2021年7月17日
仏陀は神様より偉いのか。
お釈迦様は菩提樹の下で悟られた後もそのまま禅定に入られたままでした。
それを見ていた大梵天は、せっかく悟られたのに説法をして下さらなければ私の作ったこの世界は滅びてしまうと危惧し、お釈迦様に説法、すなわち悟りの世界からの教えを説いて下さるよう懇願しました。
お釈迦様はその願いを受け容れて、ベナレスの町に行き、最初の説法(初転法輪)をされました。(増一阿含経第十勧請品)
梵天勧請といわれるこの話は、非常に深い意味を持っています。
大梵天はインドでは、私たちの住むこの世界、娑婆世界を作った神様です。
ほかの宗教なら、天地創造の絶対神であり、教えを請うてひれ伏すなどありえません。
どうしてそうなるのか。
それは、大梵天が主(あるじ)なのは「この世界」だけで、実際には三千世界と言われる無数の世界があるからです。
これらの世界を普通の人間は見ることはできません。それは、仮に世界と名付けるだけで、物質でできているかどうかも分からない、人知を越えたものであるからです。
これを仏教では「不思議」という言葉で言い表します。
言い換えれば、人間の知力には限界があるということを示しているのです。人間が、持って生まれた肉体で物事をとらえ、組み立て、判断していることから来る限界です。
お釈迦様は、この三千世界を貫く真理(ダルマ)を悟られた方、仏陀なのです。悟りは「知る」ではありません。人間的な知を越えたもので仮に如来智と名付けます。
悟りの前では、我々の前にある全ての事象が相対化します。それは神さえも例外ではありません。仏陀が神より偉いのではなく、どちらが偉いのかという考えが否定されるのです。
三千世界も、人知を越えた悟りがあることも、お釈迦様が悟りを得たことも、私たちには証明することができません。ですからこれは信仰です。その教えが、ひとつひとつ我が身に照らして納得でき、救いとなるとき仏教徒となります。
仏教はお釈迦様が仏陀であることを信じる宗教です。
令和3年7月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。