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平成28年11月 観音朝詣りのお知らせ
2016年11月16日祥雲寺から見る宇都宮タワーと境内のイチョウ
この子らを世の光に
本年7月、神奈川県相模原市の障碍者施設で痛ましい事件が起こりました。
26歳の元職員の男によって入所者19人が殺害され、重傷者も20人に及びました。
大事件でしたのでご記憶のことと思います。
犯人が
「重度の障碍者は生きていても世の中の負担になるだけだから、世のために自分が殺してあげるのだ。」
と動機を述べました。
人格が破綻した自己中心の愚か者の妄言です。
しかし、障碍者や世の中の弱き人たちへの迫害を正当づけるこのような考え方は、ナチスドイツなど、世界の歴史の中で繰り返されてきました。
また、被害者の名前を警察が公表しなかったことについて、被害者家族の一人が
「日本では、すべての命はその存在だけで価値があるという考えは特異とされ、優生思想が根強いためである」
と説明したとのことです。
優生思想とは、人間の中ですぐれた資質を持つ者の環境を良くし、劣った資質を持つ者を排除するという考え方です。
「すぐれた」「劣った」を決めるのは人間の主観です。
お釈迦さまは生きとし生けるものの平等を説かれました。
仏教が広まった日本には、障碍者や弱き者への深いあわれみの心を持つ人はたくさんいたし、今もいます。
しかし、それでも上に記した今回の被害者家族の方が感じている現実がないとは言い切れません。
障碍者が生まれると、家の恥として人に知られないように家族内に隠してしまうことが一昔前まで行われていました。
現在は家庭からも切り離されて施設に隔離されているようです。
隔離からは、人としての心の交流は何一つ生まれません。
差別が生まれるだけです。
日本人の障碍者に対する見方、対応に、このようなことが続いているならば、改めなければなりません。
冒頭の言葉は、日本の社会福祉を切り開いた糸賀一雄氏のものです。
氏はキリスト教徒でした。
言葉が「この子らに世の光を」ではないところに、障害を持って生まれた人たちへの敬愛が込められています。
平成28年11月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時半から行います。
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28年10月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内
2016年10月23日第一土曜日の羅漢拝、石彫会の皆さんと十六羅漢(釈尊の高弟)にお参りします。
和合の功徳は僧宝なり 『教授戒文』帰依三宝より
ついこの間扇風機をしまったと思ったら、あっという間に暖房機を出したくなる気温になってしまいました。
朝の坐禅で寒さを感じる季節になると、きまって思い出すのは冬の永平寺での坐禅です。
毎年12月になると、蝋八大接心という一週間起床から就寝まで坐禅をし続けるという大行事が行われます。
当時僧侶となって半年が過ぎたころの私は、古参僧侶や同輩との付き合いが上手くいかず、周囲との摩擦で僧侶としての自身の在り方に疑問を持っていました。
そんな時期にこの大行事に臨むことになり、逆に悩んでるどころではなくなってしまいました。
朝の3時頃に起床して坐禅が始まり、夜9時に就寝するまでわずかな間を挟みながら坐禅を続けます。
一日目は体力で乗り切りました。
二日目は身体にガタが来て気力で乗り切りました。
三日目は体中が痛くなって息も絶え絶えで就寝の時間を待ち望みました。
四日目は痛みが酷く気力も尽きかけてどうやって古参の目を盗んで楽をするかしか考えられませんでした。
五日目、同輩同士で些細なことから言い合いになり、ギスギスした空気で坐禅に臨みました。
自分は、なんでこんな苦役をやっているのかまるで分らなくなり、頭の中はぐちゃぐちゃになりながら坐っていました。
そんな時、ふと「周囲が優しくないのは、自分が周囲に優しくしていないからだ」という思いと共に頭のぐちゃぐちゃがストンと腹に落ち、あんなに辛かった坐禅が憑き物が落ちたみたいに楽になりました。
その後はぼんやりとしながらも落ち着いた心持ちで勤められるようになり、不思議な気持ちで一週間を終えました。
周囲とも落ち着いて付き合えるようになり、摩擦も少なくなっていきました。
私にとって、坐禅がただ退屈な形ばかりのものではないのだと思えるようになったのはこの時からです。
後日、横浜の大本山總持寺で修行するようになってから、後堂(修行の責任者)の野田大燈老師にこの時のことを話しました。
野田老師は
「修行しているとそうした小悟大悟(様々な気付き)をする。自分もある。道を歩むということはこれを繰り返していくことだ。生涯繰り返しなさい。」
というような意味のことを教えてくださいました。
あの時から数えて13年が経ちました。
