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6月 朝詣りのお知らせ
2025年6月22日市内旧大町の児童公園の一隅におしどり塚があります。
この塚にまつわる伝説について、この便りを読む方々にはご存じの方も多いと思います。
昔、宇都宮に猟師がいた。
町の周りの野山で鳥、獣を狩っては生業としていた。
あるとき求食(あさり)川をさかのぼって猟をしていたが、夕暮れ近くなっても獲物はさっぱり捕れなかった。
山奥の沼に行くと水面に羽を休めている綺麗なおしどりを見つけた。
狙いすまして射た矢はおしどりを貫いた。
首を落としてその日唯一の獲物を家に持ち帰った。
明くる朝、獲物が捕れた沼にまっすぐ行くと、また鳥を見つけた。
再び射た矢は命中し、彼は仕留めた鳥を手元に引き寄せた。
するとそれは雌のおしどりで、昨日捕ったおしどりの首を羽根に抱えていた。
彼は殺生の罪を深く感じて僧となり、後におのれが殺めた夫婦のおしどりの供養の塚を造って弔った。
猟師の生業は鳥、獣を捕ることであり、農耕社会以前にはそのことによって人類は命をつないできました。
殺生を禁じることはできないし、それを生業とすることを否定することもできません。
しかしそれでも私たちはこの猟師の思いを理解することはできるのです。
おしどりに夫婦の絆の深さを感じること、偶然に弓矢の標的になってしまった不幸、狩られる弱きものであること。
おしどりに人間の有様を引き比べて生まれる同情です。
また、そのような弱きものの命を取って生きていくものとしての悲しさも感じます。
仏教は慈悲を説きます。
その慈悲の心の根底には、ともにこの世に生を受け、生きていかねばならない生きとし生けるものへの憐れみの心があるのです。
おのれに引き比べて他のものの悲しみを知らねばならない。
お釈迦様の御言葉です。
令和7年6月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。