-
平成29年4月26,27日 水沢正法寺参拝、東日本震災被災地慰霊旅行
2017年5月21日本年は東日本震災から7回忌の節目の年になります。
この年に当たり、祥雲寺檀信徒の皆さんと東北に旅行し、曹洞宗の名刹にお参りして被災地で手を合わせてまいりました。
私は大震災直後、気仙沼でシャンティ国際ボランティア会の皆さんと2か月ほど支援活動を行ってきました。
その折何人かから言われた言葉が
「今は地震でがれきの山になってしまい、支援の人のおかげで本当に助かっている。
だけどここは、自分たちの故郷は本当にいいところなのだ。
今は無理だけど、そのうち綺麗に復興されたなら、観光にでも来てもらって楽しい思い出を持ち帰ってもらいたい。」
共通していたのは、この自分たちの素晴らしい故郷を、
震災の惨禍の地で終わらせたくない、
大勢にとって楽しい思い出の場所としていきたい、という想いでした。
この事から今回の旅行の趣旨は
被災地支援の為、七回忌慰霊の為、そして観光で楽しい思い出を持ち帰ってもらう為とし、これらを念頭に旅行計画を組み立てました。
天候にこそ恵まれませんでしたが、楽しい旅行にすることが出来て、あの折に言われた言葉にようやく答えられたかな、と思います。
岩手県水沢正法寺、曹洞宗第三の本山ともいわれる名刹
住職になられた栃木県小山市の盛田老師の御法話
本堂で集合写真。
猊鼻渓で沢下り
雨の日こそなごやかに
石巻市大沢小学校で慰霊供養
松島瑞巌寺
熟練の観光ガイドさんに大喝采
瑞巌寺本堂前
旅の楽しみはつまみ食いにあり
松島遊覧。ビールで乾杯!
-
平成29年5月 観音朝詣りのお知らせ
2017年5月14日本堂前のツツジ
今年は例年以上に色鮮やかに咲きました。
名古屋市の熱田神宮の少し南よりを流れる精進川に裁断橋という小さな橋が掛けられています(今はもう流れはなく橋だけになってしまいました)。
古くから神域に入る禊(みそ)ぎの橋であったものですが、江戸時代のはじめにこの橋を豊臣秀吉の北条攻め(小田原の陣)で息子を亡くした母親が33回忌の供養に全財産をなげうって架け替えました。
その母親の筆になる願文が橋の擬宝珠(ぎぼし)に残されています。
「天正十八年二月十八日に小田原の御陣、堀尾金助と申す十八になりたる子を立たせてより、またふためとも見ざる悲しさのあまりに今この橋を掛けたるなり。
母の身には落涙ともなり即身成仏し給え。
(戒名)逸岩世俊と後の世のまた後まで、この書きつけを見る人は念仏申し給へや。
三十三年の供養也」
子を失った母の悲しみと、故人の後生を願う心の痛切さが惻々として心に沁みる文章です。
戦いに死ぬのが武士の常であった戦国の世といえど人の心に変わりはないことがよくわかります。
死んだ子の供養に橋を架け替えたのには訳があります。
橋は渡すものを選びません。
堀尾金助は戦いに死にましたが、橋は敵も味方もともに渡します。
人であろうと動物であろうと物であろうとわけへだてなく渡してその為になります。
この母親は橋を掛けることによって金助が争いと恨みの岸を離れて成仏することを願ったのです。
平成29年5月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。
-
29年4月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内
2017年4月23日お彼岸の入檀式。
『捨てれば必ず軽くなる 捨てて、軽やかに生きなさい。』-スッタ二パータ
この朝坐禅会を初めてちょうど二周年となりました。
何人もの方に来ていただいて共に修行の時間が過ごせることを、
大変ありがたく感じます。
初心を振り返る意味で、最初の文を再掲します。
先日NHKの番組で、ぼんやり術の特集、というものがありました。静かなところで何も行わず、ただぼんやりとすることで、頭がすっきりして血圧が下がる等の効果があり学校教育にも取り入れられている、という内容でした。
お寺では、昔からこれに類することを行ってきました。坐禅です。
祥雲寺でも雀宮出張所「善応院」で毎週坐禅会を行ってきましたが、今年度より宇都宮の本堂で月に一度、第四月曜日の朝に坐禅会を行います。
昔から禅寺では、朝に暁天坐禅という坐禅の時間を設け、心身を整えて一日の修行に向かってきました。
心を落ち着け体の調子を整え思考をクリアにしてくれる坐禅は、「安楽の法門」ともよばれています。
時間に追われる忙しい現代においてこそ、何にも取り組まず頭をからっぽにして「軽やかになる」時間を持つことは、とても必要なことだと思います。
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:4月24日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時(二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
-
平成29年4月 観音朝詣りのお知らせ
2017年4月15日今年のしだれ桜
例年より開花は遅めでした。
銀(しろがね)も 金(くがね)も 玉も何せむに
まされる宝 子に如(し)かめやも
万葉集巻の五 山上憶良 子を思う長歌の反歌
有名な歌ですからご存知の方も多いと思います。
「世に宝といわれる銀も金も玉も何ほどのことがあろうか、子に勝る宝はない」という意味もどなたにもわかりやすく受け取れると思います。
私には6才と2才の孫がいます。
やんちゃな男の子ですがこれがかわいい。
東京から来るたびに成長の早さに驚かされます。
上の子がお兄ちゃんらしく弟を思いやっているのはほほえましく、弟は一挙手一投足がすべてかわいい。
まさに座敷の花です。
そんな孫たちを見ていると、この子たちの生きる時代が幸せなものであって欲しいとつくづく思います。
この子たちは、これから21世紀を生き、22世紀まで生きるかもしれない。
私には知ることのできない世界です。
でも、その世界がコンピューターに支配されていて、人間が創造性を持って生き生きと生きることのできない世界になってしまうかもしれない。
それよりも前に、愚かな指導者によって世界戦争や、内乱の相次ぐ世界になってしまったら、と心配は尽きません。
幼い子供たちを通して、世界の未来の平安を願う気持ちは、現実的に、そして深く強いものとなってきます。
冒頭にあげた山上憶良の歌の前には序文があります。
釈迦如来、金口に正に説きたまはく、衆生を等しなみに思うこと、羅睺羅のごとし。
又説きたまはく、愛しみは子に過ぎたるは無しとのたまへり。
至極の大き聖すら、尚し子を愛しむ心あり。
況んや、世間の蒼生、誰か子を愛しまざらむ。
(註)羅睺羅とはお釈迦様の実子の名前です
私に残された時間は少なく、たいした力もありませんが、それでも世の幸せを願う祈りだけは絶やせません。
平成29年4月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。