他は是吾にあらず 『典座教訓』
我が宗祖道元禅師は数多くの言葉を残されており、その中でも世間に知られた言葉と思います。
他の人にやってもらうのは自分がしたものではない。
自らのことは自分で行う。
ごく当たり前のことを言っていますが、その真意は仏道を歩む姿勢そのもののあらわれであると思います。
禅師が中国に留学して学んでいた際、あるお寺であったエピソードです。
暑い時文、真昼の太陽が照っている中、日差しを浴びながら庭で椎茸を干している老僧を見かけられ、
「貴方のような年功を積み重ねた方がこのような雑事をしなくても若い者にでも任せればよいのでは」
という趣旨の言葉をかけられて、それに対して老僧は
「他人にやってもらったのでは自分でしたことにはならない(他は是吾にあらず)」
と返されたそうです。
自らが成すべき事を、行う。
自らの本分を全うする。
当たり前のことに聞こえますが、そこにやらない理由をつけてしまう事を、私たちは当たり前のように行っています。
それは惑わしとなり、煩い悩ますものとなりうるものです。
身分や長幼の序等に依らず、成すべき時に成すべき事を自らが成せるように行う。
惑わされないことを身と心に習わせ慣らしていく、習慣づけていく。
これこそが仏道の修行と呼ぶべきものです。
心を耕すあり方そのものです。
盲目的に義務を果たすロボットになれ、などと言っているのではありません。
自らを惑わす怠け心に陥ってはいないか身心を常にチェックして、出来ることを出来るときにやらず何時行うのか、ハッパをかけるように自身を鼓舞し習慣づけていく。
そうすることで自らを良く整えていく。
自らのなすことのみが自らに帰結するのですから。
祥雲寺副住職 安藤淳之