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令和三年10月 観音朝詣り
2021年10月17日「炎上」という言葉をたびたび目にします。
著名人の言葉や意見が、社会通念に反していたときなどに、ネット上で批判が集中することを指しています。
実際は匿名で行われる罵詈雑言の嵐です。
仏教は10の悪業を挙げます。
そのうちの4つはことばに関するものです。
妄語(うそ)、両舌、悪口(粗暴な言葉)、綺語(うわべの言葉)です。両舌は二枚舌と訳されますが、陰口だけでなく、人を中傷することそのものも指しています。
私と同じ年代の人たちから、自分の親が決して人の悪口を言わなかった、それだけでなく子供たちに対しても人の悪口を言ってはいけないと常々戒めていたという話を聞くことがよくあります。
考えてみれば、これは大変立派なことです。
人生は思い通りにはなりません。うまくいかなかった時に人へのねたみが生まれたり、ひどい仕打ちをされた人への恨みができたりすることも少なくありません。
しかし、それを口にして中傷してみても何の解決にもならない、自分を卑しめるだけだ、という見極めがあればこその態度であり、生き方であると思うのです。私と同年代の人たちの親は、大正から昭和の初め生まれの人たちです。
人生の苦労は桁違いの年代です。その人たちに言葉を慎む徳目が行き渡っていて、それを自分の子供に伝えようとしたことは尊重しなければなりません。
非難中傷を繰り返していると、自らを省みることが自然に抜け落ちてしまいます。そして相手への侮蔑が膨れ上がります。
例えば、最近よく目にする韓国や中国への非難も、侮蔑に流れた世論であっては、国を誤ることになりかねません。
言うべきことは言わねばなりませんが、それが相手に伝わるには、他者への尊重を感じさせる慎みのある言葉が必要です。令和3年10月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之十八日の朝詣りは午前6時から行います。