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令和四年6月 観音朝詣りのお知らせ
2022年6月22日愛語能く廻天の力あることを学すべきなり
道元禅師
ご法事で読む曹洞宗聖典「修証義」第22節の最後にある道元禅師の言葉です。
22節を現代語訳します。
愛語というのは世の人々に対して慈しみの心を持って、愛情のこもった言葉をかけていくことである。母親が赤子に対して抱くような思いで言葉をかけていくのである。素晴らしい点があれば心から褒め称えてやり、欠点があれば蔑むことなく思いやりの言葉をかけてあげなさい。生きていく中でどうしても生まれてしまう憎しみや対立の感情も愛情のこもった言葉によって解くことが出来る。直接に聞けば顔は自然にほころび心は楽しくなるであろうし、間接であっても人の心に、魂に、響いていくものである。愛情ある言葉は天をもめぐらす力があるのだということをよくよく体得しなさい。
もともと経典にある、菩薩が衆生を救うための四つの知恵の二番目にあげられているものですが、道元禅師はたいへん分かりやすい言葉で述べられています。
この文章が昔、中学生の国語の教科書に載っていました。昭和30年代のことです。中学3年だった私は、普段に読んでいる修証義の経文が教科書に載っているのに驚きました。もちろん鎌倉時代の、それも仏教用語が入ったものですから現代語に訳され、丁寧な説明がされたものだったのですが。
時代背景を考えてみれば、当時中学を卒業する生徒の3分の1は就職しました。中学3年生は社会への入り口に立っていました。コミュニケーションの手段である言葉は、社会生活に欠かせないものです。教科書編集者の考えを忖度(そんたく)すれば、言葉がどんなに大切で力があるものなのかを知ってもらいたいという思いがあり、さらには、そのことについて深い思考をめぐらせたすぐれた先人がいることも知ってもらおうという思いもあったと思います。
令和4年6月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。