ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

新着ブログ

  • 平成28年 祥雲寺大施餓鬼会

    2016年9月25日

     

    毎年8月29日は祥雲寺の年中最大の行事、お施餓鬼の日となります。

    お檀家さん全ての御先祖様の供養を行う、一年で一番忙しい日です。

     

    今年は八月後半が冷夏になり、また当日は大雨が心配されていましたがどうにか最後まで天気も持ってくれて、無事お勤めすることが出来ました。

     

    御詠歌講員さんによる本尊様への奉詠

     

    施餓鬼午前中は檀信徒総会。一年の報告会です。

     

    午後一時から法話

     

    岩手正法寺、盛田老師

     

    施餓鬼会。

     

    施餓鬼会、本尊様への御焼香

     

    施餓鬼中の天気。今年は外幕は大雨を警戒して張れませんでした。

    掲げられている仏旗は仏教のシンボルカラー5色で構成され、世界共通になってます。

     

    法要中の御詠歌奉詠。今年の詠讃師は上三川長泉寺、山崎雄堂師範。

     

  • 平成28年9月 観音朝詣りのお知らせ

    2016年9月17日

     

    山門前の百日紅(さるすべり)

     

    リオ五輪で、女子レスリングの吉田選手が負けてしまいました。

    彼女は、女子レスリング全体を引っ張ってきました。

    その責任感から、何が何でも負けられないという強い使命感を背負っての戦いでした。

     

    負けた瞬間、彼女はマットにうつぶせになって泣いていました。

     

    直後のインタビューでは、

    「沢山の方に応援していただいたのに銀メダルになってごめんなさい。申し訳ない。何とか最後は勝てると思っていて、自分の力を出し切ることが出来なかった。日本の主将として申し訳ない。」

    と、「申し訳ない」の繰り返しでした。

     

    表彰式になってメダリストたちがずらりと並んだ時には、魂が抜けてしまったような姿で立っていました。

    台に上ってもそれは変わりませんでした。

     

    不敗の王者として、世界中から目標にされ、弱点も調べ尽されていたはずですから、負けることも大いにあり得ることで、銀メダルに終わってもだれも非難などしません。

    観衆は盛大な拍手を送りましたが、それでもうちひしがれた姿は変わりませんでした。

    金メダルのアメリカの選手は、吉田選手に敬意を持っていたようです。

    はしゃぐことなく控えめにしていました。

    それでも表情に喜びが自然にわき上がってくる。

    それが対照的でした。

     

    でも、私は、このときの悄然とした姿に感動しました。

    全身全霊を傾けて敗れるのならばこんな姿でいたいと。

     

    式後のインタビューの言葉は、私にとってさらに素晴らしいと思えるものでした。

     

    亡きお父さんとどんな言葉を交わしましたかと問われて、

    「父が居ないオリンピックは初めてだったのでどこかで助けてくれると思っていたかもしれない・・・。

    お父さん私をここまで育ててくれてありがとうって言いたいです。」

     

    正直な言葉だと思います。

    最後に感謝が口に出たのが素晴らしい。

    神仏への額(ぬか)づきと相通じると思いました。

     

    平成28年9月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時から行います。

     

  • 28年8月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内

    2016年8月21日

     

    成道会、お釈迦様に礼拝する写経会の人たち。

     

    先日、渋谷にて「ラサへの歩き方」という映画を見てきました。

    チベットに生きる人たちが、生涯に一度はチベット仏教の聖地ラサを参拝することを望み、その1200キロの道程を五体投地しながら一年がかりで歩んでいく、という映画でした。

     

    残念ながら中国人監督、中国配給という制約の中での作品なのでチベット仏教の精神性、チベット人としてのアイデンティティに踏み込むことは難しかったようで、やや淡白なつくりの映画ではありましたが、それでも現代文明の恩恵の中でもなお古式にのっとり大変な労力と時間をかけて巡礼に臨むチベット人の峻厳な自然に生きる姿を見られたのは大変に良かったです。

     

    チベットに限らず、どの国においても私たち仏教徒はお互いに手を合わせて合掌をし、互いを敬い礼をします。

    そして特に、仏様には全身を地に投げ出し、五体を地に臥して礼拝をします。

    それは、仏様の人格、教え、そのすべてを仰ぎ見て敬い、何より「わたし」を投げ出して受け入れるという精神の所作であります。

    ゆえにこそ、この映画に見える人々の姿には清々しさを感じることができるのだと思います。

     

    祥雲寺副住職 安藤淳之

     

    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。

    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。

    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。

    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

     

    日時:8月22日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

       6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

       7時20分~8時(二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。

     

  • 平成28年8月 観音朝詣りのお知らせ

    2016年8月13日

     

    弁天さまのお堂。

     

