2020年8月23日
威儀即仏法
8月になってから大変暑い日が続いています。
加えて新型コロナへの対処から暑い最中でもマスクをつけなくてはならない場合も多く、より一層体調に厳しい夏となりました。
先日人数を少なくしてのご供養の法要をお勤めしました。
11時頃の気温が高い中大汗かきながら来られた方から
「ネクタイってつけなければいけませんか?」
との質問を受けました。
私は
「法事などで服装を整えるのは仏さまや亡くなられた人にしゃんとした姿で向き合う、礼をとる姿で臨むためですが、この暑い最中に服装に気を遣って体調を損なってしまうのは誰も望まないと思います。
一番大切なのは臨むに当たっての心構えなのですから、今日は心のネクタイを締めるつもりで臨まれればよろしいと思います。」
といった事をお答えしました。
曹洞宗には威儀即仏法という言葉があります。
日ごろの身なりや立ち居振る舞い一つ一つを整えることこそ心を整える大切な修行である、という意味になります。
日々の行いの積み重ねが私という人間を形作っていく。
ならば私を心穏やかな、落ち着いた整った人間にしようとするならば日々の行い一つ一つを整えていくことが必要となる。
だからこそ私たち禅宗のお坊さんは一挙手一投足を厳しく整える修行生活を行うのです。
ですが心を整える為に行う事が健康を損ねてしまうのは、本末転倒と言うしかありません。
仏教の行事や教えは、常に心をどう整えるかが肝なのですから、肝心なところを踏まえているならば臨機応変で何も問題ないのです。
「こうでなければならない」等という固定観念こそ、心を整える実践たる仏道を最も損なう思い込みであり、元来自由闊達である心を閉ざす檻となることを注意すべき処です。
祥雲寺副住職 安藤淳之
明日の朝坐禅会は本堂2階の広い空間で行います。