-
平成22年べんてん祭り
2010年7月12日毎年7月7日はたなばた祭りです。
祥雲寺ではこの日に合わせてべんてん祭りを行っています。
七福神唯一の女性でもある弁才天(弁天様)は音楽文学技芸の神様として、古くから信仰されている神様です。
祥雲寺裏手の池に咲く蓮の花。
ここ数日天気が安定せず何時咲くのかと思っていましたが
丁度良い日に花を咲かせてくれました。
蓮の花はインドを原産とする、仏教を象徴する花としてどのお寺でも大変大切にされてきました。
まつりの席を設営中の祥雲寺羅漢の会。
天気が不安定だったので直前に設営を行っています。
11時前になり、いよいよ開催となります。
天気に若干の不安がありましたが、大勢の方にお集まりいただけてホッとしました。
祭りが始まり、最初にご詠歌講の方達による合唱で導師と式衆をお迎えします。
ご詠歌に合わせ、導師の入場となります。
まず最初に弁天様の真言をお唱えし、般若心経を太鼓を打ち鳴らしながら読経します。
続いて焼香になります。
導師から洒水器を預かった式衆が焼香されている参拝者の頭に水をふりまき
厄や障りを流して(厄難消除)今後の無事を願います。
外の法要が終わった後は庫裏に入って設斎になります。
婦人会の皆さんが作った精進料理と共に冷たい飲み物を頂きました。
台所は一斉に大勢の人数をもてなすので大忙しです。
この日は朝から何十人分の食材を切って揚げて調理をし、準備を行います。
食事と共に毎年恒例のすり鉢灸を韋駄天様の前で行います。
法要に使った線香を種火にして火をおこし、すりばちにもぐさを盛って頭にお灸をすえます。
梅雨の時期まっただ中で予報も降水確率50%の悪条件でしたが、日中は雨に降られることもなく、比較的涼しい天気の中で無事円成することができました。
このべんてん祭りを迎えると、夏が始まったことを実感します。
すり鉢灸で汗を流して健康をお祈りしたことですし
祥雲寺の夏の終わりでもある8月29日のお施餓鬼まで張り切って頑張りたいと思いました。
-
平成22年本山参拝
2010年6月30日さる6月7日~9日の日程で、曹洞宗大本山永平寺に参拝団を組み、お参りしてまいりました。
祥雲寺では例年曹洞宗の二大本山である永平寺と總持寺を交互にお参りしています。
関越自動車道走行中の写真。
福井永平寺までバスで移動する為、朝早くに出て夕方近くに到着の行程となります。
永平寺応供台での夕食。
他の参拝団の方と一緒に膳につき、作法に則って食事を頂きます。
夕食了っての座禅、法話の時間。
参拝者に永平寺での修行の一端、禅の教えを知ってもらうため、
夕食の後はこのような座禅の時間をとっています。
翌朝、不老閣での一枚。
不老閣というのは永平寺の管長、禅師様の御住いにあたります。
めったにお参りすることのできない場所ですが、今回ご縁を頂き
参拝団の皆さんと一緒に禅師様にお参りすることができました。
めったにないことなので、参加者一同大変緊張していたようです。
2日目永平寺を出て瑞泉寺にお参りしました。
山門の所では近所の小学生が写生に来ていたようです。
瑞泉寺総門前で一枚。
世界遺産白川郷の展望台で集合写真。
白川郷は合掌造りの民家を保存し、
昔ながらの農村風景を現代に残している大変素晴らしいところです。
散策中の一枚。
参加者に元々農家であった人もいるので
建物に入ると、これはこういう使い方をしたものだ、と懐かしそうに話す方もいました。
高山まつりの森、施設内での一枚。
まつりの森は高山の夜祭りの風情を味わえる大きな洞窟内の施設になります。
祭りばやしや太鼓が鳴らされ、またそれらを体験することができる非常に楽しい施設です。
山車の前での一枚。
高山の祭りと言えば春の山王祭りと、秋の八幡祭りの二つが日本3大美祭に数えられるほど有名です。
高山祭の魅力は、美しい祭屋台にあります。
その美しさは動く陽明門とも称えられるそうですが、このミュージアムにくると、いずれ本物の高山祭を見てみたくなります。
3日目、高山に宿泊して旧街道沿いをぐるり散策し、朝市を見てきました。
朝市に出店するおばちゃんたちは総じて商売上手で、
皆さんお土産を買いこみすぎてしまい苦笑していました。
今年も皆体調を崩すことなく、楽しい参拝旅行を行うことができました。
来年は總持寺御移東100周年に合わせてのお参りを企画しています。
また多くの方に良いお参りをしてもらえるよう計画していきたいと思います。
-
平成22年6月朝参りお知らせ
2010年6月16日永平寺 龍門
唐時代の禅僧、香厳(きょうげん)禅師は潙山霊祐禅師のもとで修行していました。
ある時、師が問います。
「おまえはたいへん博学聡明であるが、この世にまだ何も現れていない前のことを、経典や書物にある言葉ではなく、自分の言葉でわしに言うてみよ。」
香厳禅師は数度にわたって考え抜いたが、どうしても言うことができませんでした。
そしてこのことを悲しんで、持ってきた書物を焼き捨ててしまい、修行僧たちの食事の給仕をする役目に就いて年月を過ごしました。
さらには、むかし慧忠禅師という大禅匠が住んでいた山に入って庵を結び、世間とのかかわりを捨てた生活をおくりました。
ある日、道を掃き清めていると、箒(ほうき)の先にはじかれた小石が道ばたの竹にあたってカーンと鋭い音を立てました。
そのとたん、なが年こころのなかで問い続けていたことが氷解し、悟られたのです。
この話は有名な禅話です。
以前、私はこの話を軽く考えていました。それは香厳禅師の真剣さを真剣に考えていなかったからです。
弟子を問いつめる師霊祐の力量、それに必死で応えようとする香厳、ただものではない師弟関係です。
霊祐の問いには模範解答があります。
しかし、そんな知識で答えられることを問うているのではないのです。
頭で答えきることができないことを頭で徹底して考え抜き、その結果が書物を焼き、僧堂での下積みの役を勤め、独り山に入っての修行だったのです。
いずれも自分だったらどうかと思いめぐらすと、そのすさまじさが伝わってきます。
香厳禅師はその後も、山中の奇岩や清泉を修行の相手として、一生目立たない静かな生活を送りました。
道元禅師は修行こそ悟りの表われであるとされていますが、その修行はかくも徹底したものだったのです。
平成22年6月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。
-
平成22年5月朝参り
2010年5月29日祥雲寺では毎月18日の朝6時前後スタートで
境内にある西国33番観音霊場のお参りをお檀家さんや周辺の方々と行っています。
この日5月18日は雲の少ない夜明けで、久々の清々しい朝となりました。
庫裏の裏手にある1番の観音様からお参りを始めます。
皆さん鈴を片手に持ち、鳴らしなが礼拝を行います。
5番をお参りして羅漢渓(祥雲寺の500羅漢をお祀りしている所)を降りて行きます。
裏山の参道を登っていきます。
祥雲寺の観音霊場は、元々観音信仰に篤かった先代住職の発願した札所めぐりに端を発します。
西国観音札所を石屋さんとめぐり、土を持ち帰ってきて観音様をお祀りする場所に埋めて、
各札所の境内を模して整備しました。
写真の観音様の周囲は13番札所石山寺を模して形成されています。
裏山を降りてきて羅漢渓の中央にお祀りされているお釈迦様に般若心経を読んでお参りしています。
本堂前札所での一枚。花に囲まれる花屋さん(本業)
今境内至る所でマーガレットの花が咲き誇っています。
続けて一枚。
花は心も顔もほころばせてくれます。
駐車場横にお祀りされている道正観音様の鐘を鳴らしています。
朝の澄んだ空気に、鐘の音色が響き渡っていきます。
写真ばかり取っていたらなぜか集合写真を撮る流れに。
朝比奈さんありがとうございました。
最後の33番観音様前にて。
大体境内を1時間半かけて33番全てを回り終えます。
この小山は本来は八幡山の西の突端だった所が、
境内整備のために山を切り崩して平地にした為
この場所だけが独立して残りました。
お参りの終わった後は庫裏で茶話会になります。
大通りでお店を出している方が、毎回自作の羊羹をふるまってくれています。
この日は撮った写真をすぐ印刷して見てもらったのですが、とても好評でした。
-
平成22年5月朝参りお知らせ
2010年5月16日先日、長岡地区の御檀家の御墓での供養がありました。
古い墓石の中に寛政の年号が入ったものがありました。
寛政の改革を指導した白河藩松平定信は、八代将軍吉宗の孫に当たり、英明の誉れ高い教養人でもありました。
その定信が「下野の百姓は江戸の華美な風にあこがれて、先祖伝来の土地を捨て、江戸に流れ込んでいる。まことに嘆かわしい。」と言ったと伝えられています。
寛政の改革より十年ほど前、天明の大飢饉が起こりました。
東北地方を中心に数十万の餓死者が出ました。
下野の国も大凶作となりましたが、御先祖の苦難はそれだけではありませんでした。
徳川吉宗は、家康公をたいへんに尊敬して、祖廟日光東照宮へのお参りを厳格に勤めました。
特に旧暦四月十七日の命日の前後には、朝廷よりの例幣使、上野寛永寺の輪王寺門跡の社参など、大行列が日光街道、例幣使街道を通りました。
大行列には助郷役と言って人馬の徴発が課せられます。
この負担がたいへんでした。
旧暦四月は、田植えなど稲作には一番大切な時季です。
凶作と賦役、この二つによって、年貢を納められない農家が続出しました。
当時の年貢は高持と言って負担が家ごとに決まっており、五軒が連帯責任で納めました。
納められないものは、田畑を他人に譲り江戸に流れていったのです。下野の国は全国一の過疎地になりました。
村を捨てて行く人にとって一番の気がかりは、先祖の墓が無縁となることでした。
そのため、わずかに残された耕作地を縁者に譲って墓守を頼んだといいます。
宇都宮近辺の野墓地や参院にはその名残の石塔がたくさんあります。
定信の言うような華美な風にあこがれてのものでは決してありませんでした。
二百年を超す風雪に耐えた墓石を前にして、御檀家の御先祖の苦労を思いながら読経いたしました。
平成22年5月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。