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28年2月 早朝坐禅会「指月の会」案内
2016年2月21日インド、ベナレスへの道中、スパイス畑にて
去る2月1日から11日、インド仏跡参拝旅行を行い、お釈迦さまが生きた遺跡を檀家さんとお参りしてきました。
お釈迦さまは約2600年の昔、インドガンジス河流域に生きられた実在の人物です。
自然の両面、恵みも災いも強く表れるインドの大地で、苦しみから離れる道を見出され、当時あらゆる階層の人々に清らかな安楽への道を説かれました。
その歩みは亡くなられてもなお歴代のお弟子方によって受け継がれ、アジア全域に広まって多くの人々に救済の道を示し、今日も多くの国々で受け継ぎ育まれ伝えられています。
その原点、実際に歩まれた数々の伝説上の遺跡は、今日発掘整備され世界各国の仏教徒に参拝されています。
今回檀家さん方とこの仏跡を無事お参りすることができて、大変素晴らしい旅行になりました。
また別の機会を設け、多くの人に仏縁を持って頂ける様企画していきたいと思います。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:2月2日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時(二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
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28年1月 早朝坐禅会「指月の会」案内
2016年1月24日今朝の祥雲寺参道。春を待つ雪中梅
心意識(しんいしき)の運転を停(や)め、念想観(ねんそうかん)の測量(しきりょう)を止(や)めて作仏を図ること莫れ
『普 勧 坐 禅 儀』永平道元
二年ほど前に、雀宮善応院で行っている坐禅会にテレビの取材を受けたことがあります。
宇都宮ケーブルテレビという所の放送で、新年を迎えるにあたりリポーターの心を清くして臨むため坐禅をする、といった筋立てだったと思います。
テレビに映るのはもちろん初めてだったので、マイクを向けられて話すのは大変に緊張しました。
色々と聞かれましたが、その中で「坐禅で得られるものって何ですか?」と聞かれたのが一番答えにくかったです。
というのもその少し前、僧侶の研修会で坐禅の功徳について話をした所、指導の方から「君はまるで坐禅のセールスマンだな」と大変に痛いご指摘を頂戴したばかりだからです。
坐禅は無所得無所悟(目的を持つことさえも止め、ただ坐る)で行うものとされるから、坐禅の利点を言い連ねて説くことは認識を誤らせる元になります。
ですが私は、坐禅の功徳を確信しています。
10年ほど僧侶として修行を行い坐禅を組み、その中で坐禅は様々な気づきを与えてくれました。
これ程素晴らしいものなのだから、もっと多くの人に知ってほしい。
そういった思いから、どのようにして坐禅の素晴らしさを話せばよかったのか、取材の翌日もぼんやりと考えながら作業をしていました。
その中でふっと閃きました。
「ああ、坐禅っていうのは、為でないから素晴らしい、と答えれば良かったんだ」
静かな落ち着いた所で静かに坐禅を行い内面も落ち着いてくると、普段見えなかった色々な気づきが訪れることがあります。
しかし、そういった訪れの有る無しにかかわらず、坐禅を行った後は清々しい心持になります。
それは、坐禅が何かの為に行うものではなく、何の為でもないことに集中をできる、人生の中で知らず背負っている荷を下ろすことの出来る「かろやかに生きる」行いであるからだと思います。
冒頭の引用は、道元禅師が坐禅を世の人々に進めるために書かれた『普勧坐禅儀』の一節です。
「坐禅を行うときは普段当たり前に行っている情報の取捨選択、判断することを休止して、無になろう悟りを開こう仏となろう等、何かの為に行おうともしてはならない。」
今ならばあの時の取材にこう答えます。
「坐禅は色々なプレゼントのある素晴らしい行です。
しかし、最も素晴らしい坐禅は、そういった何かしらの利益を求めて座るのではなく、
求めることを放棄してただ坐る、これが一番よい坐禅となります。」
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:1月25日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時(二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
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27年12月 早朝坐禅会「指月の会」案内
2015年12月19日初転法輪(初めて釈尊が説法した場所)の聖地、鹿野園
アショーカ王の建てたダメーク大塔
「精舎の西南に石造のストゥーパ(塔)がある。無憂王が建てたものである。~如来が正覚を成ぜられ(悟りを開く)、初めて法輪を転じられた処である。~阿若憍陳如ら(釈尊と共に修行した5人の仲間ら)がここへやってきて自ら禅定を習した処である。~如来は循々と指導し五人に至妙の道理を示され、雨安居が終わるころ、五人は悟りを得た。」
『大唐西域記』 巻七・一初転法輪の聖地
二月に行う祥雲寺インド仏跡参拝旅行に向け、先月に続いて大唐西域記から参拝する聖地について引いてみます。
お釈迦さまは29歳で出家され、35歳で悟りを得られました。
この6年間の間、苦行生活を共にした五人の仲間がいたのです。
6年間、5人の仲間と苦行を行ったが悟りを得る事はなく、苦行は真理の法でないと考え、苦行をやめてしまいました。
それを見た仲間たちは、堕落したと思い去っていったのです。
その後お釈迦さまは尼連禅河に沐浴し、菩提樹下に坐して悟りを得られ、共に修行した仲間にこの無上の悟りを伝えようと坐を立たれました。
鹿野園に居た5人は遠くから歩み来るお釈迦様を見つけ、最初は無視しようと決めていましたが、悟りを得たお姿の清らかな佇まいに心動かされ、起き上がって礼をもって迎え教えを請いました。
お釈迦さまはこの時初めて説法をします。
説法は一日だけでは終わらず、一週間かかって五人の比丘に教えたのです。
鹿野園は初めて真理が世に説かれた地として歴史に名を遺す地となりました。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:12月21日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時(二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
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27年11月 早朝坐禅会「指月の会」案内
2015年11月21日苦行後のお釈迦様に乳粥を供養したスジャータの村のストゥーパ
「憍陳如らの住居の東南に卒塔婆がある。菩薩が尼連禅那河に入って沐浴された処である。河の側の遠からざる所は、菩薩がここで乳粥を受けて食された場所である。」
『大唐西域記』 尼連禅那河の沐浴
二月に行う祥雲寺インド仏跡参拝旅行に向け、先月に続いて大唐西域記から引いてみます。
「調身 調息 調心」という禅語があります。
これは坐禅を行う際の流れを表したものです。
以前ある老師がこれを説明するときに
「心という形を持たない、捉えられないものを安定させるにはどうしたらよいか。心を水のようなものと捉え、その入れ物である体を安定するように調え、内面を整えるために呼吸を調え、そうすることで心を調える。」
と言われていました。
調身、身体を安定させるというのはどういうことか。
それは坐禅の時の足を組み、背筋を伸ばした坐禅の姿勢をとるだけを言うのではなく、普段の生活習慣や食習慣を含めた生活全般を捉えた言葉になります。
日日の生活を改め程々の睡眠をとり、美食暴食極端に走ることなく節度のある食事をとる。
言えば極々当たり前のことでありますが、まずこの当たり前のところから入るのが「調身 調息 調心」の第一歩となります。
かつてお釈迦様が覚りを求めて6年間の苦行を行い、苦しみは人を浄めず、知慧を生むことはないと述べられて、苦行生活を終えられます。
苦行でやつれた体を尼連禅那河(ネーランジャヤー川)の流れで浄め、近くの村娘スジャータから乳粥の供養を受けました。
この供養を受けて体は力を取り戻し、以後菩提樹の下で一週間の坐禅を修行されて覚りを開かれました。
この成道の故事に則り、禅宗の修行道場では12月の1日から8日は坐禅の修行期間とされます。
七日目は徹夜で坐禅を行い、最後は法要を行って、その中で五味粥という粥を少しだけいただきます。
それはスジャータの故事に想いを馳せ、やつれた体に染み渡る滋味をお釈迦様の覚りとして味わう行為と言えるのかもしれません。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:11月23日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時(二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
※来月は年末になりすぎてしまうので第3週の23日(月)に行います。
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27年10月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内
2015年10月18日ネパールとの国境近く、釈尊成長の地カピラヴァストゥ城と目される遺跡
池に咲く蓮。蓮はインドを原産とする仏教の象徴とされる花
「城の東北40余里に卒塔婆がある。太子(若き日の釈尊)が樹陰に坐り田を耕すのを見られた所である。ここで坐禅をして欲を離れることができた。浄飯王(釈尊の父王)は太子が樹陰に坐り禅定に入られ、日の光はすでに廻り〔他の場所を〕照らしているのに、樹影は移ることがないのが目に入り、心に不思議に感じいよいよ敬愛を深くした。」
『大唐西域記』二ー六 贍部樹下の静思
二月に行う祥雲寺インド仏跡参拝旅行に向け、先月に続いて大唐西域記からお釈迦様が坐禅を行った場面を引いてみます。
お釈迦さまはシャカ族の王子として生まれ、一族の城カピラヴァストゥ城で育ちました。
お釈迦さまは「聖俗何れの道であれ偉大な人となる」との予言を受けていたので、父王は大変に心を配り、お釈迦様の成長を見守りました。
ある日のこと、父王が儀式(種まき式)を行っているとき、涼しいジャンブ樹の木陰に坐禅をされました。
後に出家をされ、他の修行者たちと6年間苦行を行われた末に、苦しみは人を浄めず、知慧を生むことはないと述べられます。
そして続いて、昔木陰で坐禅をした時を思い出されました
「もろもろの欲を確かに離れ、もろもろの不善の法を離れ、大まかな考察のある、細やかな考察のある、遠離から生じた喜びと楽のある、第一禅に達して住んだことを憶えている。これこそが覚りへの道にちがいない」(『大サッチャカ経』)
この後、お釈迦さまは菩提樹の下で坐禅を行い、覚りを開かれました。
写真の場所、カピラヴァストゥ城はお釈迦さま生育の地、覚りを開くに至る源となった体験の場所でもあります。
お釈迦さま存命の間にシャカ族は滅亡し、城は失われます。
今日では広大に広がる田畑のなかに城の土台が遺跡として残り、かつての姿を思い浮かべる基となってくれています。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:10月26日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時(二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。