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令和4年10月 観音朝詣りのお知らせ
2022年10月18日ずいぶん昔のことになります。
当時の鳩山由紀夫首相が沖縄の基地移転問題についての公約をひるがえすに当たって「あれは方便だった」と言って国民の怒りを買いました。
「嘘も方便」と言う言葉がよく使われるので、方便とは嘘のことというのが世間的な常識になっているからです。
そのことに思い至らない鳩山氏はずいぶんと世間離れした人だったと思います。
ただ、実は「方便」という言葉は、仏教用語であり、大切な意味を持ちます。
「善巧方便(ぜんぎょうほうべん)」とも言い、よき手立てと訳されます。
すなわち仏様が人間の苦しみ悲しみを癒やし、悟りの世界へと導くよき手立てを意味するのです。
お釈迦様は真理を悟られた方です。
真理は、人間が考える時間とか空間とかを超越したものです。
人間は眼耳鼻舌身の五官でものをとらえ、それを統合する意識で理解し、考え、想像してこの世界を組み立てています。
しかしそこには限界があって、本当の世界のあり方は、悟った人すなわち仏陀以外にはとらえきれないのです。
目に見えず、とらえきれず、思慮を絶していることを仏教では不思議と言うのです。
「ふしぎ」は仏教の言葉です。この世は不思議に満ちています。
不思議なこの世界に生きている私たちは、迷いから逃れることは難しいし、そのあり方も千差万別です。それに応じたほとけさまの柔軟な手立てを表わすのが方便という言葉です。
「無縁」も世間一般では本来の仏教用語と違った意味に使われている言葉です。「縁がない」と読めるので、関わりのないこと、自分にとってどうでもよいことという意味で使われています。
しかし万物が縁によって生成することを説く仏教では、一切の差別を離れとらわれのない境地から縁をとらえ、無限の縁として私たちに関わっていることをいうのです。
分け隔てない慈しみ、思いやりの心から、全てのものに対して感謝の思いを捧げるのが無縁供養であり、12月1日の祥雲寺の恒例行事となっています。
令和4年10月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。