    5月に境内の弁天堂に泥棒が入りました。

    新聞に載りましたのでご存知の方もいると思います。

     

    5月17日に弁天堂を掃除していた中川さんが、堂内にある小さな木彫りの像がなくなっていることに気が付きました。

    石彫会の渡辺さんが彫った琵琶を持つ弁天様の像で、心を込めて彫り上げたものを粗末にはできないと思い、弁天堂に納めたのです。

     

    その時は、それしか気がつかず、警察にも届け出ませんでした。

    ところが、中央警察署の警察官が尋ねてきて、祥雲寺からの盗品を預かっているのだが心当たりがないかと尋ねられました。

    別の容疑で逮捕された泥棒の部屋を捜索したら、祥雲寺の名前の入った絵馬があったというのです。

     

    盗まれていたのは、木像、絵馬のほかに何とご本尊弁財天像が右手に持つ剣と左手の掌に持つ宝珠でした。

    目の前におがんでいながら気が付かなかったのです。

    何とも恥じ入るばかりであり、弁天様に謝罪申し上げねばなりません。

     

    調書に記載する必要があるというので、損害額を聞かれました。

    さて、いくらになるのでしょう。

    7月7日の弁天祭りの前にすべて戻ったのですから、実質の損害はありません。

    そもそも、信仰の対象に値段をつけることは出来ません。

     

    テレビの人気番組「なんでも鑑定団」などで、仏像にとてつもない値段がつけられることがあります。

    人の嗜好の対象である骨董品、美術品として商取引されることを前提にしています。

     

    しかし、仏像や神像は信仰されてこそ価値があるのです。

    祥雲寺の弁天様は、もともと前の小学校のところにあった沼地の祠にまつられ、おそらく何百年と信仰されてきました。

    御像も古いものですが、骨董的価値のあるものではありません。

    それでもありがたい。

     

    宗教的なものに関心が無いのは、一般的な風潮のようです。

    このことで取材に来た若い新聞記者が、「宮司さんはいますか」と言ったのにびっくりしました。

    確かめたら寺も神社も代表は宮司と言うと思っていたようです。

     

    平成28年8月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時から行います。

     

  • 28年7月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内

    2016年7月24日

     

    四国お遍路札所、五百羅漢堂

     

    「心を以てはかることなかれ、ことばを以ていふことなかれ。ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる。」

    『正法眼蔵』生死の巻

     

    先日『感じる、調べる、もっと近づく、仏像の本』という本を読みました。

    一頃、歴女仏女という言われ方で歴史や仏教に興味関心を持つ女性を表現していましたが、この本はその仏女、仏像ガールの方が書かれた本との事です。

     

    読んでみると大変よく勉強されていて、むしろ自分の不勉強が恥ずかしくなるほどに丁寧でありながら、初めての方でも楽しんで読める敷居の低い素晴らしい本でした。

    その書き出しの所で

    「仏像をあまり学術的に見て欲しくない。~思いを込めて仏像と向かい合い、ただ手を合わせる、それだけだったはずである。」

    という部分がありました。

    仏像の素晴らしさを知るためには、言葉も知識も余計なもので、「感じること」が大切との事です。

     

    仏像、仏の姿、仏の形。

    私がそこに興味関心を持てるようになったのは、やはり修行の時からでした。

    福井にある曹洞宗大本山永平寺では、毎年12月になると1週間朝から晩まで坐禅し続ける「摂心」という大修行を行います。

    朝3時に起きて夜9時に寝るまでの間、ひたすら坐禅をする僧堂に籠って坐禅をするのですから、1年目の出家してまだ間もない私は足腰の痛さにめげそうになりながらなんとか坐禅に臨んでいました。

    最後の7日目の夜、坐禅の合間に坐りながらお茶をいただく行茶の時間になり、私は給仕役として初めて坐禅中の僧堂を落ち着いて見回すことができました。

     

    そこには仏様たちが坐っていました。

    これまで共に寝起きして修行していた先輩同輩の僧侶たちが、まさしく「ほとけ様」と言うべき、思わず手を合わせ拝みたくなる尊いお姿で、ずらり並んで坐られていました。

     

    身も心も、つまり「自分」を放ち忘れて仏の悟りの姿形、坐禅の姿にすべてを預けてしまうとき、力を入れることも心を費やすこともなく、生き死にの迷いを離れて仏となる。

    坐禅という行の素晴らしさ、仏様の姿かたちの尊さ、というのを私はこの時初めて知ることができたように思います。

     

    祥雲寺副住職 安藤淳之

     

    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。

    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。

    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。

    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

     

    日時:7月25日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

       6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

       7時20分~8時(二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。

     

祥雲寺行事案内

祥雲寺で行ってる月例行事や年間行事、その他法要・祭りなどについてのご案内です。 行事カレンダーもご確認ください。