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令和3年8月 朝坐禅会「指月の会」案内
2021年8月22日正業 八正道5月に引き続き、八正道4番目の正業をテーマにします。5月の案内で八正道の説明を取り上げました。世に生きる迷い悩み苦しみを滅する事の出来る術がある、それには八つの正しい行い、道を歩みなさいというものです。私の大学時代の先生は、仏教とは業すなわち習慣の宗教と説かれていました。ある講義で、こんな交通標語で説明をされていました。「交通マナー、守るあなたが守られる」交通マナーを守ることによって、道路で起こりうる交通事故から身を守ることが出来る。守ろうとする意識や習慣が、様々な害からむしろ身を守ってくれるようになる。仏教における戒、盗まない殺さない犯さないなどの、しないことを誓うのもこれと同じです。悪いことをせず、良いことを心がけ、習慣としていく。繰り返し身に付き習慣となったそれが、自ずと善きを選び悪しきから遠ざかる自分にしてくれる。業、すなわち習慣の功徳こそ肝心と教わりました。正業、正しい行い、行為。正しい行為の実践とは何であるのか。先月仏教における正しいとは「中道」、極端によらず適正で中正な行為を模索し歩むことと書きました。欲に流されず、さりとて無欲にこだわるのではない、物事を片側から見るのでなく、中心から、偏りのないところから見ようとする姿勢です。偏りから、こだわりから離れた、つまり二辺から遠離した道を歩むことが中道です。ではこの中道を踏まえた上で、正業正しい行為とは何であるのか。我が曹洞宗の高祖道元禅師は著書『正法眼蔵』の中でこの言葉で正業を説かれています。「正業とは出家修道なり」お釈迦様の説かれた法を、生きる中に活かす形にしたものが修行生活です。どのように生きれば良いのかを、歴代の祖師方が示してくれています。だから正しい行為とは、これまで道を人生で示してくれた先達に習うこと、と説かれた言葉です。言葉に表すのは容易くても、これは中々その通りに出来るものではありません。なので私は、先月と同じような物言いになりますが、これまで出会ってきた見倣いたい人たちの見倣いたいところを出来る範囲でまねるようにしています。修業時代、永平寺の宮崎禅師様は「まなぶということはまねるということだ」とお示しくださいました。ご縁を頂いた素晴らしい、凄い、素敵な方達の行為をまねてまねて、それを続けられたならやがては自分もそこに近づけることを願って、精進を続けています。今は意識して行っていることでも、積み重なって習慣となって、何れは仰ぎ見てきた人たちと同じく成ることが出来る様に、励んでいます。偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。我を離れることの出来る閑かな時間を、御一緒にいかがですか?
祥雲寺副住職 安藤淳之当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。次回は9月27日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています