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祥陶会韓国旅行 -陶芸のルーツを訪ねてー
2009年11月25日去る11月9日~11日に祥陶会で韓国、ソウル陶磁の町「利川」を訪ねてきました。
祥陶会というのは、祥雲寺で毎週二回行っている陶芸の会です。
今回、陶芸のルーツである高麗青磁、朝鮮白磁などを見学し、合わせてソウルの宗廟、昌徳宮を観光してきました。
昔の韓国の村の様子を再現している民族村。
韓国ドラマ「チャングム」のロケ地としても使われました。
陶芸村入り口。
陶土(陶磁器に適した土)と水に恵まれた一帯で、窯場が120件も集まっており、陶工達の作業工程も見学できる韓国有数の陶芸のメッカです。
利川窯元、登り窯。
栃木県益子にある登り窯と同じなんだな、と思いました。
歴史的経緯を考えると、ここが源流に当たるのだと思うと、感慨深いものがあります。
高麗青磁。
青磁の透き通った翡翠色にそこはかとない吸込まれるような奥深さを感じました。
ソウル市内夜景。
イルミネーションの煌びやかさには驚かされました。
ソウルも近代化され、六本木や銀座を歩いてるのとまったく変わりないです。
昌徳宮参道。
朝鮮王朝第2の王宮で、もっとも韓国的な宮廷と言われています。
紅葉の彩りがとても素晴らしく、良い時期に観光できました。
宗廟正殿前。
朝鮮王室の歴代の王と王妃が祀られている廟です。
祭祀の様子は「チャングム」の世界をを想わせる華やかなものに感じました。
陶芸仲間達とのわきあいあいとした楽しい旅でした。
沢山の陶磁器を見て、次はどんな形のものを作ろうかと考えながら岐路につきました。
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平成21年11月朝参りお知らせ
2009年11月14日11月3日、東京上野の森美術館で開催されているチベット展を見てきました。
チベット仏教の総本山ポタラ宮のものを中心に、仏像、マンダラ、タンカ(仏画の掛け軸)などが出品されていました。
日本の国宝にも劣らない見事なものです。
チベット仏教は、タントリズムといわれるインド思想の影響を受けています。
タントリズムには煩悩に満ちた輪廻を脱する手段のひとつとして、性的快楽から生まれる忘我の状態を宗教的な無我の境地に転換しようとする修行法があります。
仏教の後期密教はそれを精神的制御のみによる禅定法として採り入れるのですが、仏像や仏画、マンダラに女神と結合する如来の姿が見られます。
そのため淫猥な宗教との非難も受けました。
チベットの正当仏教では性的意味を一切否定し、お釈迦様がお説きになられたことの全てを成就した修行者のみがその禅定法の修行を許されました。
そのため父母像(ぶもぞう)といわれるこれらの仏像の首から下には布が掛けてあり、ポタラ宮に行っても全体を拝むことはできません。
私はこれまで美術館で仏像展があると可能な限り足を運んできました。
矛盾しているのですが、本来礼拝の対象である仏像が人目にさらされていることに、わりきれなさを感じています。
しかしまた一方では、仏像の持つ宗教性は、それを見る人の心に単なる美術を超えたものを感得させていく力を持っているので多くの人に見てもらいたいとも思っています。
最近、仏像に心を惹かれる若者が多くなり一種のブームとなっているようです。仏像を通して仏教への関心を持った若い女性を称するに「仏女(ぶつじょ)」という言葉も生まれているそうです。
これも仏像が人目に触れる機会があればこそです。
今回見たチベットの仏教美術も、そうした宗教的な感動を呼び起こすものでした。
性的なものであっても淫猥さなど微塵も感じられない、精神性の極地といってもよい、存在の根源、宇宙の根源についてのインスピレーションを与えてくれるような像や絵でした。
平成21年11月14日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時半から行います。
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平成21年10月朝参りお知らせ
2009年10月14日ーーー確かに、夢の中で母たちは
「復讐しにきてほしい」とはいいませんでした。それは
「はやくここから救い出して」という切実な叫びでした。
だから私は、行かないではいられなかったのです。
それは母たちと私の破ることのできない約束でした。
ーーー許すことは簡単なことではありません。
でも、憎むのではない方法を私は探したかったのです。
久郷ポンナレット『虹色の空(2009年出版)』より
1975年にカンボジアの首都プノンペンを制圧したポルポト派は、政権にあった4年間に150万人以上を殺したと言われます。
彼らは知識階級を憎み、官吏、教師、僧侶等を殺害しました。
都市住民を農村部に移動させて権利を剥奪し強制労働による農業生産に従事させました。
久郷ポンナレットさんは1964年、プノンペンで生まれました。
父親は国立図書館長、母親は教師という知識階級で、それ故にポルポト政権下で死線をさまよった人です。
父は早くに殺され、母親も農村部で殺されました。
奇跡的に助かった彼女は、姉を頼って1980年に来日しました。
日本人と結婚し、2001年にカンボジアでの体験を記した「色のない空」という本を出版しました。
過酷な集団労働、栄養失調で労働に耐えられなくなると姿を消す人達、その人達は農民たちによって殺されたのです。
多くはポルポトの共産主義に洗脳された少年たちでした。
優しいご主人との間に子供も授かり、幸せを得た彼女でしたが、ある晩、恐ろしい夢を見ます。
それはカンボジアで殺された家族が救いを求めている夢でした。
彼女は、自分が死に直面した地を再び訪れて、そこで命を落とした7000人のみ霊への供養を行いました。
供養には、その土地の人を招待し、布施をします。
かつて彼女たちを苦しめ、沢山の人を殺した人達です。
それでもポンナレットさんは喜捨をし、ともに冥福を祈りました。
冒頭の言葉は、この時の、ゆれ動く彼女の心を記したものです。仏教徒としての敬虔さに満ちていて、胸を打たれます。
平成21年10月14日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝参りは午前6時から行います。
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秋彼岸初日 【彼岸中日天井絵欄間彫刻内覧会のお知らせ】
2009年9月20日九月十四日~十五日にかけて
祥雲寺を会場に栃木県宗務所主催現職研修(栃木県曹洞宗僧侶を集めての勉強会)を行いました。
十四日の昼から日暮れまで、十五日は早朝から昼まで綿密に行事を詰め、充実した時間となりました。
来山された和尚さま方、お疲れさまでした。
さて本日はお彼岸の入りとなり、
朝から例年より多くの人がお参りにいらしていました。
昨年は彼岸の中日を過ぎたあたりに満開を迎えた彼岸花ですが、
今年は15日くらいには大分咲き始めていました。
今朝見るとしだれ桜も色づいて葉を落とし始めており、
やはり今年は秋の訪れが大分早いようです。
来る9月23日水曜日、彼岸の中日に
本堂に新しく入りました天井絵並びに欄間彫刻の拝観を行います。
7月に設置工事が完了し、8月のお施餓鬼にお披露目を行いましたが
未見の方の為に彼岸中日の10時、11時、12時、1時、2時ときりのいい時間に
本堂にて住職が説明をし、ご覧いただけるよう企画しました。
お檀家であるなしに関わらず拝観可能となりますので、
興味をお持ちの方はどうぞお越しください
朝方、庫裏の横にて
大田原でも先週で咲いていたそうで、落ち葉と相まって秋の訪れを感じます。
夕刻、しだれ桜下の彼岸花
上に同じく。
彼岸花は別名曼珠沙華とも言い、法華経等の仏典に由来し「天上の花」の意味をもつと言われています。
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平成21年9月朝参りお知らせ
2009年9月17日自分を苦しめず、また他人を害しないような言葉のみを語れ。これこそ実によく説かれた言葉なのである。
{釈尊の言葉 中村元訳『ウダーナ・ヴァルガ』より}
曹洞宗では、宗門の教えを広めていくために毎年標語を定めています。今年の標語は「愛語」です。
愛語とは慈悲の心を持って言葉をかけてゆくことで、お釈迦様が説かれ、以後、仏教徒が世の人々に救いの手を差し伸べてゆく志を持った時、かならず実践していかなくてはならない徳目とされてきました。
道元禅師様にも愛語について述べた有名な言葉があります。
今年8日、東京でこの愛語について檀信徒の皆様にどのように伝えたらよいかを学習する研修会がありました。
その時に講師の奈良康明駒澤大学名誉教授のお持ちいただいた資料の中に冒頭に掲げた言葉がありました。
奈良先生は、「自分にも喜びとなり、他人にも喜びとなることばを語れ」とお釈迦様はおっしゃっていると説明しました。
なるほどと納得いたしました。
お追従(ついしょう)は、聞いた人の喜びにはなっても、話す人の喜びとはなりません。
その人が本当に心に思った感動や、励ましや、忠告をこそ語るべきなのです。
そして、その言葉は相手を自分と同じく見、自分を相手と同じく見る深い思いやりの心に裏付けられていなければなりません。
相手のためを思う忠告でも、それが相手の心を傷つけることがないように細心の注意を払うべきなのです。
お釈迦様の言葉は、簡潔で、しかも慈悲心にあふれた深い意味を持っていることを、この言葉はよく示しています。
平成21年9月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝参りは午前6時から行います。