私のこの道の、最初の一歩の思い出です。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:10月24日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時(二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
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平成28年10月 観音朝詣りのお知らせ
2016年10月16日栃木県梅花大会。今年の御詠歌講の発表会は18日に栃木市で行われます。
宗教とは何かと問われて、もし一言で云うとしたら「感謝」であると思います。
人から何かの恩を受けたとき、それに対して感謝の気持ちを持つことは、人間としてあたりまえのことです。
しかし自分が生きていること、日常の生活を送っていることに対して、それを有りがたいことと感じ、感謝の思いを持つことはなかなかに出来ません。
とくに、健康でいるとき、生活が順風満帆であるときには「日常」の有りがたさはなかなか見えてきません。
自分自身の、あるいは身近なものの病気や不幸に会ったとき、人は当然ながら悩み苦しみます。
そのときに、不幸の原因を他人や他のものに求めてそれで納得する人もいるでしょう。
自分の生きる意味を考えてそれに納得のいく答えを出そうとする人もいるでしょう。
しかし、生きる意味についての納得のいく回答など、なまなかに出せるものでもありません。
その多くは錯覚による自己満足でしかないと思います。
メッキはすぐにはがれてしまい、また悩み苦しみに戻ります。
そうした中で、自分自身がこの世の中に生きているという事実だけは否定しようもありません。
その時、自分が生きていることをすばらしいと感じ、さらに進んで、人により、ものにより、生かされていることをありがたいと感じることが出来るかどうかが分かれ目です。
たとえ神仏を信じなくとも「感謝」の思いを持つことの出来る人は宗教の門のうちに在ります。
平成28年10月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。
〈お知らせ〉
平成26年1月に、仏教の教えを根底に据えたような物語としてNHK朝ドラ「ごちそうさん」が、いまBS3チャンネルで朝7時15分から再放送されています。
どこが仏教的かなどと考える必要もなく、たいへんすぐれた面白いドラマですので、ご覧になることをおすすめします。
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28年9月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内
2016年9月25日9月後半は台風ばかりでしたが彼岸末日は少しだけ夏めいた天気になりました。
彼岸花はいつも彼岸ちょうどに咲いています。
『峯の色 渓(たに)のひびきも 皆ながら わが釈迦牟尼仏の 声とすがたと』
『正法眼蔵渓声山色』
私は自転車が好きです。
車の運転も悪くないですが、自転車の自分の力で速度と距離を出して風を感じ、遠くへ駆けていく感覚は十年続けていてもなお色あせない魅力で私を外へ駆り立ててくれます。
宇都宮の北を流れる山田川サイクリングロードは川に沿って整備された自転車道で、車を気にすることなく自由に走れるのでよく利用していますが、郊外の川に沿って走るので四季のちょっとした変化も感じることが出来るお気に入りのコースです。
5月のころに走ると若葉の季節らしく青々とした木々に彩られ、今時分に走ると瑞々しさを失くしつつも秋の彩りへと移り変わる気配を感じられます。
どちらも里山の自然の中、溢れんばかりの生命の働きを全身に浴びながら、自分の呼吸と鼓動を重ねて感じ、言葉にし辛い一体感を持ちます。
そんな時、決まって思い出すのは相田みつをさんの詩作
「花はただ咲く ただひたすらに~」
です。
全ては無常の真理の中、移ろっていくこの一時に咲いた命を精一杯に生きている。
天地自然の中にあるものは、ただその命の有様そのままに生きて、そのままに死んでいく。
それでいいのだと。
自ずから然りと、その有様を示してくれているように感じられます。
そして、この言葉の秀逸に感じるところは後半の
「~ただになれない 人間の私」
の部分です。
自然はその姿そのままに答えを示してくれている。
無常に抗うのではなく、受け入れるのだと。
それこそが、喜怒哀楽に左右されない真の意味での安心(あんじん)を得られる道なのだと無言のうちに教えてくれている。
それでも、答えを知りつつそのように精進しようとしても、
なお迷いの世界に立ち戻ってしまう弱く脆い私たち凡夫を優しくさとし頷いてくれている。
相田さんの慈悲の眼差しを感じられる、素晴らしい愛語であるといつも感じます。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:10月24日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時(二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています
