ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

新着ブログ

  • 28年2月 早朝坐禅会「指月の会」案内

    2016年2月21日

     

    インド、ベナレスへの道中、スパイス畑にて

     

    去る2月1日から11日、インド仏跡参拝旅行を行い、お釈迦さまが生きた遺跡を檀家さんとお参りしてきました。

     

    お釈迦さまは約2600年の昔、インドガンジス河流域に生きられた実在の人物です。

    自然の両面、恵みも災いも強く表れるインドの大地で、苦しみから離れる道を見出され、当時あらゆる階層の人々に清らかな安楽への道を説かれました。

     

    その歩みは亡くなられてもなお歴代のお弟子方によって受け継がれ、アジア全域に広まって多くの人々に救済の道を示し、今日も多くの国々で受け継ぎ育まれ伝えられています。

     

    その原点、実際に歩まれた数々の伝説上の遺跡は、今日発掘整備され世界各国の仏教徒に参拝されています。

     

    今回檀家さん方とこの仏跡を無事お参りすることができて、大変素晴らしい旅行になりました。

    また別の機会を設け、多くの人に仏縁を持って頂ける様企画していきたいと思います。

     

    祥雲寺副住職  安藤淳之

     

    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。

    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。

    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。

    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

     

    日時:2月2日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

       6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

       7時20分~8時(二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。

     

  • 平成28年2月 観音朝詣りのお知らせ

    2016年2月17日

     

    クシナガラ涅槃堂、お釈迦さま入寂の地

     

    願わくは 花のもとにて春死なむ

    その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ

    西行法師

     

    西暦紀元前383年といわれますが、陰暦2月15日満月の夜お釈迦さまは涅槃に入られました。

    沙羅双樹のもと頭を北に顔を西に向けて臥され、急を聞いて集まって来た弟子たちに最後の説法をなされました。

     

    弟子たちよ、これからはみずからをともしびとし、みずからを拠り所とせよ。

    法をともしびとし、法を拠り所とせよ。

    とおっしゃられた後、修行者の修めるべき八つの道を説かれました。

     

    小欲(欲少なく)、知足(わずかなものにも満足)、寂静(心の平静)、精進(良いことをするのに勇敢に)、不妄念(真理を常に心に念じ)、禅定(心静かに瞑想する)、修智恵(諸々の智恵を常に修行する)、不戯論(無益の論をなさない)

     

    このお釈迦様の最後の教えには理屈として難しいものは何一つありません。

    真の道を求めて精進努力することの大切さを教えられたのです。

     

    精進努力は仏教では勇気を意味します。

    自分の殻(カラ)を破って前に進む。

    それは勇気に他なりません。

    殻(カラ)を破ることは新しい自分を作り出すことです。

    常に勇気をもって自分自身の人生を創り出してゆく、そこに人として生きる喜びもあると思います。

     

    釈尊を慕い漂泊の一生を遂げた歌人西行法師の命日は二月十四日です。

     

    平成28年2月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の観音様の朝詣りは午前9時から行います。

     

  • 28年1月 早朝坐禅会「指月の会」案内

    2016年1月24日

     

    今朝の祥雲寺参道。春を待つ雪中梅

     

    心意識(しんいしき)の運転を停(や)め、念想観(ねんそうかん)の測量(しきりょう)を止(や)めて作仏を図ること莫れ

    『普 勧 坐 禅 儀』永平道元

     

    二年ほど前に、雀宮善応院で行っている坐禅会にテレビの取材を受けたことがあります。

    宇都宮ケーブルテレビという所の放送で、新年を迎えるにあたりリポーターの心を清くして臨むため坐禅をする、といった筋立てだったと思います。

    テレビに映るのはもちろん初めてだったので、マイクを向けられて話すのは大変に緊張しました。

     

    色々と聞かれましたが、その中で「坐禅で得られるものって何ですか?」と聞かれたのが一番答えにくかったです。

    というのもその少し前、僧侶の研修会で坐禅の功徳について話をした所、指導の方から「君はまるで坐禅のセールスマンだな」と大変に痛いご指摘を頂戴したばかりだからです。

     

    坐禅は無所得無所悟(目的を持つことさえも止め、ただ坐る)で行うものとされるから、坐禅の利点を言い連ねて説くことは認識を誤らせる元になります。

    ですが私は、坐禅の功徳を確信しています。

     

    10年ほど僧侶として修行を行い坐禅を組み、その中で坐禅は様々な気づきを与えてくれました。

    これ程素晴らしいものなのだから、もっと多くの人に知ってほしい。

    そういった思いから、どのようにして坐禅の素晴らしさを話せばよかったのか、取材の翌日もぼんやりと考えながら作業をしていました。

     

    その中でふっと閃きました。

    「ああ、坐禅っていうのは、為でないから素晴らしい、と答えれば良かったんだ」

     

