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ハイチ震災チャリティのお知らせ
2010年3月15日お彼岸も近くなり、大分寒さも和らいできました。
参道の梅林も紅梅から白梅へと移り変わり、徐々に春めいてきています。
近くに座ると、ほんのりと白梅の香りが包んでくれます。
黄梅はもう少ししてからが見ごろになりそうです。
話変わりまして、チャリティ民謡のお知らせをします。
昨年12月1日の無縁供養大祭の折に、県内各地で活躍されている美寿々すみ子先生に唄語りを披露していただきました。
そのご縁もあり、ハイチ地震の被害報道に際し、支援を行う為に祥雲寺を会場にチャリティ民謡を4月3日に行うことになりました。
美寿々先生はシルバー大学で昔語りの指導を行い、県内各地で同好会を立ち上げ、精力的に活動を行っている方です。
先生の昔話の唄語りは一般にイメージされる古臭いものではなく、みずみずしく生き生きとした、まさに「血の通った」昔語りといえる面白いものです。
4月には境内も丁度桜の開花を迎える時分になります。
花見に合わせて、多くの方にお越しいただきたくお知らせいたします。
- 日時:4月3日午後2時より
- 場所:祥雲寺本堂1階
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平成22年2月朝参りお知らせ
2010年2月13日涅槃会 遺教経読綬(於 祥雲寺室中)
汝等比丘、諂曲(てんごく)の心は道と相違す。この故に宜しくまさにその心を質直にすべし。(仏遺教経)
「諂曲」こび、へつらい。 「質直」正直、すなお
2月15日はお釈迦様が入滅された日、涅槃会です。
「仏遺教経」は、急を聞いて集まってきた比丘(弟子)たちになされた最後の説法として伝えられたお経です。
お釈迦様は弟子たちに向かって、私がいなくなっても、志を持って真実の道を歩みなさいと諭(さと)されます。
媚(こ)び、へつらいは他人に迎合し、自分の主体性を放棄した生き方です。志を持って生きることとは反対です。
へつらいを捨てて誠実に生きなさいとおさとしです。
遺教経ではこれに続いて、「小欲」と「知足」の法が説かれます。
欲多き人は自己の利益を求めて、それが満たされずに苦悩することになる。
欲望を充たさんがために人に媚びへつらって、自分の本当に生きたいと思う道を歩むこともできなくなってしまう。
また五官の欲望に振り回されて道を踏み外したりすることともなる。
欲望には自制が必要である。・・・これを小欲として説かれました。
苦悩から抜け出ようとするならば、現在のものごとを節度と満足をもって受け止めなければならない。
心に余裕が生まれ、煩悩の波風に揺り動かされることもなくなる。・・・これを「知足」として説かれました。
「小欲」と「知足」は表裏一体の関係にありますが、お釈迦様はこの小欲知足を、ただ悩みから脱却するための手立てとしてお説きになったのではありません。
欲にとらわれて、自分の道を見失うことを戒め、正直に誠実に生きてゆくことを第一とし、そのための基本の心構え、実践のあり方としてお説きになっているのです。
平成22年2月13日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時半から行います。
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平成22年1月朝参りお知らせ
2010年1月14日疑いは人間にあり。天に偽りなきものを。(能楽「羽衣」より)
「羽衣」は、数ある能楽の中でもきっての名曲です。
明るく、すがすがしく。晴れ晴れとしてくもりがありません。
能の羽衣の舞台は、美保の松原です。
白砂青松の浜辺、青々と広がる海の彼方には、富士の霊峰が聳え立つ。
まさに日本有数の絶景です。
白竜という名の漁師が松に掛けてあった美しい衣を見つけ自分のものにしようとします。
そこに天女が現れて返してくれるよううったえます。
漁師はなかなか返そうとはしないのですが、天女があまりに嘆き悲しむのを見て哀れに思い、天人の舞いを見せてくれるのを条件に返そうと告げます。
しかし天女は、衣がなくては舞うことができない、まず返してほしいと言うのです。
漁師は返してしまったらそのまま天に昇っていってしまうのではないかと疑いの言葉を投げかけます。
冒頭の言葉はそれに対する天女の答えです。
「疑いの心は人間世界のものです。天界にはうそ偽りはありません。」
それを聞いた漁師は羽衣を返します。
天女は約束通り舞楽を舞い富士の頂きを超え天上へと飛び去っていくのです。
羽衣伝説は各地にあり、男が羽衣を返さないで天女と夫婦になるというものが多いのですが、能「羽衣」の素晴らしさは、漁師が天女の言葉を信じるところにあります。
人間を超えた存在に対する畏敬の思い、神仏への信頼が素直に表れています。
平成22年が始まりました。
天上界だけでなく、私たちもお互いを信じあい、今年一年が晴れ晴れとしたものとなるよう祈っております。
平成22年1月14日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝参りは午前6時半から行います。
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平成21年12月朝参りお知らせ
2009年12月14日先月、チベットの仏像から受けた感銘について記しました。
仏像が初めて造られたのは、紀元2世紀頃と言われます。以来、仏像は仏教徒の信仰の中心となりました。
実は「ほとけ」という言葉はもともと仏像を意味するのだそうです。
インドの言葉で、目覚めた人、悟った人を意味する「ブッダ」を、中国では「浮屠」と音写しました。
その文字を古代日本人は「ふぉぇとぇ」と読み、それに「目に見える形」を意味する「け」という音を付けて、ブッダの姿、すなわち仏像を意味する言葉ができました。
これは先年亡くなった国語学者の大野普先生の説です。
大野先生はさらに、「カミ」が、「カミナリ」に表わされるような自然の絶大な力をもとにした、只ただ人間を畏怖させる存在だったのに対し、「ホトケ」は人間としてのさまざまな苦しみを救済してくれる存在として、古代日本人の前に現れたと述べています。
京都、太秦の広隆寺の弥勒菩薩像は国宝指定第一号の仏像です。
高校の修学旅行で初めて御像を目の当たりにした時のことを思い出します。
静かにほほえんだお顔を拝み、ほほにそっと添えられた指先を見ていると魂がすくい上げられていく思いがしました。
この弥勒菩薩は7世紀前半に朝鮮半島から招来されたか、あるいは日本で造立されたとされます。
いずれにしても百済から日本に公伝されて間もない頃です。
古代の人も、私たちと同じ思いで仏像を拝んだに違いありません。
時を貫いているものは、人の世の苦しみ悲しみを憐れみたまいやさしく包んでくださる慈悲のお姿です。
平成21年12月14日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝参りは午前6時半から行います。
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12月1日無縁供養のお知らせ
2009年11月26日紅葉もそろそろ終わりの季節になってきましたが
ここ数日天気が良いので、散策に来られる方を多く見かけます。
昨日今日は爽やかな秋晴れの日になりました。
特に今日は温かで、小春日和と言ってもいい位すごしやすい気温です。
昨日水曜は月に一回のフラワーアレンジメント教室の日です。
先生の指導のもと思い思いに花を生けています。
十数名の教室生を先生が見て回り、時に指導を行います。
こちらは今回の作品の一つ。
秋を意識して、表の銀杏の葉を散らしています。
毎年12月1日は祥雲寺無縁供養、水子地蔵尊供養を修行しています。
無縁供養とは、一見無縁であるけれど、実は目に見えない形で私たちに恵みを与えている
諸々の人々、ひいては天地万物に対しての報恩感謝の為の供養になります。
祥雲寺の無縁供養は天明年間に起源をもつ伝統行事です。
午前中に無縁供養、水子地蔵尊供養の法要を行い
午後には記念行事として演奏会や朗読会など、沢山の人に楽しんでもらう企画を用意しています。
今年はこの記念事業として
佐野の美寿々すみ子さんに民話の語りをお願いいたしました。
美寿々先生は栃木シルバー大学民話クラブの講師も行っており、
県内各地にて同好会を立ち上げ、民話の指導普及に尽力されています。
私も講座の発表を聞く機会がありましたが、大変ユニークな方で会場を沸き立たせていました。
午前午後ともに費用のかかるものではありませんので
多くの方にご参加いただければと思います。
