ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

お知らせ 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

お知らせの記事

  • 平成22年1月朝参りお知らせ

    2010年1月14日

     

    疑いは人間にあり。天に偽りなきものを。(能楽「羽衣」より)

    「羽衣」は、数ある能楽の中でもきっての名曲です。

    明るく、すがすがしく。晴れ晴れとしてくもりがありません。

     

    能の羽衣の舞台は、美保の松原です。

    白砂青松の浜辺、青々と広がる海の彼方には、富士の霊峰が聳え立つ。

    まさに日本有数の絶景です。

    白竜という名の漁師が松に掛けてあった美しい衣を見つけ自分のものにしようとします。

    そこに天女が現れて返してくれるよううったえます。

    漁師はなかなか返そうとはしないのですが、天女があまりに嘆き悲しむのを見て哀れに思い、天人の舞いを見せてくれるのを条件に返そうと告げます。

    しかし天女は、衣がなくては舞うことができない、まず返してほしいと言うのです。

    漁師は返してしまったらそのまま天に昇っていってしまうのではないかと疑いの言葉を投げかけます。

    冒頭の言葉はそれに対する天女の答えです。

     

    「疑いの心は人間世界のものです。天界にはうそ偽りはありません。」

     

    それを聞いた漁師は羽衣を返します。

    天女は約束通り舞楽を舞い富士の頂きを超え天上へと飛び去っていくのです。

     

    羽衣伝説は各地にあり、男が羽衣を返さないで天女と夫婦になるというものが多いのですが、能「羽衣」の素晴らしさは、漁師が天女の言葉を信じるところにあります。

    人間を超えた存在に対する畏敬の思い、神仏への信頼が素直に表れています。

     

    平成22年が始まりました。

    天上界だけでなく、私たちもお互いを信じあい、今年一年が晴れ晴れとしたものとなるよう祈っております。

     

    平成22年1月14日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の観音様の朝参りは午前6時半から行います。

     

  • 平成21年12月朝参りお知らせ

    2009年12月14日

     

     

    先月、チベットの仏像から受けた感銘について記しました。

    仏像が初めて造られたのは、紀元2世紀頃と言われます。以来、仏像は仏教徒の信仰の中心となりました。

    実は「ほとけ」という言葉はもともと仏像を意味するのだそうです。

    インドの言葉で、目覚めた人、悟った人を意味する「ブッダ」を、中国では「浮屠」と音写しました。

    その文字を古代日本人は「ふぉぇとぇ」と読み、それに「目に見える形」を意味する「け」という音を付けて、ブッダの姿、すなわち仏像を意味する言葉ができました。

    これは先年亡くなった国語学者の大野普先生の説です。

     

    大野先生はさらに、「カミ」が、「カミナリ」に表わされるような自然の絶大な力をもとにした、只ただ人間を畏怖させる存在だったのに対し、「ホトケ」は人間としてのさまざまな苦しみを救済してくれる存在として、古代日本人の前に現れたと述べています。

    京都、太秦の広隆寺の弥勒菩薩像は国宝指定第一号の仏像です。

    高校の修学旅行で初めて御像を目の当たりにした時のことを思い出します。

    静かにほほえんだお顔を拝み、ほほにそっと添えられた指先を見ていると魂がすくい上げられていく思いがしました。

     

    この弥勒菩薩は7世紀前半に朝鮮半島から招来されたか、あるいは日本で造立されたとされます。

    いずれにしても百済から日本に公伝されて間もない頃です。

    古代の人も、私たちと同じ思いで仏像を拝んだに違いありません。

    時を貫いているものは、人の世の苦しみ悲しみを憐れみたまいやさしく包んでくださる慈悲のお姿です。

     

    平成21年12月14日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の観音様の朝参りは午前6時半から行います。

     

  • 12月1日無縁供養のお知らせ

    2009年11月26日

     

    紅葉もそろそろ終わりの季節になってきましたが

    ここ数日天気が良いので、散策に来られる方を多く見かけます。

     

    昨日今日は爽やかな秋晴れの日になりました。

    特に今日は温かで、小春日和と言ってもいい位すごしやすい気温です。

     

    昨日水曜は月に一回のフラワーアレンジメント教室の日です。

    先生の指導のもと思い思いに花を生けています。

     

    十数名の教室生を先生が見て回り、時に指導を行います。

     

    こちらは今回の作品の一つ。

    秋を意識して、表の銀杏の葉を散らしています。

     

    毎年12月1日は祥雲寺無縁供養、水子地蔵尊供養を修行しています。

    無縁供養とは、一見無縁であるけれど、実は目に見えない形で私たちに恵みを与えている

    諸々の人々、ひいては天地万物に対しての報恩感謝の為の供養になります。

     

    祥雲寺の無縁供養は天明年間に起源をもつ伝統行事です。

     

    午前中に無縁供養、水子地蔵尊供養の法要を行い

    午後には記念行事として演奏会や朗読会など、沢山の人に楽しんでもらう企画を用意しています。

     

    今年はこの記念事業として

    佐野の美寿々すみ子さんに民話の語りをお願いいたしました。

     

    美寿々先生は栃木シルバー大学民話クラブの講師も行っており、

    県内各地にて同好会を立ち上げ、民話の指導普及に尽力されています。

     

    私も講座の発表を聞く機会がありましたが、大変ユニークな方で会場を沸き立たせていました。

     

    午前午後ともに費用のかかるものではありませんので

    多くの方にご参加いただければと思います。

     

  • 祥陶会韓国旅行 -陶芸のルーツを訪ねてー

    2009年11月25日

     

    去る11月9日~11日に祥陶会で韓国、ソウル陶磁の町「利川」を訪ねてきました。

    祥陶会というのは、祥雲寺で毎週二回行っている陶芸の会です。

    今回、陶芸のルーツである高麗青磁、朝鮮白磁などを見学し、合わせてソウルの宗廟、昌徳宮を観光してきました。

     

    昔の韓国の村の様子を再現している民族村。

    韓国ドラマ「チャングム」のロケ地としても使われました。

     

    陶芸村入り口。

    陶土(陶磁器に適した土)と水に恵まれた一帯で、窯場が120件も集まっており、陶工達の作業工程も見学できる韓国有数の陶芸のメッカです。

     

    利川窯元、登り窯。

    栃木県益子にある登り窯と同じなんだな、と思いました。

    歴史的経緯を考えると、ここが源流に当たるのだと思うと、感慨深いものがあります。

     

    高麗青磁。

    青磁の透き通った翡翠色にそこはかとない吸込まれるような奥深さを感じました。

     

    ソウル市内夜景。

    イルミネーションの煌びやかさには驚かされました。

    ソウルも近代化され、六本木や銀座を歩いてるのとまったく変わりないです。

     

    昌徳宮参道。

    朝鮮王朝第2の王宮で、もっとも韓国的な宮廷と言われています。

    紅葉の彩りがとても素晴らしく、良い時期に観光できました。

     

    宗廟正殿前。

    朝鮮王室の歴代の王と王妃が祀られている廟です。

    祭祀の様子は「チャングム」の世界をを想わせる華やかなものに感じました。

     

    陶芸仲間達とのわきあいあいとした楽しい旅でした。

    沢山の陶磁器を見て、次はどんな形のものを作ろうかと考えながら岐路につきました。

     

  • 平成21年11月朝参りお知らせ

    2009年11月14日

     

     

    11月3日、東京上野の森美術館で開催されているチベット展を見てきました。

    チベット仏教の総本山ポタラ宮のものを中心に、仏像、マンダラ、タンカ(仏画の掛け軸)などが出品されていました。

    日本の国宝にも劣らない見事なものです。

     

    チベット仏教は、タントリズムといわれるインド思想の影響を受けています。

    タントリズムには煩悩に満ちた輪廻を脱する手段のひとつとして、性的快楽から生まれる忘我の状態を宗教的な無我の境地に転換しようとする修行法があります。

    仏教の後期密教はそれを精神的制御のみによる禅定法として採り入れるのですが、仏像や仏画、マンダラに女神と結合する如来の姿が見られます。

    そのため淫猥な宗教との非難も受けました。

     

    チベットの正当仏教では性的意味を一切否定し、お釈迦様がお説きになられたことの全てを成就した修行者のみがその禅定法の修行を許されました。

    そのため父母像(ぶもぞう)といわれるこれらの仏像の首から下には布が掛けてあり、ポタラ宮に行っても全体を拝むことはできません。

     

    私はこれまで美術館で仏像展があると可能な限り足を運んできました。

    矛盾しているのですが、本来礼拝の対象である仏像が人目にさらされていることに、わりきれなさを感じています。

    しかしまた一方では、仏像の持つ宗教性は、それを見る人の心に単なる美術を超えたものを感得させていく力を持っているので多くの人に見てもらいたいとも思っています。

    最近、仏像に心を惹かれる若者が多くなり一種のブームとなっているようです。仏像を通して仏教への関心を持った若い女性を称するに「仏女(ぶつじょ)」という言葉も生まれているそうです。

    これも仏像が人目に触れる機会があればこそです。

     

    今回見たチベットの仏教美術も、そうした宗教的な感動を呼び起こすものでした。

    性的なものであっても淫猥さなど微塵も感じられない、精神性の極地といってもよい、存在の根源、宇宙の根源についてのインスピレーションを与えてくれるような像や絵でした。

     

    平成21年11月14日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の観音様の朝詣りは午前6時半から行います。

     

祥雲寺行事案内

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