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三月 観音朝詣りのお知らせ
2025年3月12日忖度(そんたく)という言葉をご存じの方も多いと思います。
もともと中国の古典「詩経」にある言葉で、人は心を持っているのだからそれを推しはかるという意味です。
誰でも心を持っているという平等感と、それを尊重するという礼節を兼ね備えたよい言葉だと思います。
ところが現在では、権力者、エライ人の意向を推しはかって、いちいち指示を受けなくても上に立つ者の思い通りにものごとを運ぶという意味になっていて、おべっか、追従を表わす卑しい言葉として扱われています。
言葉は人の心から発せられるものです。
よい心から生まれた言葉は人の心を動かします。
そういう言葉はたくさんあり人生の道しるべともなります。
しかしそこに自分の損得を図ったよこしまな心が入ると、よい言葉ほど嫌らしいもの、卑しいものになってしまうのです。
それだけでなく、場合によっては世の中の害になることさえあります。
滅私奉公という言葉があります。
おのれの欲得を離れて世のため人のために生きるという意味です。
私は葬儀に当たって故人の生前の姿を周りの人たちから聞くようにしているのですが、まさにこの言葉が当てはまる生き方をした人が少なからずいます。
社会的地位や男女にかかわりません。
本当に立派だと思える人は、庶民の中にたくさんいるのです。
しかし滅私奉公という言葉が目的化されるとどうなるか。
戦争中は国民を戦争に駆り立てるスローガンとなりました。
この言葉は、戦前、戦後を通じて国民はこうあるべき、公のため、大きな目的のためにと称して、個を犠牲にするための理由づけに使われはしなかったでしょうか。
誰もが反対できないような内容を表わす素晴らしい言葉は、それだからこそ大きな害悪をもたらすこともあるのです。
素晴らしい言葉は、自らへの戒め、誓いとされたときに、人生の指針となります。
令和7年3月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。