    静かな落ち着いた所で静かに坐禅を行い内面も落ち着いてくると、普段見えなかった色々な気づきが訪れることがあります。

    しかし、そういった訪れの有る無しにかかわらず、坐禅を行った後は清々しい心持になります。

    それは、坐禅が何かの為に行うものではなく、何の為でもないことに集中をできる、人生の中で知らず背負っている荷を下ろすことの出来る「かろやかに生きる」行いであるからだと思います。

     

    冒頭の引用は、道元禅師が坐禅を世の人々に進めるために書かれた『普勧坐禅儀』の一節です。

    「坐禅を行うときは普段当たり前に行っている情報の取捨選択、判断することを休止して、無になろう悟りを開こう仏となろう等、何かの為に行おうともしてはならない。」

     

    今ならばあの時の取材にこう答えます。

    「坐禅は色々なプレゼントのある素晴らしい行です。

    しかし、最も素晴らしい坐禅は、そういった何かしらの利益を求めて座るのではなく、

    求めることを放棄してただ坐る、これが一番よい坐禅となります。」

     

    祥雲寺副住職  安藤淳之

     

    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。

    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。

    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。

    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

     

    日時:1月25日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

       6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

       7時20分~8時(二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。

     

  • 平成28年1月 観音朝詣りのお知らせ

    2016年1月17日

     

    元朝大祈祷。夜を徹して祈祷し、そのお札をお檀家に配っています。

     

    一生の年月これ何ぞ必(ひつ)ならんや

    万事(ばんじ)回頭(かいとう)するに得失(とくしつ)に非ず(道元禅師の言葉)

     

    明けましておめでとうございます。

     

    この道元禅師の言葉は、四行からなる漢詩の前半です。

    「人生において、こうすれば必ず幸運が訪れるという方法などありはしない。過ぎさったことを振り返ってみれば、これがうまくいった、これは失敗だったと決めつけることは誤りである。」という意味です。

     

    我々が無常の世に生きている身であってみれば、よかれと思ってしたことも運悪く失敗の原因となってしまったり、失敗と思っていたことも長い目で見て人生の糧となっていたりすることは数多くあります。

    要するに、人生を人間の知恵で解明することなど出来はしないのです。

     

    さて、実はこの後が道元禅師の大切な教えで、詩の後半には、それかからこそ私たちは仏様の教えに適った善きことをなしていかなければならないとお説きになっています。

    人生すべて運次第と思って、成り行き任せで生きていくか、日常の一刻一刻を大切に生きていくかは、人それぞれです。

    しかし一所懸命生きていけば、たとえどんな運命が待っていようとも、人生の充実は残ります。

     

    得るところ少なくとも、その得るところを軽んずるなかれ

    (中村元 『真理の言葉・感興の言葉』より)

     

    平成28年1月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    寒さが厳しくなっておりますので

    18日の観音様の朝詣りは午前9時から行います。

     

  • 27年12月 早朝坐禅会「指月の会」案内

    2015年12月19日

     

    初転法輪(初めて釈尊が説法した場所)の聖地、鹿野園

     

    アショーカ王の建てたダメーク大塔

     

    「精舎の西南に石造のストゥーパ(塔)がある。無憂王が建てたものである。~如来が正覚を成ぜられ(悟りを開く)、初めて法輪を転じられた処である。~阿若憍陳如ら(釈尊と共に修行した5人の仲間ら)がここへやってきて自ら禅定を習した処である。~如来は循々と指導し五人に至妙の道理を示され、雨安居が終わるころ、五人は悟りを得た。」

    『大唐西域記』 巻七・一初転法輪の聖地

     

    二月に行う祥雲寺インド仏跡参拝旅行に向け、先月に続いて大唐西域記から参拝する聖地について引いてみます。

    お釈迦さまは29歳で出家され、35歳で悟りを得られました。

    この6年間の間、苦行生活を共にした五人の仲間がいたのです。

     

    6年間、5人の仲間と苦行を行ったが悟りを得る事はなく、苦行は真理の法でないと考え、苦行をやめてしまいました。

    それを見た仲間たちは、堕落したと思い去っていったのです。

     

    その後お釈迦さまは尼連禅河に沐浴し、菩提樹下に坐して悟りを得られ、共に修行した仲間にこの無上の悟りを伝えようと坐を立たれました。

     

    鹿野園に居た5人は遠くから歩み来るお釈迦様を見つけ、最初は無視しようと決めていましたが、悟りを得たお姿の清らかな佇まいに心動かされ、起き上がって礼をもって迎え教えを請いました。

     

    お釈迦さまはこの時初めて説法をします。

    説法は一日だけでは終わらず、一週間かかって五人の比丘に教えたのです。

    鹿野園は初めて真理が世に説かれた地として歴史に名を遺す地となりました。

     

    祥雲寺副住職 安藤淳之

     

    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。

    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。

    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。

    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

     

    日時:12月21日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

    6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

    7時20分~8時(二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。

     

祥雲寺行事案内

祥雲寺で行ってる月例行事や年間行事、その他法要・祭りなどについてのご案内です。 行事カレンダーもご確認ください。