2021年10月31日
正精進 八正道
5月に引き続き、八正道6番目の正精進をテーマにします。
5月の案内で八正道の説明を取り上げました。
世に生きる迷い悩み苦しみを滅する事の出来る術がある、それには八つの正しい行い、道を歩みなさいというものです。
私の大学時代の先生は、仏教とは業すなわち習慣の宗教と説かれていました。
ある講義で、こんな交通標語で説明をされていました。
「交通マナー、守るあなたが守られる」
交通マナーを守ることによって、道路で起こりうる交通事故から身を守ることが出来る。
守ろうとする意識や習慣が、様々な害からむしろ身を守ってくれるようになる。
仏教における戒、盗まない殺さない犯さないなどの、しないことを誓うのもこれと同じです。
悪いことをせず、良いことを心がけ、習慣としていく。
繰り返し身に付き習慣となったそれが、自ずと善きを選び悪しきから遠ざかる自分にしてくれる。
業、すなわち習慣の功徳こそ肝心と教わりました。
今回の正精進とは、正しい精進、道に努め励むこと、と現代語訳されます。
古い仏典を引くと
・すでに起こった不善を断ずる
・未来に起こる不善を生こらないようにする
・過去に生じた善の増長
・いまだ生じていない善を生じさせる
という四つの実践について努力すること、となります。
この事を考えるときに思い出される故事を一つ紹介します。
ある日、中国の詩聖白楽天が道林禅師に、「仏の教えとはどういうものでしょうか」とたずねました。
道林は
「悪いことをしてはいけない、善いことをしなさい、そして自分の心を浄めなさい、これが仏の教えである」と答えました。
白楽天は「そんなことなら、3歳の童子でもそう言うでしょう」と言うと、
道林禅師は「たとえ3歳の童子が言い得ても、80歳の老翁でも実践することは難しい」と答えました。
仏教とは、人の日常の生き方そのものです。
精進とは、良いと分かっていても成しがたい道を努力して歩む事です。
心して努め励むことで、やがて習慣化して身について、難しかったことが自然と成せるようになり、自ずと身心が整えられていく。
正しい精進とは、このような日々の努力なのでしょう。
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間を、御一緒にいかがですか?
祥雲寺副住職 安藤淳之
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
初めての方は15分前に来てください。
次回は11月22日となります。
また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています