ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

2018年12月の記事

  • 30年12月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2018年12月16日

    株式会社ダイナム社員研修会。 白装束を用意されての研修です。

    要望により、普段行っていない警策を用いての坐禅会となりました。

    この法は人人の分上にゆたかにそなわれりといへども、いまだ修せざるにはあらわれず、証せざるにはうることなし
                                 正法眼蔵弁道話
     
     「ほとけさま」に手を合わせましょう。
    法事の際など、お寺で良く聞く言葉です。
    ここで言うほとけさま、とは如何なる存在であるのか、何故尊いのか合掌礼拝するのか。
    そんな疑問を持ったことはないでしょうか?
     私には一つの確信があります。
    私は、生きて呼吸をし、血肉を備えた生身の仏様にお会いしたことがあるのです。
    かつて修業時代、福井県の大本山永平寺で摂心という修行に臨んでいる中で、坐禅をしながらの給仕のために坐禅堂を見渡してみれば、そこには数十人を超える生きた「ほとけさま」が座っていられました。
    それは共に修行に励んでいた同輩や先達、同じく迷い悩みながら精進していた俗人であった私たちが、思わず手を合わせ拝みたくなる「ほとけさま」達として無言の内に世の片隅を照らしていたのです。
    故宮崎禅師様は「坐禅をすれば良き人となる」と言われていましたがそれは事実です。間違いのないことです。
    「ほとけさま」とは、私たちの心のはたらきの中に時として立ち現れ出でる尊い「ほとけごころ」の表れなのです。
    お坊さんとは仏教徒とは、「ほとけごころ」に生きることを目指す人たちなのです。
     
     では「ほとけごころ」とは如何様にすれば現れるものなのでしょうか。
    坐禅の境地で日々に臨むことができればこの上ないのでしょうが、
    曹洞宗の高祖道元禅師は著書『正法眼蔵』生死の巻でこう説かれています。
    「思うに、仏となるには、ごくたやすい道がある。
    それは、もろもろの悪事をなさぬこと、生死に執着する心のないこと、そして、ただ、生きとし生けるものに対してあわれみを深くし、上をうやまい、下をあわれみ、なにごとを厭う心もなく、またねがう心もなく、つまり、心に思うこともなく、また憂うることもなくなった時、それを仏と名づけるのである。
    そして、そのほかに仏をもとめてはならない。」(増谷文雄訳)
    生き方を調えることで惑い迷う自己を少しずつ変えていく、その中で心が「ほとけごころ」へと向かっていく、つまり訓練で培っていくものなのです。
     あの日に見た尊い在りよう生き様。
    それを忘れぬようこれからもこの仏道を歩んでいきたいです。
                                    祥雲寺副住職 安藤淳之
    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

    日時:12月17日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)12月のみ第三週開催

    6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

    7時20分~8時    (二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    注意:初めての方は最初に指導を行います。

    その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています

  • 平成30年12月 観音朝詣りのお知らせ

    2018年12月16日

    写経会の人たちと成道会

     

    本尊様の台座にお経を書写した石を納める

    コンピュータを造ったのは人間です。ハード、ソフトといわれる、機械と処理技術の開発も人間の意思と創造力によってもたらされたものです。そこには開発者の個性が投影されています。
     アップル社の創業者であるスティーブ・ジョブスは誰もが認める最先端のコンピュータ開発者です。彼はまた、曹洞宗の禅僧を師と仰ぐ仏教徒でもありました。
     11月26日に聴講した駒澤大学の石井清純先生の「禅の教えをいまに活かす」という題の講演で、ジョブズについて触れていた内容の一部を紹介します。
     彼が開発に当たって常にシンプルなものを目指しました。自分が開発し積み上げてきた機械や機能でも惜しみなく捨て去りました。
     その基準は、禅で大切にされる「初心 」でした。
    「もし今日が人生最後の日だとしたら今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか」
    本当に今すべきこと、どうしてもやらなければならないことの役にたつコンピュータを造ることが彼にとっての初心であったのでしょう。一期一会にも通じる言葉です。
     会社宣伝のポスターは、真ん中にリンゴ、上に「シンプルが究極の宣伝」とだけがあるまことにシンプルなものでした。石井先生は禅僧の描く一円相を思わせると評されました。
     また、ジョブズは、古いものをただ捨てたのではありません。先人への感謝を失いませんでした。
    「クリエティブな人というのは、先人たちの残してきたものに感謝しているものだ。それに何かを付け加えたい、そう思って僕は歩いてきた」
     正 しい教えを伝え遺(のこ)す、そして、師の徳を超えなければ徳は半減してしまう。禅宗で嫡嫡相承(てきてきそうじょう)という言葉で表される思想に通じています。
     ジョブズは、青年時代ヒッピーの生活を送ったこともあるそうです。放浪は精神遍歴でもあったのでしょう。才能あるものが遍歴の末に現代文明を花開かせた。その契機の一つに日本の禅との出会いがあったことは、禅のみならず日本文化の人類社会への可能性を示すものでもあります。
     平成30年12月15日
        宇都宮市東戸祭1-1-16      祥雲寺住職  安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時半から行います。

祥雲寺行事案内

祥雲寺で行ってる月例行事や年間行事、その他法要・祭りなどについてのご案内です。 行事カレンダーもご確認ください。