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令和七年十一月 朝坐禅会「指月の会」案内(11月24日朝6時半より)
2025年11月22日諸漏已尽、無復煩悩、逮得己利、尽諸有結、心得自在
「もろもろの煩悩既に無く、また心に煩いなく、よく自己の利をとらえて、
もろもろの束縛をなくしたれば、心は自在なることを得たり」
『正法眼蔵・阿羅漢』道元禅師
いよいよ今年も年の瀬が近くなり、12月1日年末大行事の無縁供養水子地蔵尊例祭、そして併せて行われる五百羅漢完成式典の日が近くなってきました。
準備も大詰めを迎えましたが、盛大に行えるよう頑張りたいです。
祥雲寺羅漢渓に祀られた五百羅漢は平成九年から掘り始められました。
元々はテレビで放送された余所のお寺での石仏彫りの取り組みを、生涯学習の一環として祥雲寺で出来ないか、とお檀家さんから声をかけられたところから始まりました。
爾来三十年近く、祥雲寺駐車場の作事場で羅漢の会会員の方々が力を尽くし、本年12月をもって503体が納められる所まできました。
五百羅漢というのはインドの昔、お釈迦様在世の時のお弟子方を言い、より厳密に言うならばお釈迦様の死後お経を編纂するために集った方達を顕す言葉です。
当時インドは紙に書き記して記録を残す文化はなく、教えは記憶頼りの口伝えであったそうです。
だからこそ教えが失われず間違われず伝わるように、大勢集って確認をしながら残していく必要があったわけです。
その為古いお経は冒頭に、如是我聞「かくのごとく我聞けり」との一文が付いているわけです。
筆記などで記録するよりも記憶することを重視するインドの伝統は近年まであったようで、昭和の老師がインドで聖者の説法を録音しようとしたら「尊い言葉を狭い箱に押し込めるべきではない」等と窘められた事があったそうです。
また集ったお弟子方が正確に五百人であったかは定かではなく、大体五百人と形容出来る様な大人数であった位の表現だそうですので、正確に五百でなくてはならないという厳密なものではないそうです。
羅漢の会では桜通りの金野石材店、金野敏明さんにご指導いただき、毎週土曜午後に集って石彫りをおこないます。
利明さんは石工として大変腕が立ち、羅漢渓の大釈迦像も彫り上げた方です。
日本では珍しい触地印、悟りを開いた際に大地の確かさに親しんだお姿のお釈迦様で、一頃海外の方がよくお参りに来られてもいました。
皆最初は素人乍らに鑿を振るって彫り始め、1年以上かけて一体を彫り上げる方もいれば、一人で何体も彫る方、家や会社に置くんだと石仏以外を彫る方もいました。
はじめては定型に沿ってらしく彫ろうとされるようですが、段々数を彫る内にバリエーションに困るようで、身近な方や記憶の中にある方をモチーフにされるようです。
羅漢さんを見た感想に、親しみやすいお姿とか懐かしいあたたかい印象をおぼえたと言われることが多いのは、彫った方のおもいが表れているからなのでしょう。
禅宗では、五百羅漢の事を「正法護持の衆」とも表現します。
尊いほとけさまの教え、迷い悩み苦しみから離れる清浄無為の妙法も、信じて守り実践する人がいればこそ今日の私達に、教えを求める人へと届くものです。
祥雲寺に集って鑿を振るった羅漢の会会員諸氏、現代の羅漢さん達の彫り上げた五百羅漢像が、今日立派な姿で完成しました。
石の普遍性永遠性に託された姿とおもいが、末永くお参りする人々の心に響き、静けさと安らぎの仏の道に親しまれることを願います。
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
この指月坐禅会は第四月曜日朝に毎月行っています。当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は12月22日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています

