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令和4年5月 朝坐禅会「指月の会」案内(5月23日開催)
2022年5月22日無常を観ずる時、吾我(自我)の心生ぜず、名利(名誉や富)の念起こらず。
『学道用心集』
皆さんはゴールデンウィークを如何お過ごしでしたでしょうか。
各々様々予定を立てていたようで、坐禅会に参加されているある女性は、兵庫の安泰寺という禅寺に坐禅に行くと言われていました。
この安泰寺、ネルケ無方というドイツ出身のお坊さんが住職をしていたお寺で、私はネルケ師の講演を二回お聞きしたことがあります。
曰く
高校生のころ学校の坐禅サークルで坐禅を経験して、初めて自分の頭の下に体があることが分かった。
仏教を学びたいと思って大学の時に宇都宮に寄宿して修行できる寺を探し、兵庫の安泰寺に行き着いた。
いざ修行に入ろうと言うときには住職から「おまえが安泰寺を作るのだ」と激励された。
しかし入ってみると掃除炊事洗濯と、修行とは思えないことばかりやらされる。
こんなはずは無かった、自分は修行をしたくて来たのだと住職に詰め寄ると
「おまえのことなんか知るか」と言われてしまった。
気落ちしたが、後日これこそが師の指導、叱咤激励であるとわかった。
仏道の修行とは何であるか?
それは俺が私が、という「我」の心を小さく少なくしていくことだ。
修行の道場は大勢で運営されるものだ。
大人数で生活するのだから役割分担がとても大切になる。
その中で我を張っていては分担は成り立たない。
だからこそ、法要や坐禅と言った修行らしい修行を支える掃除炊事洗濯といったこともまた大切な修行となる。
吾我の心、我を張ることを捨てるまたとない修行の機会となるのだ。
ネルケ師は6月に足利にて仏教会の講演会でお話をされるそうです。
私もまたお聞きしにうかがえればと思っています。
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
祥雲寺副住職 安藤淳之当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。次回は6月27日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています