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令和5年4月 朝坐禅会「指月の会」のお知らせ(24日朝6時半より)
2023年4月23日犀の角のようにただ独り歩め。 『スッタニパータ』(原始経典)
金曜日に下野新聞を読んでいたら
「ジェンダー平等阻むもの、男性自立こそ解決の鍵」
という表題の記事がありました。
そういえば金曜日のヨガも男女比率が1:15くらいの不平等空間だなぁ、という位の思いから読み進めました。
曰く、日本はジェンダー平等が進まない国と国際的には評価されているが伝統的な価値観に縛られる率は低い。そして上位とされる男性の幸福度は低く、パートナーを失った場合幸福度も健康度も低下し寿命も縮まる。
それは男性の依存傾向の現れと解釈できる。
男女を問わず、幸せかどうかは自分がどう感じるかの問題で、自分以外にその答えを求めるならばそれは依存である。
場を問わず独立した人格であることで多様な他者を正当に評価できる。
自立こそが鍵である。
といった記事でした。
私はこれを読んで上記の 犀の角のように~ の言葉を思い出しました。
インドは自然豊で、今でも郊外に出れば多種多様の動物がそのままに生息している国です。
その中で静かに闊歩している犀の角の屹立する様は、孤独や独立独歩の表現なのでしょう。
仏教が孤独を勧めているのは、悩みの多くは人間関係から起こるからこそ、そこから一旦離れることが心の成長に必要なのだ、という分析からです。
社会は繋がりによって構成され、私たちは関係性の中で生きています。
その中で孤独感に苛まれるのは、時に繋がりを実感できなくなるからです。
そんな私たちに、上記の言葉は孤独を恐れすぎることは無い、と教え諭しているのです。
仏教は関係性によりかかるのではなく、自らを自らの寄る辺と出来る様に歩み育んでいく。
2000年以上の昔から、自立の大切さを説いているのです。
上記の犀の角のように~、は少し長い文章ですが、後段にはこのような下りもあります。
学識豊かで真理をわきまえ、高邁、明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め。
悩み苦しみの元ともなる人間関係から一旦距離を取ってみることを勧めると同時に、仏教は「優れた友」との交流を勧めてもいます。
それは矛盾することを言っているのでは無く、本当に自立した人格を作り上げるにはどちらもが必要であるからです。
仏教信仰は三宝信仰であり、三宝とは仏と、仏の教えである法と、法を学び実践する仲間である僧です。
心弱い私たちが誤りなく学び実践するには、道を同じくする志ある仲間がいることが望ましい。
互いを高めあい成熟へと導く優れた友を勝友、僧(宝)と呼び、だからこそ篤く三宝を敬ってきたのです。
孤独と向き合う機会は、自分と向き合う機会でもあります。
自らの心を育む場として坐禅会やお寺でやっている集まりが多くの人に役立ってくれるなら、頑張って続けている甲斐もあるというものです。
祥雲寺副住職 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は5月22日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています