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令和4年11月 朝坐禅会「指月の会」案内(11月28日朝6時半より)
2022年11月25日拈華微笑
先日NHKでやっているチコちゃんに叱られる、という番組で国宝の定義とは?の問いかけがありました。
チコちゃんの回答は「明治政府の暴走を止めた制度」でした。
曰く、明治政府は天皇を中心とする国家神道を目指し、
その為には一部混在していた仏教が邪魔になり、分ける目的で神仏分離令を出した。
それが加熱して寺が壊され仏像が捨てられる廃仏毀釈となった。
当時日本に赴任していたフェノロサら外国人達を皮切りに有志が美術品保護運動を起こし、保存法として国宝が誕生した、という流れだそうです。
今日様々な仏教美術が国宝として保護され拝観できるのは、こうした制度による保護あってこそというお話でした。
美術品というのは其れを見ることで感動を呼び起こす、何らかの情動を起こすものだそうです。
では仏教美術とは何を引き起こすものなのでしょうか。
私はそれは、安心(あんじん)や平常心と呼ばれる、心の有り様落ち着き平穏を見て取りまた受け取れるものだと思っています。
お釈迦様は説法の際、花を拈じて微笑みと共に一番弟子に教えを伝えたと言います。
爾来禅宗では以心伝心、心を以て心に伝えようと相対する、面授を尊んできたのです。
少し話が変わりますが、昨今は技術の革新によって、機械測定によって人の感情の機微、好悪の程が測定できるそうです。
その研究によると、顔の筋肉の微細な動きや全身のわずかな挙措で人はお互いに言葉を発さずとも多くの情報をやり取りしているとのことです。
言葉を介さずとも、伝わるものは確かにある、という話です。
それならば、言葉を介さずとも注釈が無かろうとも動きが無かろうとも、物言わぬ仏像から伝わるものは確かにあるのでしょう。
そこに表されるもの、表そうとしてきたもの、其れを旨く伝えられるよう精進していきたいです。
それこそが、心を以て心に伝えようとしてきた、ほとけごころというべきものだと思っています。
祥雲寺副住職 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。12月は26日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています