歩き方にいたるまですべてに心を配るようにと厳しく指導されます。
坐禅では調身、調息、調心といって、先ず姿勢を調え息を調える。
身体が最初なのです。
最後の心を調えるというのも、調えようとして心を追いかけることは厳しくいましめられます。
求道の心を持ってかたちを整えていく、そのかたちの中にこころが現れるのです。
御詠歌の作法は、茶道などに比べればまことに簡単なもので、作法というほどのものでないといわれそうですが、その先にある広大無辺の仏さまの世界を歌いあげるには、真剣に努めなければならないとされるのです。
平成27年7月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。
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平成27年6月観音朝詣りのお知らせ
2015年6月17日雨上がりの紫陽花
弁天さまは、七福神ただ一人の女神さまです。
祥雲寺では毎年七月七日に弁天さまのお祭りがあります。
戦前まで現在の昭和小学校の所にまつられていました。
正式の御名を宇賀耶弁財尊天といい、古くから信仰されていた由緒ある神様です。
寺の前を流れていた西アサリ川に尊像が投げ捨てられるという事件があり、枝垂れ桜の下にあった天神様の小さなほこらの中に移されました。
朱塗りの弁天堂が建ち現在の場所に安座したのは昭和三十年のことです。
弁天さまは、もともとインドのサラスヴァティー川の女神です。
大変な美人で、創造の神ブラフマー(梵天)が恋して妻としました。
美しい姿をいつでも見られるようにと梵天さまはみずからの顔を四つにしました。
サラスヴァティー川は、古代インドで聖なる川と讃えられました。
しかし干上がって砂漠に消えたといわれます。
近年、ランドサット衛星の映像分析で、たくさんの遺跡が地下を流れる川に沿ってあることが判明しました。
この地下水脈がサラスヴァティー川だと推定されます。
この川は世界四大文明の一つ、インダス文明の母なる川だったのです。
お釈迦様のために祇園精舎を寄進したスダッタ長者は、この女神の信者でした。
そのこともあって、仏教徒の守護神と信仰されるようになり、金光明王経には鎮護国家の神としてその功徳が記されています。
弁天さまは、水の神、音楽・文学・芸術の神、魔を払って富をもたらす神、女性神として家庭の安全をもたらす女神さまです。
七月七日は七夕の日。
毎年たくさんの善男善女におまいりをいただき、所願成就の祈祷の法要が修行されています。
法要の後には夏を乗り切る身体健全の効能あらたかな「すりばち灸」もあります。
平成27年6月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。
今年もたくさんの梅が実っています。
朝詣りのあと、梅落としをいたしますので、一緒に採ってお持ち帰りください。
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平成27年5月観音朝詣りのお知らせ
2015年5月13日4月末、早朝の藤の花
我が説法は筏(いかだ)の喩(たとえ)のごとしと知るべし。
法もなお捨てるべし。「金剛般若経」
筏(いかだ)の喩えとは、お釈迦様が弟子達に説いた有名なたとえ話です。
旅人が、大きな川に出会った。
こちらの岸は危険で恐ろしく、向こう岸は安全であるとしよう。
彼は草、木、枝、葉を集めて筏を組み、無事に川を渡ることができた。
渡り終えて
「この筏は私のためになった。行く先でも役に立つであろうからこれを持って行こう」
こう考えることは正しいことであろうか。
弟子たちは答えます。
「正しいとは思いません」
それではどうしたら彼は、その筏に対してなすべきことをなしたことになるのだろうか。
すなわち、この筏は私のためになった。
これによって安全にこちらの岸に渡った。
私はこの筏を岸に引き上げ、あるいは水上に浮かべて、そのままにして行こう。
彼がこのようにしたならば、筏に対してなすべきことをなしたのである。
このように、ものに執着しないように、この筏のたとえを知っている君たちは教え(法)をもまた捨てるべきである。
お釈迦様は、人間がどうしたらとらわれから離れることができるかについて、さまざまな形で説かれました。
わかりやすいたとえ話もあれば、むずかしい理論もあります。
厳しい修行への導きもあれば、深い慎みをもって日常を生きるべしとの諭(さと)しもあります。
ひとつひとつは、解脱のためのすぐれた手立てであり、それが法です。
しかし、いかに素晴らしい手立てであっても、それにとらわれてしまう時、それは「とらわれ」「足かせ」となります。
お釈迦様は、みずからの教えさえも相対化する透徹した教えを説かれているのです。
もちろん、法を捨てても、道を求めてたゆむことなく進むものには、清浄な心が保たれ、天地に恥じない人倫が貫かれていることは言うまでもありません。
法とはそういうものです。
平成27年5月13日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。
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27年4月観音朝詣りのお知らせ
2015年4月17日今年の4月8日は雪の花祭りとなりました。
天皇皇后両陛下は4月8日パラオを訪問し、翌日ペリリュー島の戦没者慰霊碑に供花されました。
供花のあと、間近に見えるアンガウル島に向かって深く礼をされていました。
昨年8月のこのお便りにも記しましたが、両陛下の慰霊はまことにありがたいことです。
太平洋戦争有数の激戦となったパラオ諸島を守備したのは14師団です。
ペリリュー島には水戸の第2連隊と高崎の第15連隊、アンガウル島には宇都宮の59連隊が配置され、いずれも玉砕しました。
祥雲寺のお檀家にもこの地で戦死された方がいます。
日中戦争から太平洋戦争まで、お檀家の戦死された御霊は167。
改めて戦争の苛烈さを思います。
いま、兵士になった人たちがこの世を去っていきます。
兵士になった人たちのほとんどが大正の生まれです。
すべて数え年で90歳を越えたのです。
私にとっては親の年代の人たちです。
兵士が戦闘のさまを語ることは、親子でもほとんどなかったでしょう。
しかし、戦争は戦闘だけでなく、社会全体が巻き込まれるものです。
欲望、残虐さ、人間の持つ狂気ともいうべき負の面が渦巻きます。
戦場となった地だけでなく銃後においてもです。
「あんなことはあってはならない」という、幾度も幾度も聞いた親たちの言葉は大切にしなければなりません。
私は、軍隊は持たなければならないと思っています。
子供時代、学生時代に声高に叫ばれていた非武装中立論は、今振り返ってみれば、非現実的なおとぎ話です。
しかしそれでも、戦争を避けるという原則は崩してはなりません。
為すべきは戦乱、戦争を起こさず、巻き込まれず、追い込まれないように努力することです。
不戦は、戦争の時代を生きた人たちの次に生まれた私たちの、第一の立場でなければなりません。
平成27年4月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。
