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令和2年9月 観音朝詣りのお知らせ
2020年9月26日今年のお施餓鬼は代表となる総代役員さん参列のもと行いました。
栃木県は幸いに天災に見舞われることの少ない県です。それでも、「明治35年の大暴風」と言われて語り継がれてきた災害がありました。調べてみると明治35年9月28日午前8時に房総半島に上陸し、東京、足尾付近と北上、11時には新潟から日本海に抜けた猛スピードの台風でした。大きさも豆台風といってよいものでしたが、西日本に同じく北上する別の台風があって、その相乗効果で通り道の東側に当たる茨城、栃木に猛烈な風雨をもたらしたのです。筑波山で風速72メートルを観測しました。近年になって、被害が大きかった足尾に因んで足尾台風と名付けられたそうです。昔、年寄り達から明治35年の大暴風で家が吹き飛ばされたとか、大木が折れてしまったという話を何度か聞きました。その中に、長岡の太子堂の話がありました。太子堂は、その名の通り聖徳太子を祀るお堂です。大坂の陣の後、石川内膳以下11人の主従が聖徳太子の孝養像を背負って長岡村に到来し、お堂を建てて祀ったとの言い伝えがあります。33年に一度、御像は開帳されます。このお堂も大暴風で倒壊したのです。当時、仮の普請をしましたが、本格的に再建されたのは平成2年のご開帳の時です。長岡地内を流れる江川の水利に因んでお金が入ったのを元手に、寄付を募り、長岡町住民全体の力で成し遂げられました。申すまでもなく聖徳太子は日本国を仏教の理想に基づいて造りあげようとした人です。度量衡を定めた方とされましたから、大工さん、石屋さんなど職人さん達の神様ともされました。観音様の生まれ変わりともされて信仰されました。およそ400年の間には、飢饉や疫病の蔓延もあったはずです。困難にあっても信心は続く。そこに助け合いや思いやりも保たれてゆく。日本の大切な財産です。令和2年9月15日宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之