2020年6月21日


梅雨の時期は紫陽花の季節
栴檀林に雑樹無し、鬱密森沈として獅子のみ住す。
(香木の林に他の雑木が生えることの無いように、弁道精進の場には志ある人が集う)
『証道歌』
先日境内草木の手入れをしていたところ、お参りに来ていたアジア人の青年と立ち話をしました。
県内在住でお寺へのお参りを時折されているとのことで、信仰している宗教は無いがお寺に来ると気持ちが落ち着くのだそうです。
お寺も仏教も心を安らかに、落ち着けていくものなのだから機会があればどうぞいらして下さい、という趣旨の話をしたら「また菩薩さまに会いに来ます」といって帰られました。
以前NHKの番組で題材にされていましたが、お寺の建物を表現する伽藍という言葉は「僧侶の修行する林」を現す言葉を原型としています。
インドの時代僧侶は、誘惑の多い町中ではなく近郊の林を修行の地としていました。
それは市中の俗塵世情から離れた惑わすもののない自然の環境こそ、心を落ち着ける最適の環境であると知っていたからでしょう。
今日のお寺もまた、浮き世の波風から離れた心を落ち着けるに足る作りを伝統として踏襲しています。
異国の青年との語らいは、私たち仏教徒の受け継ぎ育み伝えるものが人種や文化の垣根を越えて通じるもの、尊びうるものなのだと再確認させてくれました。
或いは大げさな言い方なのかもしれませんが、ささやかなりとも古人はこうした出会いと導きを「観音様のお導き」と受け取っていたのでしょう。
祥雲寺副住職 安藤淳之
明日の坐禅会は風通しの良い広い堂内で短縮して行います。