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平成26年5月朝詣り
2014年6月18日横浜鶴見総持寺
月が皓々(こうこう)と照る夜半、求道のこころざし篤い修行僧が坐禅をしていると師匠が近づいて月を指さし、
「そなたは月が二つあることを存じておるか」
と問いかけました。
修行僧がいぶかしく思っている様子を見て、師匠は立ち去ります。
修行僧はおのれの未熟を恥じ、修行に精進しました。
月日経ち、身も凍る寒い月の夜に坐禅に努めているとき、師匠が近づいて指をパチンと鳴らしました。
その瞬間、修行僧は悟りを得たのです。
修行僧は大本山總持寺の第二世峨山(がさん)禅師、師匠は太祖瑩山(けいざん)禅師です。
「両箇の月」と呼ばれるこの公案について、いろいろな解釈がされています。
ただ解釈は解釈であって、それで峨山禅師の悟りを示すことはできません。
悟りは師家(師匠)と学人(弟子)の全人格の感応道交の中にあるものなのですから。
それをことわったうえで、解説をしてみます。
仏教では月は真理の象徴です。
真理は真如とも仏性ともいい宇宙から自己までを貫く絶対の真実です。
修行僧の坐禅は一点の曇りもない満月のごとき唯一絶対なる真実、真理を求めてのものでした。
それに対し、師匠は一つではないと言い放ったのです。
月には満月もあれば、三日月、新月もあります。
群雲に隠れることも、雲間より光のみが漏れいずることもあります。
現象の奥にある普遍の天体のみを真実の月とするのではなく、千変万化する現象のあり方に心を通わす融通無碍の境地を般若といい実知恵ともいい、その境地に到ることを悟るというのです。
仏教はものごとを固定的にとらえません。
大切なことは、全身全霊を傾け修行する僧と、闊達の境地にいる師匠の間だからこそ成り立つ話であるということです。
命がけの真剣勝負でなければ、何事も適当でいいよという俗話になってしまいます。
平成26年5月15日 祥雲寺住職 安藤明之
過去の未掲載のものをあげました。
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平成25年10月朝詣り
2013年10月18日祥雲寺西国三十三番観音霊場朝詣り行事は今月で満20周年を迎えます。
住職を引き継いだとき、本道の周りに開眼されないままの33体の観世音菩薩石像が残されていました。
観世音菩薩を信仰していた先代住職が発願して造立されたものが安置できぬままになっていたのです。
信心のこもったお像として安置したいとの思いから、平成元年から4年間かけて40人ほどの人たちと巡礼しました。
いただいてきた各札所のお土を台座の中に収め、それぞれのお像に祈願の施主がついてくださって、すべての開眼が終わったのは平成5年5月でした。
最初は、私を含めてばらばらにお詣りをしていましたが、そろって毎月お詣りしようということになり、観音様の縁日である18日を選んで第一回が行われたのが、その年の10月です。
以来、一回も休むことなくこの朝詣りが続いてきたのは、多くの人のお陰です。
供える花は、足が不自由でお詣りすることができない壬生在住の方から欠かさず届けられています。
開始時間の30分以上前に来て華を切りそろえ水桶を準備してくれる人、水桶を運んでくれる人、月ごとに絵馬札を準備してくれる人、おまいりの後のお茶のときの菓子やお茶請けを手作りしてもってきてくれる人。
毎月これらの人たちが支えてくれてお詣りが続いています。
この霊場に年間を通していろいろな花が咲くように考えて植えてくれた人、アヤメや蓮を持ってきてくれた人のことも忘れられません。
そして、総長参加し手を合わせる善男善女。
20年間、真摯に祈り、季節の移ろいを楽しみ、なごやかにおしゃべりする。こんなに素晴らしい行事を続けられることこそが観音様の威神力に違いありません。
平成25年10月15日 祥雲寺住職 安藤明之
今月18日の観音様朝詣りは記念行事として午前9時から行います。
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平成25年2月朝参りのお知らせ
2013年2月17日先月の朝詣りが始まる直前、私は転倒して頭を強く打ち、国立宇都宮病院に入院いたしました。
幸い、手術することなく院内での投薬による治療ですみました。
入院は私にとっては生まれて初めてのことでした。入院患者としていろいろと考えることがありました。
私も入院当初には肉体的な辛さがあったのですが、これは入院するほどの患者なら誰もが感じていることでしょう。
重症の人と比べれば実際に私程度は問題にもならないものでしょう。
肉体的、精神的辛さを乗り越えていくのは、忍耐力、希望、あきらめなど、それぞれの患者の意思や力によります。
しかし、それを支えてあげる人たちの力も大きなものです。
私の場合には、妻はもとより、遠くにいる子供たちが何度も来てくれました。
家族がそばにいる安心感はかけがえのないものだと実感しました。
また病院のスタッフの丁寧さに感心しました。
医師は信頼の中心です。
毎日来てくれて経過を話し合ってくれることが安心感となり、闘病の励みになります。
そして看護師さんたちの分け隔てない親身さには感心しました。
同室にはしょっちゅうナースコールをして怒鳴りまくっていた人もいました。
病状からやむを得ないかもしれません。
そういう人にたいしても、すぐにきて丁寧な看護をしていました。
母の最晩年、何度か老人ホームのショートステイを利用いたしました。
いくつかのホームに行ったのですが、その時に感じたのは、老人にとってありがたいのは、設備が新しくて見かけがよいことよりも介護スタッフの親身さであるということでした。
それは、今回の病棟でも感じたことです。
高齢社会が進んでいく中で、看護や介護は益々重要な社会問題になっていきます。
その中で一番大切なことは、人と人との結びつき、親身さ、いわば心を大切に考えることです。
平成25年2月15日 祥雲寺住職 安藤明之
この度のことでご心配いただいたことに感謝申し上げます。
今月18日に観音様の朝詣りは、勝手ながら午前9時からにさせていただきます。