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令和4年11月 観音朝詣りのお知らせ
2022年11月23日ひとの生を うくるはかたく
やがて死すべきものの いま生命あるは ありがたし
法句経182 友松円諦 訳感謝の言葉「ありがとう」の語源になっている経文です。
お釈迦様は、この世界で人間に生まれること、生まれ出でて命を保っていることがどんなに有ること難い縁に依っているものなのかを説かれています。別のお経では、人間に生まれることがありえないような確率であることを示す盲亀浮木というたとえ話もされています。
ところで「感謝」という言葉について、何か私たちにためになること、利益になることをしてくれたことへのお返しの感情を表わすものと思うのが常であると思います。
恩に報いる「報恩」という言葉がそれを表わしています。その考えは人間にとってとても大切なことなのですが、それだけではもらったものへのお返しにすぎないのではないのかという思いもぬぐいきれません。
生きていることを当たり前と思うなかからは権利の意識は生まれても、この経文に説かれる感謝の感情は生まれません。お釈迦様は、人間が幸せに生きる道として慈悲喜捨の四無量心を説かれました。
慈はいつくしみ、悲はおもいやりです。三番目の「喜」は、人の喜びを自分の喜びとできるような生き方をしなさいという意味です。
そして四番目は分け隔てない心です。
私たちはこの世界の天地万物と共に生きています。
生きることには自分も他人も分け隔てはありません。
そこにあるのは生きることそのものの喜びです。自分も他人も分け隔てることのない喜びを言葉で表わすとすればそれこそが「感謝」であると私は思います。
意識できる恩を受けたということがなくても、生きている中で自然にわいてくる喜び、それをありがたい感じることが感謝の本質です。
令和4年11月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時半から行います。