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平成25年10月朝詣り
2013年10月18日祥雲寺西国三十三番観音霊場朝詣り行事は今月で満20周年を迎えます。
住職を引き継いだとき、本道の周りに開眼されないままの33体の観世音菩薩石像が残されていました。
観世音菩薩を信仰していた先代住職が発願して造立されたものが安置できぬままになっていたのです。
信心のこもったお像として安置したいとの思いから、平成元年から4年間かけて40人ほどの人たちと巡礼しました。
いただいてきた各札所のお土を台座の中に収め、それぞれのお像に祈願の施主がついてくださって、すべての開眼が終わったのは平成5年5月でした。
最初は、私を含めてばらばらにお詣りをしていましたが、そろって毎月お詣りしようということになり、観音様の縁日である18日を選んで第一回が行われたのが、その年の10月です。
以来、一回も休むことなくこの朝詣りが続いてきたのは、多くの人のお陰です。
供える花は、足が不自由でお詣りすることができない壬生在住の方から欠かさず届けられています。
開始時間の30分以上前に来て華を切りそろえ水桶を準備してくれる人、水桶を運んでくれる人、月ごとに絵馬札を準備してくれる人、おまいりの後のお茶のときの菓子やお茶請けを手作りしてもってきてくれる人。
毎月これらの人たちが支えてくれてお詣りが続いています。
この霊場に年間を通していろいろな花が咲くように考えて植えてくれた人、アヤメや蓮を持ってきてくれた人のことも忘れられません。
そして、総長参加し手を合わせる善男善女。
20年間、真摯に祈り、季節の移ろいを楽しみ、なごやかにおしゃべりする。こんなに素晴らしい行事を続けられることこそが観音様の威神力に違いありません。
平成25年10月15日 祥雲寺住職 安藤明之
今月18日の観音様朝詣りは記念行事として午前9時から行います。
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平成25年2月朝参りのお知らせ
2013年2月17日先月の朝詣りが始まる直前、私は転倒して頭を強く打ち、国立宇都宮病院に入院いたしました。
幸い、手術することなく院内での投薬による治療ですみました。
入院は私にとっては生まれて初めてのことでした。入院患者としていろいろと考えることがありました。
私も入院当初には肉体的な辛さがあったのですが、これは入院するほどの患者なら誰もが感じていることでしょう。
重症の人と比べれば実際に私程度は問題にもならないものでしょう。
肉体的、精神的辛さを乗り越えていくのは、忍耐力、希望、あきらめなど、それぞれの患者の意思や力によります。
しかし、それを支えてあげる人たちの力も大きなものです。
私の場合には、妻はもとより、遠くにいる子供たちが何度も来てくれました。
家族がそばにいる安心感はかけがえのないものだと実感しました。
また病院のスタッフの丁寧さに感心しました。
医師は信頼の中心です。
毎日来てくれて経過を話し合ってくれることが安心感となり、闘病の励みになります。
そして看護師さんたちの分け隔てない親身さには感心しました。
同室にはしょっちゅうナースコールをして怒鳴りまくっていた人もいました。
病状からやむを得ないかもしれません。
そういう人にたいしても、すぐにきて丁寧な看護をしていました。
母の最晩年、何度か老人ホームのショートステイを利用いたしました。
いくつかのホームに行ったのですが、その時に感じたのは、老人にとってありがたいのは、設備が新しくて見かけがよいことよりも介護スタッフの親身さであるということでした。
それは、今回の病棟でも感じたことです。
高齢社会が進んでいく中で、看護や介護は益々重要な社会問題になっていきます。
その中で一番大切なことは、人と人との結びつき、親身さ、いわば心を大切に考えることです。
平成25年2月15日 祥雲寺住職 安藤明之
この度のことでご心配いただいたことに感謝申し上げます。
今月18日に観音様の朝詣りは、勝手ながら午前9時からにさせていただきます。
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平成24年3月朝参りお知らせ
2012年3月18日参道梅園の梅
観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄
朝念観世音 暮念観世音 念念従心起 念念不離心(延命十句観音経)
わずか42文字、延命十句観音経は一番短いお経です。
正式なお経ではありませんが、長大な観世音菩薩普門品(観音経)のエッセンスを、お経の形にまとめたものです。
意訳しますと
観音様。
心から信頼申し上げます。
私たちは仏様と同じ世界に生きております。
仏様との絆で結ばれている私たちは、いつも清らかでとらわれのない日暮らしができます。
朝にも、夕べにも観音様に祈ります。
この祈りは私たちに備わる清浄心から発せられるものであり、その心を離れることはありません。
観音様は、大悲闡堤(せんだい)といって、この世の衆生を救い続けるため、決して彼岸へと去ってしまわない菩薩様です。
成仏しない仏様と言ってよい。それで「南無仏」です。
この世は無常であるのに常と捉え、苦であるのに楽と捉え、定められないものを実体と捉え、不浄なるものを清浄と捉えることを、凡夫の常楽我浄というのですが、とらわれを離れた境地に立った時、否定されていたものが不滅なるものとして生き生きと立ち現れてくる、これが涅槃経などに説かれる常楽我浄です。
経の末尾二句の「心」とは、人間が本来備えている慈愛に満ちた清浄な心、すなわち仏心のことです。
観音様への願いは欲得からのものではなく仏心から発せられるものであり、そのように願い続けることを誓う言葉です。
衆生に対する観音様の慈悲済度の御心は無量であり、海にたとえられます。
このようなことから3月11日の大震災慰霊法要では、観音様への祈りの功徳を犠牲者の御霊に捧げるべくこの経の写経をしていただき霊前に捧げました。
平成24年3月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。